本澤二郎の「日本の風景」(1296)

<政治家の病は隠すべきか>
 昨日、友人ジャーナリストとおしゃべりしていて、いくつかの疑問が噴き出てきた。例の安倍・国粋主義者と断じた米連邦議会事務局の報告書は、5月1日に公表されている。東京新聞がいち早く報道したのだが、それは公表から10日近く経っていた。なぜ遅れたのか、遅らせたのか。



 もっとも大事な記述である安倍は、ナショナリスト国家主義者)、安倍はストロング ナショナリスト国粋主義者)である重大な記述を、伝えようとしなかった。東京新聞も権力に屈したのか。
 そして、新聞テレビの隠し報道の最たるものは、安倍の病気について、である。
<NHKと安倍の共闘>
 日本国民は、税金で首相公邸を用意して、適切な仕事を瞬時にこなせるように配慮している。その公邸に入らない、入ろうとしない安倍に疑問を抱いている。このことを新聞もテレビも報道しない。
 不思議な日本である。隠しごとがありすぎないか。その極め付きが安倍の持病である。彼はNHKの国会中継に神経をとがらせている。時々、便所に飛び込むからだ。彼の持病がそうさせている。軽くはない。
 これについてNHKと安倍の間で、ある種の合意がなされているのだという。彼が左手を少し挙げる。瞬間、NHKカメラマンは、レンズ角度を変えて安倍のトイレの様子を知らせないようにしているという。

 安倍とNHKは、彼が小泉内閣官房副長官時代に攻防戦を繰り広げた。日本の侵略戦争を女性の目線で裁判にかけるという、至極まともな報道取材を止めにかかった。まさに国粋主義丸出しで、NHKの報道現場に入り込んで、事実上の検閲を行った。
 NHKは屈してしまった。以来、両者は蜜月関係にあるらしい。安倍の負の報道を自主規制しているのである。NHK会長は安倍好みの右翼経済人が就任している。公開が原則の21世紀であるというのに。
<病と精神>
 政治家の病は公開されなければならない。国民のための政治を果たすためだ。隠してはならない。其れを日本の新聞テレビは、自らを縛って報道しない。これは間違いである。
 病の宰相に身を任せていいものか。国民の運命を担っている最高責任者に隠しごと、とりわけ病状の隠しごとは許されない。
 病気持ちは精神が狂う。平常心を維持できなくなる。正常・適切な判断能力を喪失する。
 病を止める劇薬は、大きな副作用を伴う。これがさらなる精神・判断力を狂わせることになる。病気持ちに運命を任せられる余裕など、この日本にない。
 アベノミクスの副作用は、いたるところに現れている。急激な円安政策は、経済活動を狂わせる。輸出向けの財閥はもうかるが、他方で国民や国の資産は減少している。不況下の物価高は家計を直撃する。輸入大国が最も警戒しなければならないことだ。それを強行する安倍と黒田の責任は重大であろう。
 こうした市民の切実な悩みなど、しかし、病気持ちにはわからない。
<危うい安倍>
 安倍の悪しき悲願は、戦争の出来る日本改造である。これも民衆の声を代弁していない。
 そのために夏の参院選で圧勝しようとして、集票にもっとも強力な宗教団体を抱き込んでいる。従って、隣国から欧米までの国際社会が警戒する歴史認識や、戦争嫌いの市民が警戒する改憲軍拡路線は、背広の奥深くしまいこんでしまう。これが安倍作戦の基本となっている。
 だが、国会論戦で安倍は、ナショナリストの本領をちらつかせる発言を繰り返し行っている。とうとう同盟国から「国粋主義者」との深刻すぎる評価をもらってしまった。

 今のワシントンにブッシュはいない。リベラリストオバマである。韓国の女性大統領は民意を背景に行動している。岸信介の孫のような政治など取る考えなどない。大統領就任式に安倍訪韓を断っていたではないか。

 この不況で欧州にも極右が蠢いている。これに政府も市民も総力を挙げて封じ込めに必死である。こうした目線で、日本の急激な円安政策を見つめている。
<危うい公明党
 誰も指摘しないのだが、危ういのは安倍にぶら下がる公明党である。同党の理想と安倍のそれは、天地ほどの開きがある。しかし、権力欲しさにぶら下がっているのだが、それが民衆のための政党といえるのかどうか。
 戦争する日本改造に手を貸す公明党を、評価する隣人も隣国もいない。安倍の過ちを指摘する連立政党であるべきだ。言うことを聞かなければ、さっさと離脱しなければ、支持者どころか国民に対して申し訳ないだろう。
 NHKのように安倍にぶら下がって、日本丸の航路を狂わせるような政治と決別してもらいたい。主権者の声であろう。
2013年5月11日8時50分記