本澤二郎の「日本の風景」(1104)

オスプレイが裏付けた「日本は米国の属国」>
 ヘリコプターのように垂直離着陸の米新型輸送機オスプレイ山口県の米軍岩国基地搬入が、7月23日になると、米軍は同20日になって日本政府に伝えてきた。それを元自衛官の防衛相が、米軍スポークスマンのように地元に伝えた。おかしくないのか。既に「オスプレイはNO」と沖縄も山口県と岩国市も表明している。危険な飛行物体にNOという意思表示は、思考と言葉を持つ人間の当たり前の行為である。日本政府はワシントンにそれを伝えて「止めてくれ」と抗議をしなければならない。それをしない。ワシントンは当初の意思を、そのまま一方的に強行して23日搬入を決行するつもりだ。米国にとっての日本は、文字通り意思のない属国か属領扱いなのである。


<NOといえない日米同盟は有害無益>
 日本は独立国である。国連にも加盟している。日本国民の意思を政府は体現している。議会も司法も、である。事実、そうであればワシントンの行動にストップをかける義務がある。政府・政治家はそれに命をかける。当たり前だろう。
 だが、それをしない。野田は「地元に説明し、受け入れを理解してもらう」と20日、記者団に平然と語った。地元は反対している。受け入れを拒否している。それでいて、こうしたコメントをする日本国首相である。これはどう見ても、アメリカの1州に過ぎない、日本州知事答弁ではないか。自立している米州知事は、地元の住民の意向を公然と反映させる。ということは州知事以下ということになろう。
 これが日米同盟の正体なのだ。ワシントンは日本を独立国として認知していない。アメリカは依然として帝国主義軍国主義の国なのだ。そんな国との同盟は、せめて中身を経済に限るとか、軍事同盟を解消するしか日本人は安心して、健康に生きられないだろう。核(原発)とオスプレイに対する日本国民の怒りは、こうしたところに収斂されている。

 弱者に対する大増税に「政治生命をかける」と繰り返し口走る反国民的な松下政経塾霞が関の野田傀儡政権である。日本国民がNOと意思表示している反原発を再稼働、危険なオスプレイについても、強行すると言うのである。
 売国奴首相ではないのか。「アメリカにNOといえる日本」を吹聴して、一時人気を博した石原都知事からは、原発再稼働賛成論は聞いたが、オスプレイについて未だにコメントを聞かない。不思議だ。日本の政党・政治家もワシントンの奴隷なのか。
集団的自衛権にのめり込む野田内閣>
 暴走するアメリカ軍が、どこかの軍隊から攻撃を受けると、それは日本が攻撃されたと解して、米軍と共に闘うという集団的自衛権はむろん、憲法に違反する。政府の内閣法制局の見解である。
 これを取っ払えとわめいてきた御仁は、れっきとした軍国主義者・天皇国家主義者の中曽根康弘老人だ。当然、盟友のナベツネ新聞も同じ立場だろうが、こんなことを許したら自衛隊員は年中戦争に駆り出されることになろう。戦争国家・日本になろう。
 日本国憲法の核心である9条違反である。許されていいわけがない。それを野田・民主党松下政経塾が中曽根の言い分に同調している。筆者はPANASONICが、どれほどの軍需物資にのめり込んでいるのか知らない。しかし、前原に代表される政経塾は、軍拡利権にことさら熱心であることは、まぎれもない事実である。
 電化製品のみならず、あらゆる電子製品で追いまくられて元気のない松下・PANASONICにとって、三菱重工・同電機のように武器弾薬商売に衣替えしようと考えているのだろうか。そのための集団的自衛権を行使しようというのか。危険きわまりない。国民は挙げてNOである。
<沖縄・山口・岩国の反撃にうろたえる防衛相>
 それにしても反原発の金曜日デモはすごい。風雨もモノともしない。その官邸包囲デモに感動した鳩山由紀夫も、亀井静香らに肩を並べて昨日は会場でマイクを握ったという。普天間基地を県外・国外に移転させると公約した鳩山は、防衛と外務の官僚に抑え込まれて、無念の退陣をした。
 実現はしなかったが、日本国首相の正論に沖縄が立ち上がった。さらに3・11で無数の市民が立ち上がった。原発オスプレイも人々の「いのち」がかかっている。10%消費税は市民の「生活」がかかっている。
 窮鼠猫をかむという。
 そうして人々は官邸に押しかけ、オスプレイにもNOを声高に叫んでいる。人間としての当たり前の行動・意思表示であろう。日米同盟にNOと言い出している。その強固な意志は全国に広がっている。それが沖縄や岩国にも新たな勇気を与えている。

 お笑いだが、意気揚々と防衛省に乗り込んだ元自衛官のトップは、想定外の反発にうろたえるばかりである。これまでの右派テレビを悪用し、好き勝手な言動は、主権者に対して通用しない。無党派市民は、日本国憲法が認知している主権者である。ワシントンの奴隷ではない。野田や前原とは全く違う。

 余談だが、北京の大学で教えたことのある大学院生が、その後、中国を代表するマスコミに入社、日本で特派員生活を始めたといって電話してきた。まだ日本政治取材はさせてもらえないのだが、それでも官邸デモには出かけたという。しかし、その崇高な市民の平和デモの本質を彼は分からない。説明しても簡単に理解できない。日本政治を理解しないと、この非暴力抵抗運動のすばらしさを認識できない。外国特派員にとって、60年安保反対デモと同じではないか、というレベルかもしれない。
 日本人さえわかっていない者もいる。筆者が「東京の春」といって感動するデモだというのに。歯がゆいのだが仕方がない。ガンジーの非暴力抵抗運動に近い。これは秋の総選挙で爆発するだろう。野田退陣・原発NOの市民の自由なデモは、松下政経塾・PANASONIC政権が居座り続ける限り、毎週繰り返されるだろう。
 戦後政治史のエポック・メーキングなのだから。
<日本人は雑草になれ>
 この2日ほどかけて、埴生の宿の雑草刈りに出かけてきた。すごく伸びている。いくら刈り取っても10日もすると、元に戻っている。この雑草の根ッ子をえぐり取ると、ミミズが這い出してくる。健康な土壌である証拠だ。除草剤という劇薬を使用していないからだ。
 この雑草を馬や牛などは食べる。人間だって調理・加工次第で食べられるだろう。そうした研究が確立すれば、世界から食糧難は無くなるかもしれない。梅雨時だからツル草の勢いがいい。自動草刈り機も効果なしだ。やむなく使っことのない薙刀のような釜を取り出して対決した。
 ちょっとした筋力訓練である。近くでウグイスが応援のさえずりをしている。巨大に見えるカラスさえも。結論的に言うと、人間は雑草と共存するしかない。親類に、雑草の中で育てた野菜を購入している者が現れた。農薬野菜を拒絶しているのである。
 自然に還れば人間は健康に生きられる。人間も雑草を見習うのである。雑草のような人間、それこそ自立した強い人間になるのである。その代表格が官邸に押し掛ける無数の市民だ。代々木公園に集結した17万人の反原発市民なのである。
 雑草は怖いものなし、である。勇気も智恵もある。非暴力で悪しき勢力を打ち負かせる力を有している。イデオロギーに凝り固まった小党ではない。もちろん、日本人はシリアではない。とても真似が出来ないし、その必要もない。警備当局は市民デモを暖かく見守る必要がある。左右の過激派に踊らされてはなるまい。

 要は、市民のための・国民のための政府を作ればいいのだ。官僚や金持ちのための政権はいらない。もう沢山だ。松下政経塾はいらない。幸之助はとんでもない連中を養殖したものである。そのうち70億円が暴かれるだろう。もうワシントンに屈する政府はいらない。行動は実に簡単なことなのだ。今それが着実に進行している。
2012年7月21日7時40分記