本澤二郎の「正常化40周年の旅」(6)

<社会科学院の友人に政治の重要性力説>
 社会科学院日本研究所の王・胡の両人が、宿舎に訪ねて来てくれた。9月20日のことだ。二人とも大変心配性らしく、多忙な時間を割いてわざわざ昼食をご馳走してくれた。日本語しかしゃべれない筆者のことを心配してくれての、涙が出そうな配慮だ。彼らのそうした不安を、冒頭のあいさつで吹き飛ばした。自ら足で確認した小さな体験を披歴することで、それは十分だった。


 幸か不幸か、この20年ほど中国は経済成長に浮かれてきた。日本と同じだ。経済重視による格差と公害問題である。そこには高官の腐敗が浸みついて、成長から落ちこぼれた無数の弱者の不満をかきたててきた。重慶事件が象徴している。
 これらを北京五輪や上海万博で彩りを添えてきたのだが、その手はもう使えない。日本も欧米の経済も総崩れだ。公正を旨とする社会建設にまい進せざるを得ない。それがポスト胡錦濤の使命であろう。
 政治の重要性である。内外政とも政治に重心を置かざるを得なくなっている。見方にもよるが、北京が経済に重心を移している間に、日本に右翼が台頭した。政府もマスコミも。経済大国の地位を滑り落ちるのに比例して、日本の右翼化が進行、ワシントンの産軍複合体に歩調を合わせて、経済・軍事の面で中国封じ込めを推進している。
 ワシントンの日中分断策である。例外的に鳩山内閣はこれに抗したため、普天間問題であっさりと退陣に追い込まれた。北京の期待の星・小沢一郎はスキャンダルで。
 北方のロシアとの関係は申し分ないものの、東の日本・アメリカ、南西のASEANとの間に溝が深くなっている。ワシントンの陰謀にはまってしまっている北京だ。
<日本研究の再構築を進言>
 日本国民の多くも、実のところ、今日の国際情勢の変化に気付いているとは言い難い。右傾化マスコミに取り込まれてしまっているからだ。CIAの縛りから離脱していない。
 鳩山と小沢が発進した「日米対等論」は、正に戦後の政治革命を意味するが、CIAに取り込まれているマスコミは、健全に報道しない。それどころか右翼新聞の読売のペースにはまってしまっている。筆者の知る限り、まともな政治評論からの記事は、夕刊紙「日刊ゲンダイ」のみである。
 ともあれ、徐々に判明してきたことは、マスコミどころか政界・官界・財界共にCIA支配に屈していることが露呈している。これは小沢と鳩山の成果といっていいだろう。すなわち、日本独立は実態を物語っていない。3権分立も確立していない。韓国や台湾にも言えるだろうが、日本も確たる近代国家の体をなしていないのだ。
 日本研究の徹底見直しを、今回も彼らに少しばかり進言させてもらった。というのも、中国人留学生の日本研究は他国の政府同様、いいところだけを見せて帰国させる。日本の真実に接近出来た研究者はいない。日本の表の世界ばかりで、裏側はわかっていない。いくら立派な博士号でも、中身はないのだ。
 だいたい日本人のジャーナリストでさえも、小沢や鳩山が権力を掌握した場面で、初めて非独立国・日本を見聞できた。それまでは、偽りの日本に翻弄されてきたジャーナリストだった。ワシントンと結びつけないと、日本は全く見えないのだ。
 同じようなことが、日本の中国研究者にも言えるだろうが、その複雑さは日本ほどではないはずだ。
<中国にも日本レベルの新聞が>
 確か4年ほど日本で特派員生活を送った王さんは、人柄がすこぶる謙虚で、柔軟な好人物だから周囲から好かれている。
 そんな彼が中国の一部の新聞に文句をつけた。「かなり本質から外れて、エキセントリックに報道している。誤ったメッセージを市民に与えている。これは心配な点である」と。
 中国の市場経済は、マスコミの多様化現象を生んだ。中には「売らんかな」の新聞・雑誌も現れている。尖閣・釣魚報道についての、王さんらしい懸念である。
 針小棒大という言葉は、日本の新聞テレビや雑誌にぴったりだが、中国にも一部そんな傾向の新聞が出てきている、と指摘したのだ。石原―野田ラインによる「尖閣の国有化」に興奮した一部の反日デモ参加者が、日系の企業に暴力行為を行った背景に、新聞報道が多分に影響している、と彼は認識しているのである。
 「街中で日本語を使うな」「タクシーに乗るな」「一人で外出するな」などは、デマに相当するものだが、しかし、こうした忠告を筆者は日本人だけでなく、中国人からも受けたのだ。
 メディア・マスコミ報道の怖さだ。格好の世論操作なのである。
<二人の馬年(午年)に乾杯>
 二人は昼食に毛沢東が好んだ豚肉を注文してくれた。これは相当な時間をかけて煮る料理だ。家庭ではなかなか作れない。脂身を全て吐き出した、とろけるような柔らかい肉料理である。お年寄りには最適である。
 雑談中、ひょんなことから二人とも午年であることが判明してうれしくなった。筆者も午年だ。胡錦濤もそうである。筆者が尊敬する宇都宮徳馬もそうだった。田中角栄も、である。馬というと、すこぶる憶病で、飛んで跳ねたりする、そしてせっかちな性格だが、これにぴったりの人物は、正に田中であろう。
 筆者の書いた「平成の妖怪・大勲位中曽根康弘」(健友館)は、飛び跳ねた成果だろうか?誰も書こうとしないので正義を貫いたものだ。産経新聞の元政治部長が高く評価してくれた。憶病者では書けなかった。御用ジャーナリストとの縁も絶ち切ってくれた。そのトばっちりは大きかったが、屈するわけにはいかない。 
<前門―天安門広場―王府井散策>
 二人を送り出した後、30分ほど休息した。予定はなかった。いつも通り市内見学に出掛けた。
 2号線に乗り、前門で下車した。ここは日本で言うと、浅草のような場所だ。
 「戦前も大変な賑わいだった」とは、旧日本軍中野学校で中国語を学び、北京で一般の中国人になりきって諜報活動をしていたという自民党秘書に聞いたことがある。毛沢東も北京入り一番手にここを選んだ。女性解放を宣言したと言う。女性解放の象徴的な場所なのかもしれない。

 近代的に再建した前門は、王府井と人出で競争しているようだが、今回は横路にそれて、裏道に入ってみた。そこには昔の前門が姿を見せた。衛生的とは言えない庶民生活の臭いが、ぷんぷんと立ち込めていた。失礼ながら、何もかもがニューヨークのようだと、味気のない北京になってしまうだろう。
 二鍋頭をご存知か。北京どころか中国で一番有名な庶民の白酒ブランドだ。これの発祥の地が、この前門にあった。1680年から醸造してきたという。一人で歩いていると、何やら声をかけてくる娘さんがいる。会話が出来ないため、しばらくすると立ち去ってくれる。
<ハミグワの切り売り>
 東京ではスイカの切り売りが流行っている。値段が高いためだ。ここでは新疆で採れるハミグワだ。これを切り売りしている。新疆ウイグル自治区を、千葉県の仲間10人ほどで旅をした時、道端に山のように積んであったものを腹いっぱい食べたものである。本場の熟したハミグワは絶品だ。
 新たな食堂街が建設中であることも、今回確認できた。前門の近代化はこれからも拡大するようだ。
 前門から天安門広場を通り過ぎて王府井に出た。こちらの方が観光客の人数が多い。路上の店でアイスクリームを買って、そこの椅子でしばらく休息して、地下鉄に乗って戻った。歩き疲れた。いつもの観光スポットに変化はなかった。
2012年10月2日記