本澤二郎の「日本の風景」(1288)

東芝の素顔>(その十六)
 三井住友財閥傘下の優良企業である東芝は、優良企業宣伝のためにか、社会的責任を内外で吹聴している。それをまともに信じ込んで、13億の中国人に宣伝した中国・国営新聞記者も現れている。狙いは原発の売り込みだというのに。その東芝は3・11の史上空前の福島大惨事に対して、2年も経つのに未だに沈黙している。それどころか、平然と原子炉の売り込みに安倍内閣を背後で動かしている。他方で、莫大な広告費でもって新聞テレビを買収、真実の報道を封じ込めている。これら驚愕すべき対応は、財閥文化なのだろうが、ひょっとして、その影響を受けている日本人もいるかもしれない。



<「憲兵だった父の遺したもの」>
 滅多にないことだが、昨日、近くの図書館を覗いて本を借りてきて斜め読みした。倉橋綾子さんの書いた「憲兵だった父の遺したもの」(高文研)。既に彼女の「永い影」を読んだ後だけに驚きはない。
 とはいえ、彼女の見聞してきた元憲兵の父親と家族、親族の生きざまから、改めて極端とも言えるゆがんだ日本人精神に衝撃を受けてしまう。
 父親は自らの過ちに苦しめられ、それを明かすことなく亡くなってゆく。その苦悩を娘に遺言することで、最期の勇気を振るったのだが。これに学生運動経験者の元教員の娘も覚醒して、中国への謝罪の旅を敢行する。

 アメリカのベトナム戦争での残虐行為は、すぐに新聞の活字になり、映像化されて世界に伝えられている。日米文化の落差は、いかにも大き過ぎる。日本では南京大虐殺の映画はない。中国での制作映画も上映できない。狂った異様な社会である。「最高責任者の天皇が罪に問われない。だから下々が責任を取る必要など無い」と開き直る日本人が多数である。敗戦後も昭和天皇は、のうのうと引き続き日本の象徴として生きた。
 ワシントンの巧妙な対日政策とはいえ、日本人自ら進んで天皇に責任を取らせることが出来なかった。1億総懺悔という屁理屈で誤魔化して今日を迎えている。日本人のゆがんだ精神は、財閥と政府・議会・司法が継承している。そんな日本を、アメリカの知識人は「アメリ占領政策で日本が一番成功した。日本は民主主義の国となった」と吹聴しながら、事実上、日本属国に自信を見せている。これに屈する右翼たちである。
 主権者である3権の代表者も、無責任な天皇精神を日本文化として受け入れているからたまらない。ドイツと比較すると、いかんともしがたい落差だが、隣国にも多少の責任がある。フランスやポーランドのような対応をしなかった。しっかりとした責任追及が不可欠であることを、韓国は今ようやく気付いてきている。
<無責任な文化>
 目下、欧米の新聞は安倍の歴史認識に強い反発を見せている。オバマ大統領の怒りも相当なものらしい。それもそうだろう、1945年の史実に反撃を開始する日本国首相なのだから。
 責任を取らない社会では、偽善的為政者にとって、この上なく好都合なことだろう。何をしても許される社会は、人類史上初めて誕生したことになる。偽善と欺瞞がはびこる社会でもあろう。

 公害を垂れ流して住民を殺害しても、裁判所は被害住民に味方してくれなかった。今も継続している。法の下の平等は、財閥やワシントンに逆らう者には適用されないようだ。さしずめ小沢事件はこの口だ。
 本来であれば憲法の危機なのだから、法曹界が挙げて批判を繰り広げる義務があるのだが、日本にはそうした雰囲気さえない。常識が通用しないエリート社会である。怪しげな口舌の徒が幅を利かせる社会なのだ。

 45年の時点で天皇退位論は存在した。ワシントンの意向に喜んだ天皇に衝撃を受けた帰還兵はいたのだが、それは政治の主流にならなかった。無責任社会は為政者レベルで浸透してしまった。それは官僚の天下り先である財閥で、より深まっていった。
<反省と謝罪のない文化>
 何をしても責任は取らない、取らなくていい社会では、従って失敗しても、間違っても許されてしまう。反省と謝罪のない文化の確立である。

 東芝は福島3号機の核爆発について、一言も発していない。隠れてしまっている。沈黙は金といいたいのだろう。こうした不条理が通用する社会では、法治主義も建て前でしかないのだ。
 無責任・無反省・無謝罪の日本社会は、従って特に日本の上層部で盛んに起きている。「嘘を突けない人間は政治家になれない」という現実に戸惑う外国人ジャーナリストは少なくないだろう。最近の例では、野田佳彦にその典型を見ることが出来るが、実際はほとんどの与野党政治家においてもしかり、である。与党に塩を送る財閥はもっとひどい。日本は強いモノに味方する文化でもある。

 民度の低さも災いしている。「医師失格」(長崎出版)の執筆の際、取材して判明したことは、日本の医療現場では嘘と隠ぺいが、正に日本文化になっている、と専門家に指摘されて驚いた。司法の分野でもそうなのだ。
 人間の命が奪われる医療事故が頻発して当然なのだ。それは東芝・財閥病院で際立っている。其の事は、TPP導入後の日本の医療が株式会社によって支配されると、さらに悪化することになる。断言したい。
<偽りと開き直り>
 反省も謝罪しない社会では、偽善者や口舌の徒が幅を利かすことになる。問題を起こしても開き直る。実に始末のおけない社会だ。
 背後での、腐敗資金も効果的に働いている。たとえば3・11後に開かれた議会で、自民党から共産党までが人災の東電に対して、真っ向から立ち向かうことが出来なかった。新聞テレビも、それをよしとした。不思議日本である。
 原子炉メーカーを追及する議会人は一人もいない。新聞テレビも取材を回避している。東芝などは、あえて開き直る必要もないほどである。それに満足する東芝なのだろう。
 ただ、そうはいっても、現代はグローバリズムが地球を覆い尽くしている。3・11は地球の全てで報道されている。その恐怖は尋常ではない。喜んで原発を受け入れる国も国民もいない世界だ。強行すれば、必ず住民が反対運動を起こすだろう。
 東芝など日本の原子炉メーカーの壁は、現地の住民である。海外では嘘や隠ぺいは通用しない。時代は21世紀である。人間は自然エネルギーで十分生きていくことが出来るのだ。
<繰り返す恐れ>
 無責任・無反省・無謝罪の社会では、同じ過ちを必ず、また繰り返すだろう。100%はともかくとして、99%の確立で起きるだろう。

 3・11は広島と長崎の教訓を学ぼうとしなかったツケである。核は人類・地球と共存することは不可能である。

 話を戻すと、元憲兵は人生の最期で謝罪しようと決意したが、それが出来なかった。娘に託すしかなかった。侵略戦争の真実を明かせなかった。日本人として悲しい。ほとんどの元日本兵は全てを墓場に持って行った。反省と謝罪のない無責任文化の悲劇は被侵略国と人民だけではない。この日本に今も、これからも襲いかかってくるのである。
 極右首相の誕生と彼の発言と行動と、彼にこびりつく財閥・東芝にも言えるだろう。財閥が塩を送り、被害国民の傷口には塩を、これでもか、これでもかと擦り込んでいる今の日本である。
2013年5月1日20時05分記