本澤二郎の「日本の風景」(1293)

<財閥支配の日本>
 日本政治の現場を40年余歩いてきて手にした成果というと、それは財閥が支配する日本という真実である。今は筆者一人だけの分析だが、いずれはこれが日本の常識になるだろう。其の時は財閥も、憲法やその他の法規制の対象となる。暴利・特権にもメスが入るだろう。其の時が日本に民主主義が、実質的に誕生する日である。



 民意の反映がされない日本に気付いた日本人は、それがどうしてなのか、真剣に考えてゆけば理解出来るようになるだろう。
 3・11以降の日本政治の無様な対応を検討するだけでも、あるいは小沢退治の周辺を追いかけるだけでもわかるだろう。
 史上最大・最悪の東電原発事件に対して、全く作動しなかった捜査当局、東電追及をまともにしなかった自民党から共産党までの議会、人災取材に突進しなかった新聞テレビ、嘘の情報垂れ流しの政府のことを見聞するだけでも、分かるはずである。
 政治家捜査は、確たる証拠を手にするという慎重捜査の上で、検察庁は始動する。証拠が不十分な見込み捜査などしない。してはいけない。それは政治家が国民の代表であるためだからである。
 小沢事件はそうではなかった。3流国の権力闘争の延長線上で繰り広げられた。ワシントンに反旗を翻し、財閥の意思に反したからである。
<極右が大好き>
 財閥は政治を動かす日本権力の源である。三井住友と三菱がその代表格である。戦前も彼らが侵略戦争の、本当の主役だった。官僚・軍部・政治家を手なずけての資源略奪戦争だった。
 ブッシュの大義のないイラク戦争もほぼ同じである。1%の指令に従ったものだ。1945年当時のワシントンは、それゆえに財閥を解体した。しかし、復権した財閥は過去を悔い改めることはしなかった。歴史認識の狂いは天皇一家だけではない。自民党右翼議員だけではない。石原や橋下だけではない。今では財閥は、1億2000万人の日本人の考えを左右できる力さえ持っている。新聞テレビも彼らの僕(しもべ)同然なのだから。
 戦前の財閥は、天皇国家主義の下で容易に野望を実現出来た。形式的な民主体制化の下での戦後でも、自らは尻を隠してそれを演じている。この構造的な根深い権力実態を、巧妙にも平和憲法で覆い隠して、今日を迎えているが、最近は衣の下の鎧兜をちらつかせている。
 今の自民党は、かつての自民党ではない。右翼的な原発推進派の政治集団と化している。大将は極右の遺伝子を持つ人物だ。他方、オバマに敵対するワシントンのネオコンも、戦争放棄の9条が邪魔だ、と言い出している。好機到来と認識している財閥なのである。
<戦争の出来る日本改造>
 極右の復古主義と財閥の意向は合致している。間違いないだろう。財界人にリベラルな、平和主義的な者は、戦後の一時期見られたような見識者はいない。
 歴史は、暴利集団が武器弾薬を背景に進軍、資源の略奪をしたことを裏付けている。武器弾薬を利用する宗教さえも存在するのだから、これは不思議なことではない。
 「アメリカのようになりたい。そうして暴利を手にしたい」という野心は、多くの国の経済人に見られるが、争いはこうした輩によって引き起こされるものだ。
 正式な軍隊を持ち、戦争可能な日本にしたい、強い・美しい日本にしたいという安倍の野望は、財閥の思いと共有している、と認識すべきだろう。平和を愛する人類がもっとも警戒する点である。隣国にも同じ不安を抱える市民・人民は少なくない。
<過去を学ばない暴利・特権・1%集団>
 間違ったら・失敗したらどうするか。人間は反省する・謝罪する。これの連鎖で社会は前進するものである。欧州ではドイツが立派に、この当たり前の人間としての約束事を果たした。
 3・11原発惨事を即座に政策に反映させたのもドイツである。ゲルマン民族の優秀さを物語っているようだ。日本人に出来ないわけがない。
 根ッ子は財閥にある。過去を徹底検証しない・させない財閥の存在である。
 一つだけ小さな思い出がある。広島・長崎の厳しい現実を学んでいなかった筆者は、宇都宮徳馬が主宰する「軍縮問題資料」に掲載された被爆児童の姿にがく然とした。
 被爆で皮膚が垂れ下がる無残な児童が、それでも大地に立ち上がっているという写真を、筆者は新聞に掲載して被爆の恐ろしさを読者に知らせた。しばらくして社長からクレームがついた。財閥スポンサーの圧力に屈したのだ。
 被爆の本当を、多くの国民は知らない。知らせないようにしてきたのだ。今もこの決断をよかったと思っている。そのお陰で、新聞の黒幕の正体を知ることが出来たのだから。
 財閥は過去の教訓を学んでいない。同じ轍を踏もうとしている。極右との連携で戦争の出来る日本改造を実現しようとしている。政治家を手玉に取れる特権利用だ。1%の強欲集団に反省も謝罪もない。
2013年5月8日8時55分記