それはブロークンアローとなることだろう。第三の矢の顛末。

黄泉の国から   「岩下俊三(旧姓)のブログ」からリユーアル


キャッチフレーズは何でもいい。だれも信じる必要もない。でも口実ときっかけさえあれば博奕のゼニは儲かる。しかしながらどうせ嘘の花火ならもっと派手にやればいい口実になると思えるのに、結局第三の矢に新鮮味がなくどうせダメなら思い切って所得倍増や三倍増でもぶち上げればよかったのかもしれないと思わせてしまった。矛盾は最初から織り込み済みであり、どうせ出来ないと分かっている経済成長戦略なんだから150万円所得が上がりますよなどというしみったれた嘘をついても無駄だったということだ。

どううりで安倍演説直後に市場には失望感が広がった。今後も株は乱高下するであろうが今後数十年16000円が限界のミニバブルだったと語り継がれ、その天井価格を当分人々は懐かしむことだろう。もう決して株高価格が訪れないのだから。

少子化で成長する筈もない経済を持続可能にするべく根底的な強欲資本主義の競争をなくし、なだらかな停止に向かって知恵を絞るしか成熟した老大国に残された途はないのに、むりしてミニバブルを起こそうと画策しても深みにはまるだけである。それより老人が若者や近所に頼るよう、老大国は近隣諸国親善と世界動向のながれに任せて豊かな老後を工夫することが健康な長生きの秘訣であろう。にもかかわらず近隣諸国との軋轢を先鋭化させ核拡散防止という世界情勢を読み違え、老大国の行べき道に逆行している安倍晋三はまったく国を危うくしていると言わざるを得ない。

彼が目的意識的に危険を選択しているというのなら別に構わないから、運命ならしゃあないので地獄の辛苦でも味わってやろうじゃないかと僕なら諦めがつこうというものだ。しかし地獄への途は嫌だと思っている大半の日本人はそう思っていないし安倍晋三自身がそれに気が付いていないと思われる。なぜなら彼には自己崩壊の美学を考える頭脳がそもそもないからだ。

第一白川から黒田に日銀総裁を取り替えた理由が「異次元の金融政策」という非常識な方法であり、本来物価の番人である日銀の機能をインフレ推進に方針転換させたということ自体が晋三がいかに経済音痴(その前に彼は内臓だけでなく頭も悪いのだが)であるかを物語っている。黒田も金融緩和とインフレ政策の矛盾を熟知していながら裸の王様に気にいられ自己利益と地位を手入れるために「王様のお着物はご立派にみえます」と言い募ったのである。官僚にとって宦官にとって一番都合のいい殿は「馬鹿殿」に限るのであるから人民がどうなろうと知ったことではないというのが江戸時代からの習わしであったのだ。

猿でもわかるようにいえば、金融緩和とは日銀による国債の買い入れであり当然これによって金利を抑えようとする。一方インフレとは金利上昇を伴う。100円で買えたものがインフレで110円払わないと買えないってことは
銀行金利は最低でも10%以上なければやっていけないことになる。一方で国債金利を下げようとする政策があり、一方でインフレ政策によって金利国債金利市中銀行も)上がるのだから、つまりブレーキとアクセルを同時に踏み続けるということである。これを矛盾と言わずして」なんという。

機械の構造(自動車)に矛盾した操作を行えば当然車は壊れる。同じように矛盾した経済政策を続ければ国内経済は大混乱に陥る。今起きている株価の乱高下や為替の乱高下は市場が安倍政策の矛盾に混乱している証拠であるがこれがその何倍も巨額な取引の国債市場に及ぶとき、日本経済の崩落は決定的になるだろう。
今頃になって黒田総裁が青くなり「国債市場はアンコトロールですから」と言い訳しても、もう遅い。

異次元の政策は異次元の結果をもたらす。「リスクを取る」という日本の文法を無視した言葉を流行病のように軽々に使うから付和雷同するばかも出て来たのだろうけれど、基本的な社会改革(革命と言えるほどの)に本気で取り組む気がないのだということが今回の安倍の「成長戦略」の中身でよく分かった。それでものうのうと「これを実現するためには政治の安定が」と言っている。

馬鹿の言う政治の安定とは参院選でねじれをなくし一党独裁にすることであるが、もしこれを実現したならば、やはり国民もバカというより他はない。または好んで地獄の辛苦を喜ぶマゾ集団を日本民族と呼ぶしかないであろう。