本澤二郎の99北京旅日記(6)

<6・4を克服した中国>
 ハルビンで6・4と遭遇した苑崇利青年は、激烈な学生デモを目撃した。デモで道路は封鎖される。バスは止まる。警察は動かない。「そのような場面で、人々は心の敵と戦っていた。デモで社会はよくなるのか。社会主義は駄目なのか、と。その一方で中央での汚職事件も起きていた。また、人々は当時は胡耀邦の清潔な人柄に愛着を抱いていた」「胡耀邦が定年制を打ち出して、中国から皇帝の時代が終わったことを評価していた。この清潔な指導者の死が学生デモを駆り立てた」のだが、その後の歴史は経済面で大きく発展してゆく。経済発展を喜んでばかりいられないが、人々の暮らしがよくなったことは確かである。


<4大文明生き残りは中国のみ>
 人類史上、中国は偉大な国である。薄っぺらなアメリカとは違う。「5000年、7000年の歴史を刻んできている。4大文明のうち、今も生き残っているのは中国だけである」と語る時の苑さんの表情は、酒も手伝って穏やかに波打っていた。
 日本はその中国から文字その他あらゆる文化を受け入れて、今日がある。宇都宮徳馬は「中国は日本の先生だ。先生を尊敬できない日本人でいいわけがない」と筆者によく語っていた。      http://jp.xinhuanet.com/
 そんな大恩ある中国を侵略して空前絶後の災難をもたらした。にもかかわらず、損害賠償を放棄してくれた。その恩に報いようとしたのが大平正芳首相の内閣だった。大平のお陰で、日本人は少し頭が上げられるようになった。その友好の潮流をぶち壊しているのが、安倍の天皇国家主義なのである。岸・中曽根・小泉に続く最悪の反友好政権といっていい。
<北京外国語大学日本学研究中心・通称大平学校>
 大平と縁の深い大学が北京外国語大学だ。日本学研究中心(センター)が、いうところの大平学校なのである。そこに今回足を踏み入れる機会を手にした。大学の一角にそびえる堂々たる4,5階建ての建造物が、日本学研究センターだった。入口に懐かしい大平の作品が飾られていた。にこやかに笑う顔写真もあった。ここは大平の中国の故郷のような場所なのだ。
 6月6日午後2時から2時間の予定で、そこの3階の大教室で公開講座を開いた。立派なポスターまで用意されていた。このポスターは28期生の孫恵子さんの作品による。立派なので記念に持ち帰ることにした。多忙な郭連友教授に代わって、初めて出会う葛先生が司会をしてくれた。後でわかったことだが、ここには北京の日本研究の学生・研究者などが広く集まっていた。大平学校の生徒だけではなかった。
 講演では、日本の権力の源・財閥の正体を紹介することに絞った。日本の新聞テレビに財閥という言葉もない。消してしまっている。重い兜で覆っている権力の源泉を、60年、70年かけて発見した日本の真実を知らせる、そんな講演会となった。
 抽象的な説明では、なかなか理解してもらえない。日本人でさえもわかっていないのだから。これを書きたくても出版社がない。1回きりの講演でわかってもらえるのか?これは容易な作業ではない。韓国では財閥は常態化、人々の常識となっている。財閥が政党・政治家を雇用して、政策を遂行している。ありふれた事象である。
<権力の源泉を講演>
 しかし、日本はその権力の源を隠して「民主主義だ」「自由だ」と叫んでいる。中国の日本留学生は、日本を誤解しているのである。それは筆者が現役の政治記者として20年、政治家が政治を実践していると勘違いをしてきた同じ誤解をしている。日本の民主主義も、それは仮想でしかないのだが。筆者を含め、戦後の日本人は仮想の世界を生きてきているのである。
 自立・独立していない日本、立派な日本国憲法が生かされていない日本、民意が政治に反映されない日本が、戦後の日本の真実なのだ。その元凶を突き止めるのにものすごい時間がかかった。宇都宮のいう「50,60は鼻たれ小僧」が実感できる今日である。
 政策は官僚が作成している。その根っこの部分を財閥が支配している。財閥が霞が関(官僚機構)と永田町(政治のメッカ)を巧妙にコントールしている。安倍内閣も財閥が操っている。その財閥にメスを入れることが、日本人やアジアの人々は、いま何よりも重要なのである。それなくして本当の友好も友情も成立しない。
 さまざまな事例を取り上げながら説明を試みた。
 嬉しいことに多くの聴衆を前にして通訳がいらなかった。直前に「沈丁心さんの通訳を」と学生の王麗Oさんらが考えたのだが、その必要はなかった。彼女は日本人のような日本語使いで、大平学校で知られているらしい。そのはずで、幼いころ日本で育った。父親が国際関係の教授として日本の大学に赴任していた関係だという。
 通訳不要の日本研究の院生以上の面々ばかりだった。
<不覚にも疲れてフラフラ>
 多分、講演と質疑に2時間30分かけた。皆さんはよく聞いてくれた。おしゃべりはゼロである。目を輝かせながら、そしてこっくりと頷きながら聞いている学生も少なくない。なんとも嬉しい公開講座であろうか。
 さすがに疲れてきた。葛先生の気配りに驚いた。彼は椅子をどうぞ、と壇場に持ち上げてくれた。座って質疑応答を行った。
 実を言うと、朝食をしっかり取った。そのさい、饅頭を4個失敬して、それを昼飯代わりにして学校へと向かった。運動不足で栄養満点の食事だと豚になって帰国することになる。そのための軽食での講演だった。お腹が空いてしまい、発言に力が入らなくなってしまったのだ。
<席を譲られる>
 この日、学校には地下鉄を利用した。気付いたのが遅かった。財布には100元しかない。地下鉄料金は2元だ。「乗せてもらえるだろうか」という心配が頭をかすめた。駅員も気分が悪いだろう。たかだか2元に100元でお釣りをくれ、はどうみても格好が悪い。
 しかし、どうすることも出来ない。試すしかない。駄目だったらタクシーにのればいい。そう思って駅員に100元札を出した。なんとか切符(カード式)が購入できた。体当たりも悪くない。
 1号線は新型の車両が走っている。冷房もよく効いている、というよりも、効きすぎている。昼過ぎというのに混んでいる。するとどうだろう、目の前に座っていた女性が立ち上がって席を譲ってくれたのだ。日本でも滅多にない光景である。両手を合わせて礼を言って、座ってしまった。そういえば、地下鉄に白い髪の乗客は少ない。
農民工に感動>
 4号線に乗り換えた直後に、どかどかと重い荷物を両手に抱えて乗り込んできた一団を目撃した。バケツや洗面具もある。目の前に黒く日焼けした農民工がいる。二人の痩せた青年と彼らの母親らしい姿に圧倒された。中国の縁の下の力持ちの存在である。両手を合わせたくなった。
2013年6月10日記