本澤二郎の「日本の風景」(1132)

尖閣問題の真相背景>
 日中国交回復は72年9月、時の田中内閣によって実現した。戦後の日本外交史の金字塔であろう。それから40年。本来であれば、40周年を祝う東京と北京のはずだった。中国は、この間、経済成長を成し遂げ、政治経済軍事の大国になったのだが、経済のインフラ面では日本のODAが応分の役割を果たした。これは賠償放棄した毛沢東周恩来の政治決断に対応した大平正芳の報恩からの政治判断であった。


 こうして日中関係は「友好」の2文字で推移するはずだった。だが、常に横やりが入った。田中はロッキード事件で倒れ、大平も自民党台湾派の攻勢の中で、命を落とした。日中分断はワシントン右翼の願望であり、日本の反中派に塩を送ってきた。それは今日も継続している。
 ワシントンの策略は、反中勢力に肩入れ、リベラルな政権の存続に抵抗する点に特徴がある。筆者がCIA支配に反発する理由である。日本の政界は、中国を軸に揺れてきたといってもいい。右派は歴史認識を浮上させて、北京に揺さぶりをかける。そこに台湾問題もからませるのだ。
<「友好」を忘れた対中外交>
 中国の台頭とアメリカの経済的沈下が、日米の軍事部門を中心に、新たに北京への敵意とむき出しの対抗心となって現出する。最近の目立つ現象だ。米軍再編による沖縄の米軍基地強化・自衛隊の米軍従属化がそれである。野田内閣は、憲法が禁じる集団的自衛権の行使に踏み込もうとさえしている。中曽根を見習おうと言うのだ。
 昨今の露骨な中国脅威論は、防衛白書から外交青書にまで及んでいる東京である。ワシントンに歩調を合わせた愚策である。72年当時の「友好」の原点を棚上げ、忘れようとする東京の政権が次々と誕生したからである。北京をいら立たせて当然だろう。
 北京が日米に警戒心を抱く理由だ。もしも、日本政府が72年の「友好」の原則、平和友好条約を真摯に受け入れた対応をすれば、たとえばレアアース問題も尖閣上陸など起きなかったろう。たとえ表面化しても事前に暴走を止める。
 頭を冷やして「72年に還れ」といいたい。
<右翼政権の連鎖>
 北京をいら立たせてきた理由は、東京に誕生する右翼政権による対中政策にある。歴史問題と台湾問題を浮上させてきたからだ。村山・橋本・小渕恵三内閣までは、北京と東京にさしたる政治問題は起きなかった。台湾派の森喜朗内閣が誕生し、台湾寄りの対応を露骨に示すことから北京は緊張した。
 親中派加藤紘一が、森打倒に動いた理由の一つと言える。72年の国交正常化宣言やその後の平和友好条約に反する森政治に対して、堪忍袋の緒が切れたものだろう。続く小泉内閣は、戦争犯罪者が合祀されている靖国神社に6回も参拝を強行した。北京政府と中国の人民が怒り狂った。小泉戦略がワシントンに操作されていたことの証しであるとみたい。
 小泉後継の安倍首相は、A級戦犯容疑者の孫である。いいわけがない。続く福田康夫内閣で日中関係は明るさを見せた。ところが台湾派の麻生内閣は逆転させたが、鳩山―小沢連合の民主党内閣の誕生で、事態は好転するはずだった。
<鳩山退陣の衝撃と小沢事件>
 小沢一郎日中友好の証しとして、仲間の国会議員を引率して北京を訪問した。鳩山由紀夫首相は東アジア共同体構想をぶち上げて、ワシントン一辺倒から舵を切った。いうなれば田中―大平時代の再現を彷彿とさせる対応だ。
 アジアの時代に歩調を合わせる鳩山政治には、しかし、CIAの陰謀が待ち構えていた。小沢と鳩山に検察とマスコミが襲いかかったのだ。素人はここの分析が困難だろう。
 ワシントンは小沢と鳩山に反米のレッテルを張り、霞が関とマスコミを使って背後から攻撃をさせたのである。
 普天間問題で鳩山を退陣させたCIAは、小沢逮捕にも執念をたぎらせ続けた。だが、これは成功しなかった。検察の証拠のねつ造が発覚したからである。いまや検察の信頼は、完璧に地に落ちてしまった。回復不能な状態である。
 小沢事件化と鳩山退陣は、北京に衝撃をもたらした。ロシアにも、である。日中・日ロ友好の芽が潰されてしまったのだから。続く菅内閣は、国会本会議の壇場で中国脅威論を公言し、北京を驚かせた。続く野田の松下政経塾内閣のもとでの、中国封じ込め政策が大がかりに進行した。これに身構える北京である。
 偏狭な国家・民族主義の台頭の日本である。
<国際関係に寛容・リベラル不可欠>
 外交は話し合い・対話が原則である。全方位外交を主導した福田赳夫内閣は、背後の岸の壁を乗り越えて、日中平和友好条約を締結した。国際関係を正常に機能させるためには、寛容が何よりも重要である。
 日本は軍事を否定する平和憲法を保持している。リベラルの最高価値は寛容である。そうしてこそ軍事衝突を回避できる。軍事力による国際紛争処理は、新たな暴力を正当化しかねないだろう。
 東京にリベラルな政権が誕生した時に、国際関係は正常化する。右翼・国家主義のもとでは、隣国との衝突や軋轢が生まれる。
<戦争を知らない偏狭右翼>
 今回の尖閣上陸に絡んでの14人の中国人の拘束に対して、急ぎ強制送還した政治判断は、前回の失敗を多少学んだためだろう。同時に「死に体」内閣に外交問題を処理する能力のないことの表れでもあった。「友好」の関係が構築されていれば、そもそも香港からの船が尖閣に向かうことなど無かった。トラブルの根を事前に摘むことが出来たのだ。
 今回の事件で困ったことは、右傾化野党の反応である。右傾マスコミとテレビに登場する偏狭な民族主義者の暴走発言である。
 NHKに至っては、右翼学者を起用した外務省の将来シナリオ、それは軍拡・日米同盟強化・核武装化なのだが、それをこの時とばかりに披歴・宣伝したのである。戦争を知らない民族主義国家主義の輩を集めての、同省の危険な軍事計画そのものに、霞が関に重大な問題を提起している。憲法の上に、ワシントンを置いた愚かな作戦計画に驚愕するばかりだ。
<大平政治に戻れ>
 日本は十二分すぎるほど右翼化してきた。議会・新聞テレビも。その結果が、複雑・深刻な外交問題を露呈させた遠因だろう。北方領土竹島尖閣である。隣国の全てとの領有権の表面化だ。この難題に、方法など無い。
 対話のみである。その原動力は「友好」の2文字しかない。寛容な・リベラル外交による対話しかない。歴史を直視するしか道はないのだ。「大平政治に戻れ」と訴えたい。
2012年8月17日13時55分記