本澤二郎の「日本の風景」(1233)

<日米韓の民度
 極右・安倍晋三内閣が本日12月26日に発足する。選挙敗北で下野した民主党は、反松下政経塾海江田万里を代表に選任した。反対に自民党4役には、皇国史観論を吹聴するような松下政経塾議員が、安倍の肝いりで政策担当者に就任した。ワシントンの大統領選挙は民主党リベラルのオバマが再選。韓国大統領選は、僅差で与党が勝利を収めたが、野党候補の善戦も目立った。日米韓の民度を比較すると、どうなるだろうか。


<権力の源と民意の攻防>
 その国の民衆のレベル・民度を測定する場合の物差しは、何かであるが、それは権力の源と国民・人民の関係性がどうか、に目を向ける必要がある。主権者が実質、主権者であるのか、それとも形式だけのものなのか、を確認する必要があるのである。
 権力の源が一人の独裁者である場合は、きわめてわかりやすい。シリアのアサド大統領はその典型であろう。現在、自由を求める市民が決起、最後の攻防戦を繰り広げている。独裁が民主に取って代わるのは、時間の問題だろう。
 そこで、多くの民主国家にしても、体制や形式的には市民・国民が主役だが、実際は違っている。ワシントン・ロンドン・東京にも、人民が主人公だと認識出来ないだろう。表向きはそうだが、彼らが権力の源ではない。
 実際問題、資本主義社会では、莫大な資産を牛耳る財閥・多国籍企業に権力は握られてしまっている。民主主義は形骸化している。民主主義は彼らによって押しつぶされてしまっている。人々は選挙によってさえも、民意を反映させる能力を有していない。

 政府宣伝やマスコミに大きく依存してしまっている。マスコミを操作する巨大資本・財閥によって、選挙は民意を正確に反映出来ていない。12・16総選挙で圧勝した自民党は、全有権者の10%台の支持しか受けていない。
 同党は2009年の総選挙で大敗北を喫した時よりも得票を減らしながら、それでいて300議席近い議席を確保している。選挙制度のカラクリが幸いしているのだが、そのことをマスコミは隠している。8割以上の国民が支持していない自民党なのだ。民意が全く反映されていない自民党なのである。
 権力の源が国民にあるというのは、日本において全く幻想に近い。政治不信の常態化が進行している不安定社会なのだ。
<1%に屈しなかった米国>
 アメリカはどうか。先の大統領選挙は富豪・1%の代表である共和党ロムニー候補との決戦を、民主党リベラルのオバマが制して、再選を果たした。
 これは1%に屈しなかったアメリカ国民といえる。アメリカの権力の源泉は、多国籍企業・1%の富豪である。1%にかしずく99%である。1%の猛攻をかわした99%だった。
 しかし、だからといって民意が100%貫けるわけではない。1%はいたるところに網を張っている。おいしい経済利権は全て1%によって掌握されている。ワシントンの力の源泉である産軍複合体は、さしずめ1%の塊のようである。軍事・外交政策は1%が独占している。
 ケネディはこの1%に挑戦して暗殺されてしまった、と筆者は分析している。むろん、オバマもここに手を触れることは出来ない。ワシントンの対日政策は、そこから生み出されてきている。沖縄の不条理に手も足も出ない日本政府とオバマ大統領なのだ。
 しかし、ギリギリのところで、アメリカ国民は1%の代表でないオバマを選択した。ここはアメリカン民主主義が、日本や韓国よりも、先行している何よりの証拠であろう。
<財閥に一撃を加えた韓国>
 韓国はどうか。財閥で動いている韓国経済を否定する内外の専門家はいないだろう。財閥が前面に出てきて政党・政治家を支配している。権力の源泉が表に浮上して、国民の目にさらされている。
 ここは日本と比べると、はるかに民主的であろう。与野党の背後を財閥は固めて、攻防を繰り広げている。政権が変わると、財閥も捜査当局の捜査対象にされる。
 先の大統領選挙で、財閥のありようが与野党候補によって問われるものとなった。日本では想像も出来ないことだ。
 野党は財閥の規制・改革を強く叫び続けた。これには与党候補もある程度、前向きな姿勢を打ち出した。結局のところ、財閥規制に穏健な与党候補が勝利したが、野党候補の一撃は有益だった。
 韓国の権力の源である財閥は、行儀よく振舞わねばならなくなっている。民意は、日本に比べると、はるかに貫かれている。韓国の民主主義は日本を先行しているのである。
与野党とも財閥批判>
 韓国経済の活力は財閥にある。ここが問題なのだが、しかし、国民はその正体のいくらかを認識出来ている。財閥に牛耳られる政治だが、そこに大衆の批判が集中している。
 それでも財閥は、政治権力を背後で仕切って暴利をむさぼっている。民衆のつきあげも比例して大きくなる。それをマスコミも多かれ少なかれ代弁する。捜査当局も無視できなくなる。
 政権の交代時になると、財閥の腐敗が当局によって暴かれたりしている。韓国の財閥は、政治の実権を握りながら、しかし、一方で国民の監視と捜査権に怯えることもある。
 財閥規制が政治公約に浮上する韓国の民度は、日本より高い。アメリカとの自由貿易協定は財閥の意向で強行されたが、民衆の怒りは増大して、そのことが与党候補を接戦に追い込んだものだろう。
 とはいえ、財閥の力は絶大である。今回の選挙結果が物語っている。
<財閥に完敗した日本>
 日本は言及するまでもない。財閥の手のひらで与野党が攻防を繰り広げるだけである。双方とも、財閥の金を頼って選挙戦を戦っている。それを当たり前のようにしている政党ばかりだ。
 そもそも政党の公約は、財閥の意向を反映したものばかりだ。ワシントンと財閥が推進するTPPに真っ向から反対した政党は、小沢の未来と日本共産党くらいだった。
 そもそも財閥政治に批判的なはずの後者でも、財閥という文字を使っていない。不思議な現象である。財閥を大企業と称して、問題を矮小化させている。そもそも財閥とは、政治に影響力を与える巨大企業群を指す。日本の権力の源である。
 三井住友と三菱が巨大財閥だが、傘下に中財閥・小財閥がひしめいている日本の財閥群である。ここにメスを入れない限り、日本の民主主義の確立はありえないだろう。
 声を大にして叫びたい気分だが、それがゼロの日本である。議会・司法・行政・言論も学会など全てが財閥に絡め取られている。財閥は霞が関の官僚を悪用して列島の隅々まで支配している。
 12・16総選挙で財閥は、国民の支持を得られなくなった民主党を放棄して、自民党の復活にかけた。それを、マスコミを使って、民意を翻弄させて見事に成功した。といっても、自民党に支持の1票を行使した有権者は、2割にも達していない。
 恐ろしいほどの選挙制度だが、それを報道して世論喚起をしないマスコミである。財閥の縛りに屈してしまっているからだ。
<最悪の日本民度
 アメリカでは1%NOの市民運動が全土に広がった。まだ記憶に新しい。オバマ大統領は富裕層への課税強化を公約して再選を果たした。1%への挑戦は続いている。ネット社会が、そうした民主化を促進させている。
 壮大な格差社会が、1%を突きあげているといっていい。それは韓国にも言えるだろう。財閥と中小企業の格差はとてつもなく大きい。そこでの労働者間の格差も同様である。
 財閥が政治課題の争点になっている。権力の源が監視される韓国である。

 日本はどうか。財閥という文字さえ学会・マスコミから消してしまっている。異様なのだ。学問として研究対象からはずされている。日本人も財閥のことを知らない。日本共産党も、である。
 日本では権力の源泉を誰も知らない。知ろうともしていない。言葉・文字から消えてしまっているのだから。留学生は日本人の知らない財閥など知るわけがない。
 本物の日本研究を、日本人はしていない。いわんや外国人も。
<内外研究者にカツ>
 あえて声を荒げて訴えたい。日本の権力の源泉は、戦前も戦後も財閥である。戦後久しく財閥起用の経団連会長は存在しなかった。内外の研究者の目をくらますためだった。数年前、今の米倉という会長が誕生した。住友財閥出身者である。戦後60数年を経て、財閥のレールに乗った人物が、初めて公然と経団連支配を開始した。
 米倉発言に野田もそうだったが、今の安倍も一喜一憂している。目をこらさなくても、誰でも観察出来るだろう。そろそろ内外の研究者にカツを入れなければなるまい。筆者の思いである。
2012年12月26日6時15分記