どうも安倍晋三くんは喧嘩の仕方を知らないようだ。

岩下俊三のブログ

始めに断っておくが僕は韓国人と中国人は知己もいるが基本的に好きではない。その上であえていう。

日本は敗戦国である。

そして歴史は戦勝国によって編まれるのであるから歴史に文句があるなら戦勝しているか、タイムマシンで現実に過去を取材するしかないだろう。であれば、堂々と東条英機銅像を東京のど真ん中に建て、南京や慰安婦の実写ドキュメントを世界中に配信・放映すればよいだろう。

それが、できないのであれば、無駄な抵抗は止めた方がいい。それでも、じくじくと「実は違うんだ」といいたいのなら徹底的に争えばいいではないか。「悪うございました」といったり「そんなことはありません」といったりカタツムリじゃあるまいし「つの」をだしたりひひっこめたりするのはいかにも見苦しい。河野談話を検証するといいつつそれを継承すると言ったり、、、左様に一貫性がないと誰も信用しないのだ。

国家は負けたが自分は負けていないというのなら、安全に在日へのヘイトスピーチする暇があったら最寄りの米軍キャンプに突っ込み屈強な海兵隊と取っ組み合いでもやってくればいいとおもうけれど、度胸のなさは暴走族と同じで善良な市民の民家の傍で爆音をとどろかせるけれど、機動隊や桜田門に正面から刃向うことすらできない。どうせ天下に逆らうのならそれらしくやればいいものを、せっかく戦闘服を着て暴走しているのにヘルメットは被るは信号では止まるわで全く意気地がない。


これは今の内閣総理大臣にも言えるのであるが、せっかく「戦勝国」の大統領が来ているのだから、A級戦犯合祀の靖国参拝を認めろと言及すべきである。つまり俺は東京裁判を認めていないが文句あるかと真っ向勝負してみろといいたい。

それもいえず尖閣は安保の適用範囲つまり沖縄を含め「もとは」アメリカのモノだと暗に言われて大喜びしているようでは「右翼」の風上にもおけない。これでは、ただのチンビラそれも「パシリ」でしかないと思われても仕方あるまい。

約70年まえ日本は完膚なきまでにやられて原爆のモルモットにまでされた国民であることを安倍くんはどうも認識できてないらしい。


国賓なのだからそれなりのリップサービスで言ってほしいことを「敗戦国」にも言ってあげるのだから、まして「戦勝国」韓国が言ってほしいことを言ってあげるのは当然である。

だから南京大虐殺は「在る」し従軍慰安婦は「いる」し、安重根は「英雄」なのである。「戦勝国」が言うのだからそうなのだ。理不尽もへったくれもない。せめて「まけてくれ!」とか「これぐらいで許して」と懇願するしかないのである。

中には中国には負けていない、韓国には負けていないという馬鹿がいるけれど、誰につくかで戦の勝ち負けは決するのであって、織田に付いていればとか毛利に付いていればとかいうのは単に見通しがいいか悪いかなのだから、負けは負けなのだ。よって枢軸国は連合国に負けたのだからほんとならば何一つ文句は言えないのである。

にもかかわらず日本は経済的に他の極東アジアより相対的に豊かになってしまったのだから、近隣の嫉妬を買うのは当然であろう。しかも「敗戦国」の癖に戦勝国の作った歴史に反論しているのが許せないのだ。そのうえ遅ればせながら急激な実力以上の経済発展をして社会的矛盾が噴出してきた中国や韓国にとって自国民の不満をそらす方法はただ一つ「反日」キャンペーンに頼るしかないのである。

内政がうまく行かないときは、民族主義を煽るしかないのは国家権力の鉄則である。

かのナチスで辣腕をふるったゲーリングもこう言っている、、、

「もちろん国民は戦争を望んではいない。なぜ畑にいる貧しいまぬけが、自分の命を戦争にさらそうなどと望むだろう?だが、結局、政策を決定するのは国家指導者だ。国民はいつでも指導者達の命令に従わせることができる。連中に、我々は攻撃されているのだと言って、平和主義者は愛国心に欠けると非難するだけで良いのだ。これはどこの国でも同様に機能する」(マスコミに載らない海外記事の翻訳より)

だからと言って僕はサヨクではあるが決して「反日」でもないし、「自虐史観」も持ち合わせていない。ただ無意味な無教養なツッパリが嫌いなだけである。ゆえに安倍晋三のような「目が泳ぐ」強気を信用しないのだ。

やるんだったらとことん命のやり取りすればいいが、腰が引けて「強気」を演じるだけなら最初から大人しくしてればいいと思う。