本澤二郎の「日本の風景」(1322)

<政治を手玉に取る財閥>
 日本の権力の源泉は、政党や政治家ではない。霞が関の官僚でもない。ましてや主権者である国民では全くない。ずばり大手町に巣食う財閥である。とりわけ三井と三菱のそれが突出している。日本政治の針路は、悲しいかな、この財閥によって事実上、確定している。このことが理解できないと、日本は見えてこない。財閥が背後で、政治を手玉に取っているのだ。戦前も戦後も、である。多かれ少なかれ、近代国家においては、この方程式が貫かれている。さらにいうと、日本の重要な内外政策にはワシントン・CIAが深く関与している。



<財閥に養われる政党・政治家>
 日本は、学校で教えられているほど、そんなにすばらしい国ではないことがわかろう。権力の源泉を、憲法が明記している国民・市民にすることが、日本の最大の政治課題なのだ。財閥から権力を、本来の民衆に取り戻すことなのである。これこそが真の市民革命を意味する。

 小泉内閣ご意見番だった松野頼三が、中曽根康弘を「富士山」と酷評していた。それは遠目には美しい山である。近付くと、岩や石がごろごろしている荒れ果てた普通の山である。実に適切な中曽根評である。この富士山が、本日世界遺産に登録された。
 要するに、物事に限らずこの世の全ては、角度や距離によって、評価は変わるものである。政治ジャーナリストである筆者の最大の欠点は、財閥について軽視してきたことに尽きる。政党・政治家を隠れて養っている財閥から、目をそらせてきたわけだからお話にならない。新聞テレビも財閥に盾突くことなどできない。
<21世紀の市民革命>
 宇都宮徳馬のいう「50、60は鼻たれ小僧」を裏付けている。マルクスのような人物が日本にいるとすれば、市民・国民革命を主導するのではないだろうか。
 数年前からの中東の市民革命は、未だ成功をしていない。トルコやブラジルの市民の怒りのデモも、一種の市民革命を目指しているものだろうが、警察力や軍事力に対抗するのは容易ではない。
 本物の革命は、非暴力無血の抵抗運動によって実現出来るもので、ここがマルクスとの違いだ。21世紀の革命は、財閥や1%から軍事力・警察力を民衆の側が奪取することでもあろう。目標がはっきりすれば、10年、20年で達成することが出来るだろう。人間の智恵である。
<西室が郵政の社長だった!>
 こんなことを書く気にさせたのは、昨日の安倍の日程に忘れかけていた東芝西室泰三の名前が記録されていたからである。小泉純一郎内閣を自由自在に操った財閥の代表的人物で知られる。
 東芝は三井傘下の財閥として、既に経団連に2人の会長を送り込んで政官界を操ってきた。西室は小泉内閣の下で、郵政民営化や日米経済関係に影響力を行使してきた。
 郵政民営化は三井や三菱、さらには米金融機関の意向でもあった。むろん、原発政策も、である。三井・東芝の利権が政府の政策に反映されたと、筆者は分析している。
 西室は政府機関の重要な複数機関に関与して、財閥の意思を具体化させていた、と見られている。この間に、東芝米原子炉メーカーのWHを買収した。小泉内閣はブッシュの2つの戦争に加担した。
 だが、2009年の総選挙で自公政権が敗北すると、小泉内閣安倍内閣と共闘していた西室の野心に変化が起きた。
経団連会長になれなかった西室>
 西室の野心は経団連のトップに座ることだった。小泉内閣の後継内閣が安定していれば、それも夢ではなかった。彼の意向に自民党政権は従うことになっていたのだから。
 結論からすると、東芝の人事抗争や経団連内の事情も災いして、彼の夢は実現しなかった。小泉は政界から去った。安倍内閣も短命で終わった。西室の前途は危ぶまれてしまっていたのだが、昨年12月26日の予想外の選挙結果とその直前の自民党総裁選挙で、安倍が再選を果たしたことで、事態は一変、西室を浮上させたのだ。安倍の2つの勝因は、CIAと財閥の支援だと筆者は分析している。
 総選挙では、原発ゼロの世論だったが、反原発派はほとんど落選した。不正選挙が大がかりに実施された状況証拠である。総選挙と同時に実施された都知事選では、原発推進派・核武装派の石原慎太郎の後継者が、なんと430万という空前の得票で当選している。ここにも不正選挙の疑惑が浮上している。

 安倍内閣の誕生で西室は、まんまと郵政の社長に就任していたのである。知らなかった。東芝・三井と安倍内閣の深い仲を裏付ける政略人事である。
<残るは勲章>
 金も権力も手にした財閥のボスの次なる狙いは、おかしな話だが、勲章なのである。こんなものに興味を抱くというのも不思議なのだが、財閥は天皇国家主義こそが一番暴利を手にすることが出来る政治制度だと認識している。戦前がそうだったし、それは今も変わらない。
 財閥のボスにリベラル派はいない。平和と民主主義を叫ぶ人物はいない。金もうけに集中している。その最たるビジネスが武器弾薬の生産である。改憲派震源地は財閥なのである。
 財閥関係者の最後の野望が勲章である。常識的な見方である。公的なポストが勲章の格を引き上げてくれる。そのための郵政社長なのである。
<後輩の原発屋も安倍側近>
 武器弾薬同様に暴利を手にすることが出来るビジネスが、原子力発電所なのだ。三井の東芝と三菱が、独立系財閥から日立が、これに手を出している。いうまでもなく原発は核エネルギーである。
 人間が操作できない代物である。安全神話を垂れ流し続けて54基もの原発を建設した日本である。どうして可能だったのか。財閥の意思に政界・官界・学会も言論界も従属しているからなのだ。ここに民意が反映されることなど無い。
 新聞テレビの腐敗はわかりきっているが、せめて日本共産党ぐらいは財閥に挑戦してもらいたかったのだが、相変わらず「大企業・東電」というレベルの批判でお茶を濁した。
 アメリカの電力会社は、三菱の原子炉のトラブルに損害賠償を求めることが、大きく報道されている。日本では東芝や日立・GEに損害賠償をするという動きさえない。
 財閥支配の日本を象徴しているのだが、誰ひとり問題提起をしない。不思議なのである。財閥にひれ伏す日本に民主主義はないといってもいいだろう。それどころか、安倍内閣は原子炉メーカーの売人となって中東・東欧・アジアに外交権を悪用している。西室の後輩が官邸の経済政策に関与していることは、既に何度も指摘した。
 西室復権から財閥の威力を整理した本日の小論は、いかがか。
2013年6月22日20時55分記
(6月21日のアクセス数は、前日の3499を上回って3860)