本澤二郎の「日本の風景」(1151)

<危うい日本丸
 貧すれば鈍す、である。何もかもが狂う。野田の狂い咲きに自民党も歩調を合わせている。政経塾内閣は、金がないのに100兆円予算を編成するのだと言う。狂気の沙汰である。東京の狂気に大阪もしびれを切らして、とうとう時代がかった暴走を始めた。心に深い傷を負った権力集団を持ち上げるマスコミに、事情の分からない市民が揺れる。日本丸の危機は、松下政経塾政治に次ぐ新たな危機の連鎖によって厳しさを増幅させている。日本丸は風前の灯のようでもある。


<問責首相はAPECの孤児>
 野田は参議院で問責決議を受けた首相欠格者である。国民の支持も無い不適格首相である。形式的な首相に過ぎない。国際舞台に出てゆく資格などない。
 こんな場面におかれた者は、国際会議に参加すべきか否かを真剣に考えるだろう。そして自ら出席を取りやめる。普通はそうであろう。
 外国の首脳にとっては、そんな野田との会談など時間の浪費である。会談する意味など無い。現に隣国の首脳はそろって野田との会談を回避した。アジアの孤児のような野田も哀れだ。
<それでも首相継続>
 問責を受けた首相の続投はない。当たり前のことで、たとえ国会が開かれても野党は、信任喪失の首相との論争に意義を見つけることなどできない。審議拒否は続く。それを許すと、事実上、国民の信任を受けてない政権を存続させる共犯の役割を担う。
 野田内閣の総辞職か解散を、国民の名において求めてゆく責任を負っている。そのために総力を挙げるしか方法がないのである。ところが、その野党が解散を恐れている。谷垣自民党と山口公明党だから、結果的に野田に延命装置を付けさせたのだ。
 かくして、谷垣が自民党から不信任を突きつけられている。野田は延命装置をつけたまま臨時国会に臨むというのだから、正に狂気が乱舞する永田町だ。憲政の常道は、民主党にとってどこ吹く風なのだ。これも松下政経塾流なのか。あきれてモノを言えない。
 なぜ、こんな事態が起きているのか、というと、新聞テレビに真っ当な政治評論がないからである。ジャーナリズム不在が政府と議会の混乱に輪をかけている今日の日本なのだ。
<心に深い傷を負った者たちの跋扈>
 マスコミは東京の混乱をよそに、大阪に宣伝の矛先を向けている。筆者も当初、橋下の罠に引っ掛かるところだった。国民の一部には、マスコミ宣伝に翻弄されている。怖いし、危険である。
 関西地方に詳しい編集者のアドバイスも受けて、事実関係を調べてゆくと、なんと大阪に結集する者たちに一つの特徴がみられる。断じて差別主義に反対する人権派を自負する政治評論家・ジャーナリストだが、彼らには共通して「心に深い傷を負っている」というのだ。
 そのことが極右政策となって表面化している。しかし、マスコミはそこを指摘しない。それどころか、筆者が昔から提言している「国会議員の半減」を公約して人気を取ろうとしている。しかし、もう一つの「公務員・役人の半減」は言わない。「国会議員と役人の報酬半減」も公約しない。
 石原慎太郎並みに憲法改悪を公然と主張、問題の根源は平和憲法にある、と論点をすり替えてしまっている。手口は保守派ジャーナリストが指摘していた「橋下ヒトラー」説を裏付けている。
ナチスヒトラーはいらない>
 ドイツでもそうだったのか。極右に金が集まる風土が日本にもある。生前の宇都宮徳馬さんに言わせると、金は「財閥が用意する」というから、実に危ない。国民生活が第一に考えない強欲組織である。
 橋下らは、国や地方の財政破たん状況下で、バブル時代の高給を懐に入れて、ろくな仕事もしない役人・公務員退治に的を絞って人気を博した。市民の怒りの対象に攻撃をかける橋下に、筆者も一時は賛同した。だが、本当の野望はそうではないことが、いまや判明してきている。
 関西で生まれた元福田派秘書は「みな心に深い傷を負っている。それらが権力を掌握すると、どうなるか。考えなくてもわかろう。暴走する。大変な事態が起きてくる。政経塾どころでなくなる。なぜマスコミはそこを報道・評論しないのか」と筆者に電話してきた。
 日本にヒトラーナチスはいらない。
<平気で嘘をつく橋下>
 彼らは平気で嘘をつく。野田も白アリ退治論で市民の支持を受けたが、実際はその逆だった。嘘をつく橋下でもある。脱原発を公約したが、すぐに軌道修正した。恐らく、こうした例は大阪人ならば、いくつも知っているだろう。
 言えることは、役人が暴走するようなことがなければ、橋下が出てくる幕はなかった。原因は役人の傲慢さにあった。自治労に起因している。猛省を求めたい。財政困窮に比例した適正な給与体系にすれば、ヒトラー問題は解消する。
  ともあれ、石原の走狗となった大阪集団に対して、ジャーナリズムは、本来のまともな報道に徹する義務があろう。新聞テレビ人の奮起を求めたい。
<大江さんらに「生活」が同調・脱原発法案>
 明るい話題の一つは、脱原発基本法案が与野党103人の国会議員によって具体化したという。大江健三郎さんら数少ない日本の良心的知識人の呼び掛けに、久しぶりに議会が応じたものだ。これはすばらしい。官邸包囲デモの成果の一つだろう。

 立役者は新党「国民の生活が第一」や社民党共産党のようだ。公明党みんなの党はどうしたのか。これは党利党略の次元で論じる話題ではない。日本人が将来を生きられるための最低限の保障政策である。
 富豪・富裕層は原発のないところに移転することが出来るだろう。無数の庶民は、今後とも放射能と共存させられる。そこから少しでも被害を軽くする、抜け出すためには、脱原発しか選択肢はない。
 このままでは、あまりにも日本人がかわいそうでならない。

 脱原発基本法案は、次期国会の最優先議題である。選挙の争点は、第1に脱原発、第2に10%消費税、第3がTPPである。いずれも日米対等論がベースにある。アジアも重視するという政策が基本になる。自立する日本が問われる重大な局面であろう。
2012年9月9日9時50分記