本澤二郎の「日本の風景」(1110)

<反原発官邸包囲デモをNHKが遂に報道>
 中国の鉄道事故についてコテンパンに批判報道した直後の7月26日午後7時半の番組で、NHKが初めて官邸包囲デモを本格報道した。ただし、参加者の意見を取り上げた程度の中身の薄いものだった。30分の解説報道にしては、政府批判を回避したお粗末な内容に終始した。いつもは歯切れのいい解説者も、言葉を選びながら、奥歯に物がはさまったような文言の羅列だった。



<4カ月後の解説報道>
 血税や視聴者からの受信料で、優雅な報道番組を制作しているNHKである。社員は、たらふく給与を懐に入れている日の丸放送だ。財閥の影響を受けることなどあってはならない、中立公正・不偏不党を唯一貫けるはずの公共放送である。
 その気になれば、英国のBBC放送レベルの客観報道番組が可能である。右顧左眄することなく、政治を論評出来る。それなのにNHKは、政府与党の圧力に簡単に屈してしまう。放送法に違反する事例ばかりが目立つ。
 番組審議会があるのに、これが形骸化している。それなのに議会の監視もしていないありさまだ。多くの識者が感じている点である。
 現に官邸包囲デモを4カ月もの間、まともに報道しなかった。悪辣すぎるNHKであろう。フランスのル・モンド紙に指摘されて、少しだけ報道するようになったという。実に情けない。外国のメディアに指摘されないと、足元の巨大な変革のうねりを察知しようとしない。
 NHKにジャーナリズムは存在しなかったことになる。
<中身はピンボケ>
 腰が引けている解説報道だから、中身はピンボケである。既に無党派の市民の自発的な行動であることは、誰もが知っている。それなのに、延々と参加者の意見を紹介するだけの、底の浅い番組だった。恐らく出来の悪いNHK番組の代表例として後世に語り継がれるに違いない。
 NHKの近くの代々木公園での17万人集会をどう報道したか。確認してないが、報道番組で低い価値に置いていたようだ。話にもならない。3・11の本質を理解していないからである。史上最大・最悪の原発事件の本質をえぐり出そうとしないNHKなのだ。
 スポンサーと電通にコントロールされている民間の新聞テレビとどこが違うのか。説明してもらいたい。よくぞ、これで「受信料を視聴者から巻きあげられようか」との思いを深くするばかりだ。
<人間の命を防衛するための不服従運動>
 3・11は西欧文明・科学技術の行き着いた自然破壊・地球破壊・人類消滅の悪しき実績に対して、地球と人類がNOを突きつけたことに根源的な意味がある。こんなことがどうしてわからないだろうか。
 日本人は広島と長崎で人類初めて、その共存できない化け物と遭遇した。不戦の憲法は、そうして誕生した。だが、このことに蓋をかけたのは原爆を行使したワシントンだった。霞が関・永田町・大手町が彼らの召使になることで、歴史を忘却してきた。
 その結果が54基の原発だった。3・11でそれが崩壊した。地震列島・災害列島に54基?驚愕すべき悪しき実績に対して天罰が下ったのだろう。時の菅直人首相は考えを変えた。彼には多少の人間精神が残っていたのだろう。だが、原子力ムラは生き残った。彼らの立ち上げた政権が松下政経塾、すなわち大手町の傀儡政権だ。もっというと、霞が関とCIAの傀儡なのである。
 これほど不条理な政権が21世紀の日本に許されていいだろうか。人々が命を守るために不服従の運動を開始して当然だろう。誰の指示でもない。自分で考え、そして行動を起こしたものだ。
 恐らく日本の政治史上、こうした官邸包囲デモは初めてのことではないだろうか。それでいて、これを報道しなかった日本のマスコミ、NHKだったことを市民は片時も忘れてはなるまい。ややまともになったと信じられていた東京新聞でさえも、最初は無視していたのである。
<生活と命の危機に決起した市民>
 人々はようやく広島と長崎のことを思い出した。忘れていた放射能の恐怖、自然と生き物が100%共存出来ない悪魔の科学に思い知らされた。
 理性に目覚めた市民である。そこに感情が重なり合うと、どうなるのか。行動へと走らせる。そうしないと、家族が生きられない。むろん、子供が生きられない。たとえ生きても健康に生きられない。幸福を手にできない。
 どう考えても核は悪魔である。原発核兵器も同じである。ともに放射性物質で人類・地球を死滅させる。人間は生きられない。
 同時並行的に野田内閣は、世界不況下の大増税を自ら骨を削ろうとしないで、野党と談合して、これを強行している。日々の生活を破壊することに狂奔している。
 生活と命を危機にさらされている日本なのである。動物でも屠殺される場面で、必死に生きようと抵抗する。いわんや人間は、考える葦ではないか。官邸包囲の自発的市民デモの背景である。
<3・11で変わった市民意識
 日本人はずっと駄目なのか、地獄を見るまで気付かないのか。ギリシャやスペインのようになるまで、何もかもを喪失するまで、生活が破壊するまで気付かない民族なのか。正直なところ、筆者は半ばあきらめて、この「日本の風景」を遺言として書き始めてきた。
 「アラブの春」に小躍りしながらも、果たして「東京の春」は冬を通り過ぎてもやって来ないものか。そんな思いに駆られていたのだが、官邸包囲の市民デモに勇気づけられている。
 「東京の春」はやってきたのだ。あとはマスコミ・メディアである。新聞テレビは、依然として電通に支配されたままだ。財閥にコントロールされている。市民の対抗策は新聞を読まない、不買運動をすればいい。サラリーマンは日刊ゲンダイを買って読めばいい。
 息子の話では「日刊ゲンダイはよく売れている」と太鼓判を押している。覚醒した市民を、そこから読み取ることが出来る。読売は読まない、というまともな市民が増大している。日本人の意識は3・11で変革しているのだ。
 受信料不払い運動でNHKの偏向報道を正すことも出来る。そう考える市民が増えてきている。
<日本史上初めての自由民権運動
 60年安保とは異質だ。あの時はA級戦犯容疑者の岸信介が、CIAの力で政権を手にしていた。日米軍事同盟の強化に野党・労働組合学生自治会が反発して激しい抗議デモとなった。組織的な反政府運動だった。
 今回は全く違う。人々が命の危機・生活の危機に対して、政府の人格否定・人権侵害に対して、それを政界も言論界も軽視することに激しい怒りを込めた本物の自由民権運動である。

 マスコミと政治家・政党が問われているのである。これに共鳴・政策に打ちだし、実行する勢力が、政権の担い手となる。これをスムーズに進める勢力が求められている。「東京の春」の実行者だ。悔悛した既成政党の離党者にまずその資格があろう。
2012年7月27日7時17分記