本澤二郎の「日本の風景」(1114)

<大阪・橋下市長墜落>
 自宅に週刊誌が送られてくる。自らのコメントした部分をチラと見たりする。それ以外はほとんど興味がない。ところが、どうしてか老人に人気があるのだ。プレゼントすると、喜んで見てくれることが分かった。有効活用できる週刊誌に昨今、大阪市長橋下徹の醜聞が相次いでいる。当局に狙われたのだ。有頂天・やり過ぎに鉄槌が下ったのだろう。背景に行動する市民のすそ野が広がっている。


<どうして今なのか>
 それにしても、なぜ今なのか。間もなく実施するはずであろう総選挙で「大阪維新の会」ブームを呼ぶかもしれない。その前に潰そうとの闇の意思を感じることも出来る。
 本来であれば、知事選や市長選の前に表面化させればよかったのだ。彼が財政再建に突っ走って実績を上げたことは正しい。が、国政レベルに口を出した途端、石原の子分のようなチンケな人物であることが判明してしまった。
 人々が油断をしていると、日本版ヒトラー誕生を予見させる事態になってしまった。それは困る、という市民は少なくない。
 そういえば、名古屋市長も南京大虐殺を全面的に否定して石原に肩を並べた。冗談にも程がある。大虐殺は国際社会で認知されている常識である。戦後教育と当時者の嘘と隠ぺいが、こうした極右・皇国史観を許す背景にある。
 名古屋がブームを呼ぶことはない。理性的市民が誕生している。
<役人退治のみ評価>
 筆者は財政破たんの元凶は、中央の霞が関・地方の役人の責任が重大であると認識している。もちろん、無知無能の政党や議員に多くの結果責任があるのだが、実際の政策は役人が推進している。
 それでいて、彼らが責任をかぶることはゼロである。こんな結構な商売が、高給を食む公僕であっていいわけがない。失政責任を取らねばならない。だが、取らない。平然として天下り・渡りを繰り返して、法外な収入を得ている。
 庶民のカマドから煙が立たない中で、こんなことが通用するはずもない。右下がりの経済下、彼らは80年代の高額報酬をいまだに懐に入れている。
 そこにメスを入れた橋下や河村は立派である。そこに集中することが、彼らの人気の源であった。だが、人間は人気にほだされて、自分の思いを全て市民が支持してくれるものと勘違いする。その勘違いの穴に二人とも落ちてしまった。正体がばれてしまったのだ。
<財政破たんで福祉崩壊>
 財政が破綻すると、真っ先に年金・医療・福祉が崩壊してゆく。これに老いも若きも、将来展望を見いだせないでいる。そこへと放射能の雨が降り注いでいる。健康に生きられない市民、とりわけ子供と妊婦が危機にさらされている。被害者は泣いて、東電は血税で保護されるという政治の逆転現象が強行されている。
 不条理の世界が今の日本である。若者に意欲・気力が感じられなくなっている日本である。不条理は市民生活にも襲いかかっているのだが、あまりのひどさに市民感覚を喪失してしまっている。そこに新たな、行動する日本の市民社会が生まれてきている。
<市民の怨念はお上>
 昨夜の民放テレビが中国・南通市の公害問題を取り上げていた。日本の製紙会社の汚染垂れ流し計画を、市が推進していることが判明して、市民が立ち上がった。
 市民デモを封じることは、どのような政府でも不可能なのだ。ネット社会のプラス面である。悪しき行政内容は、即座に市民に伝染してゆく。それが街頭デモへと発展してゆく。
 その様子は市民によって記録され、世界に発信される。隠ぺいは不可能なのだ。これに対抗できる手段などない。南通市は直ちに計画中止を決定した。日本のメディアは「秋の政権交代と関係している」という誤報解説をしていたが、もはや過去の中国ではない。
<21世紀は行動する市民主役社会>
市民が主役になっていることの証しなのだ。それは世界共通の現象といっていいだろう。日本では、市民の怨念の対象はおおむね役人・お上に向けられている。行儀の悪い役人は市民が罷免してしまう。これが21世紀の市民社会なのだ。北朝鮮も大きく舵を切っている。そうすることが、21世紀を生き延びる北朝鮮なのだ。
 各国とも政府・自治体は、理性的に行動するようになってきている。非理性的な対応はむしろ、市民いじめの野田内閣ではないか。目立つはシリアのアサド政権だろう。
東京から全国的に拡大している反原発デモは、政治変動の予兆である。日本も、東京も変わる。役人と財閥が、それに悪乗りしてきたマスコミによって壟断されてきた日本も、間もなく変わるだろう。
 反原発デモは民意を代表している。正義の戦いだ。最近、数人の知り合いに「官邸包囲デモに行きましたか」と声をかけてみた。否定的に理解している者はいなかった。誰しもが感動して受け止めているのである。
 インターネット社会が市民社会を変えているのである。
2012年7月31日8時45分記