本澤二郎の「日本の風景」(1074)

<東電労組・新井行夫中央執行委員長の暴言>
 朝日新聞を読んでいる弁護士に教えられていたことがある。東電労組委員長の新井行夫の暴言を記事にしていたという。忘れるところだったが、しかと大学ノートにメモしていたので、この野田レベルのとんでもない人物について、しっかりと記録しておく必要があろう。それは「銭と票で応援していた議員が、菅直人のように脱原発に変身、東電救済に力を貸さない。選挙で叩き落としてやる」という趣旨の演説をぶったというのである。あいた口がふさがらないとはこのことか。


<反省・謝罪しない労働者・社員代表>
 筆者は先に東電OL殺害事件にからんで、被害者女性幹部と父親がともに東電内で原発反対の立場を貫いていたという記事を紹介した。すばらしい父子に読者の反応が多かった。命の尊厳・人間の心を持った父子に感動、そんな敬愛できる女性幹部社員を追い詰めたであろう東電首脳部に怒りがこみ上げてくるのだが、それは労働者・社員も同じ狢だったのである。

 東電で高給を食んでいる輩全てが、人間の心を持っていなかったのだ。1年3カ月も経つのに内部告発がゼロである。異様な企業なのだ。社員全員が塹壕にもぐって嵐の通り過ぎるのを待っている。
 3・11の時点では、勝俣会長はマスコミ関係者と一緒に中国で遊んでいた。清水社長も国内旅行の最中だった。二人とも、しばらく雲隠れしていた。安全神話の本尊に、大爆発した原発現場の事情など分かるはずもなく、ただうろたえているばかりだった。福島の被曝者に対して、国民に対しても、謝罪も反省もしなかった。傲慢な東電首脳部を演じ続けてきたものである。
 しかも、真相を闇に葬るのに懸命だった。人間の屑だった。
<典型的な労働貴族
 しかし、それでも東電の社員・労働者は、国民の目線で事態の深刻さを受け止めているだろう、と国民誰しもが信じていた。実際は、とんでもない勘違いだった。労働者・労働組合も会長や社長と同じ無反省の輩だったのだ。
 本来であれば、東京地検特捜部や警視庁による大捜査が行われてしかるべき場面である。幸い東電お抱えのような菅内閣のお陰か、悪政によって、東電捜査はなかった。それに東電一家は「それ見たことか」と胸をなでおろしたのであろう。東電の政治力に、内心ほくそ笑んでいたものかもしれない。
 連合内では、自治労・教組と並んで、鉄鋼・電力・自動車の右派労組の政治力は強い。金と票で政党・政治家を牛耳っているからだ。連合幹部は典型的な労働貴族だ。庶民の数段上に位置していると思い込んでいる。
 高給が裏書きしてくれている。当然、傲慢になる。労働貴族は支援する政治家を顎で使っている。東電労組がそうだった。彼らは、そんなレベルの国会議員は、すべからく東電支援に奔走してくれるものだと認識していた。そうした彼らの認識が、新井演説で判明したものだ。
<政治家を脅した労組委員長>
 「裏切った議員には報いを」と彼はわめいたのだ。5月29日の中部電力労組の大会で、東電労組の代表は本心をさらけ出して、これまで支援してきた政治家を脅しまくったのだ。「次の選挙で叩き落とす」というのである。史上空前の大惨事に対する反省も謝罪もない。新井ら東電関係者には、人間の心など全くないのだ。そうしてみると、自分たちの高給待遇を引き続き維持するために、電力料金の大幅引き上げを言い出している独占の東電に、市民は大いに納得出来るだろう。
 労組に脅されている議員は、これまでの選挙運動でいかほどの金と票をもらっていたのであろうか。脅されるほどの巨額献金を受け取っていたのだろう。政治資金規正法に違反している可能性が高い。
 捜査当局は東電支援候補の資金繰りを糺す必要があろう。昨今の不祥事続きの検察は、この機会に汚名を注いではどうか。
<世界一高い電力料金が腐敗の根源>
 日本国民の多くは、世界一とも言える高い電力料金を支払っていたことを知らなかった。しかし、そこにはカラクリがあった。東電幹部の途方もない高給のため、労組員の高給のためだけではなかった。
 政治家・政党への莫大な政治献金である。そればかりではない。新聞テレビのマスコミ界向けの広告費は膨大なものだった。官僚の天下り先でもあった。原子力ムラ・学界にも金を流し込んでいた。そのための高額電気料金だったのである。
 こうした内実をいまだ国民は知らない。民主党自民党公明党共産党までもが、議会で追及していない。出来ないのだ。マスコミも報道していない。議会もジャーナリズムも沈黙している。これは民主を名乗る国で、全く想定できないことなのだ。
 政治家・政党・言論界も、家庭で支払った高額電気料金で、電力会社に飼いならされているというのだ。
 以上が、新井労組委員長暴言の背景である。筆者も、ここまでひどい東電一家を想像も出来なかった。腐りきった東電なのだ。第2の福島を予告しているようで深刻きわまりない。
2012年6月14日9時05分記