本澤二郎の「日本の風景」(1335)

<自民がTBS取材拒否の暴挙>
 世の中は、いろいろなことが起こるものだ。いよいよ参院選という場面で、改憲政党がTBSの取材を拒否するという暴挙に踏み出したらしい。詳細を、
番組を見ていないので不明だが、政権与党が言論の自由に制約・圧力をかけるのだという。事実ならば、正に狂っている政党である。TBSは断固跳ね返す義務を憲法上、負っている。屈したら第2のNHKである。



<寛容さ喪失の国家主義
 内外政を進める中で、国家主義ないしは国家主義的な政府と与党は、概して寛容さがないか、著しく少ない。どうしてかというと、それは国とか政府という高い目線で、物事を狭く判断するからである。市民・国民という目線での判断が、ないか少ない。
 日本国憲法国家主義を全面否定したものだ。戦勝国の、この判断を当時の吉田内閣や国民が受け入れた。ワシントンにねじ伏せられたものでは断じてない。ここを安倍や中曽根ら右翼人士は勘違いしている。
 この1線を超えた自民党総裁に対して、米連邦議会調査局は「ナショナリスト」「ストロング・ナショナリスト」と断じた。それは彼の「戦後レジームからの脱却」という基本スローガンによっても証明されている。
 政治家・官僚は日本国憲法を擁護する義務を負っている。その憲法を崩壊させようとする首相は、そもそも憲法違反なのである。「96条改憲」をわめく安倍は首相失格なのだ。
 そんな安倍自民党からの取材拒否もまた、憲法をないがしろにした愚挙であって、許されるものではない。日本国憲法を読んでいる日本の法曹人は、声を大にして自民党に猛省を促すべきだろう。
<権力主義>
 国家主義国家主義的な政府与党とその構成員の欠陥は、その対応が著しく権力主義的な点にある。国民・民衆の目線が欠けているからである。
 かつての自民党には、右翼派閥からリベラルな派閥まで複数存在した。筆者は20年の派閥政治を取材しながら、これら全てを見聞してきた唯一の政治記者となった。岸信介の後継派閥の福田派が、もっとも取材がしにくかったものだ。好きになれなかった。右翼派閥ほど警戒心が強いからだ。
 リベラルな派閥はオープンである。記者に対する差別は少ない。不思議と派閥記者も、担当する派閥の色彩に染まってゆく。批判力を喪失してしまう。
 現役記者の資質が、いま最も問われている。NHKに限らない。朝日までも、と指摘すべきだろう。日本にジャーナリズムが存在すれば、国家主義の政府は誕生しないのだが、不幸にして腐敗してしまっている。
 筆者が時折、今も感心する報道番組というと、TBSの「報道特集」である。ここには今もジャーナリズムが息づいている。そのはずで、リベラル派閥の宏池会を取材していた同僚の石原君が、現在の社長のようだ。彼はリベラルな政治記者だった。
 彼が自民党の圧力に屈するはずはない、と信じたい。
報道の自由の侵害>
 言論の自由報道の自由を、特に権力者は守る必要がある。憲法が命じているからである。権力を監視する義務が、ジャーナリズムにはある。従って単にモノを作り、売って利益を上げるビジネスと異なる。
 国民に奉仕する義務を負っているのである。真実を伝える、中立・公正、不偏不党でなければならない。国家主義や権力主義に傾倒する政治屋は、この大事な原則がわかっていない。始末が悪い。
 報道の自由が確立していない社会では、民主主義は成立しない。日本が未熟な社会である原因の一つは、言論の自由が確立していないからなのだ。外国人の中には、ここのところを大分誤解している者が少なくない。
 自民党の今回の判断は、過去になかったことである。ことほど国家主義に呑みこまれている証拠なのだ。ねじれ解消の合掌に浮かれていると、それこそ大変な人権侵害がいたるところで発生するだろう。
<問題は法廷で処理>
 言論にもいろいろある。特定政治家を標的に批判を繰り返すマスコミである。小沢退治に奔走した読売・産経なども、その一つである。言論の暴走に対して、被害者は何も出来ないか。
 そんなことはない。名誉棄損で逆襲することが出来る。自民党はそうしない。取材拒否で対抗するという。卑怯ではないか。自由と民主主義の政党ではないと、天下に公表しているようなものだ。
<がんばれTBS>
 会期末の安倍・問責決議は快挙であると筆者は書いた。土壇場の攻防戦の詳細を知らないが、傲慢な自民党に責任が無いとは言わせない。原発再稼働と原発輸出の安倍自民党、TPP推進の自民党、アホのミクスの崩壊とガソリン物価高騰は、民意に沿ったものではない。消費税強行の自民党だ。電力自由化法案は、安倍決断で成立させることが出来たのだ。
 まともな野党指導者がいれば、この政権はたちどころに退陣に追い込めるのだが。がんばれTBS!
2013年7月5日14時50分記