本澤二郎の「日本の風景」(1323)

政教一致に戻す国家主義はご免>
 「月刊日本」という雑誌7月号が自宅に送られてきた。名前からして右翼雑誌に違いないだろうが、政治記者時代の知り合いが主宰しているものだから、ありがたく頂戴している。そこに「皇道の理想を体現した陸軍大尉」という記事が載っている。東京帝国大学支那哲学科を卒業した皇道主義者、筆者流に言わせてもらうと天皇心酔主義者の死生観・戦争観を紹介している。それにしても「支那哲学科」という名称には恐れ入る。政教一致の戦前の狂気を、今に伝えている。



天皇に一命を捧げるは男子の本懐?>
 当時としては頭脳明晰な学徒と思われるが、出征を控えてのM大尉の神社での挨拶を、今年の5月に靖国神社で披露されたという。その挨拶がなんともすごい。こんな時代を生きなければならなかった若者の不運を嘆くばかりだ。
 「戦死するということは、人生本来の約束からみれば、それほど驚くべきことでも、またさして悲しむべきことでもありません」
 人生は短い。瞬く間に過ぎてゆく。2度とない人生を有意義に生きる。それが人間というものだ、という認識をしている多くの今の日本人にとって、大尉の死生観は受け入れられない。
 このような皇道主義が、戦前の日本を主導していたことに驚愕するばかりである。人間の命をいかに粗末にさせる宗教が、現在も宗教法人として存在してることに愕然とする。「天皇の軍隊」の狂気に驚く。さらに続く。
 「ましてや天皇の御為に、この一命を捧げますことは、日本男子の本懐であります」
 これほど虚しい言葉が、21世紀の日本で活字になるとは?それを靖国神社で英雄的に紹介宣伝したことに、正直うんざり、である。隣国・隣人の不安もわかろうというものだ。
 体罰ばやりの教育現場でも、こんなことを教えようとしても無理だろう。「オウム」はどうだったか?
 「我らは、ただ生まれては死に、死んでは生まれてゆく悠久なる人生の連鎖において、いかにして永遠の生きがいに生き、そうして不滅の死にがいに死ぬか、ということであります」
 ふとイスラムの若者のことを思い出した。自爆する彼らはどうなのか?日本の天皇国家主義の思想をM大尉の言葉が、非常に分かりやすく今日の日本人に伝えてくれている。
 狂気で片づけられない怖さがある。
<安倍政権は憲法改正再軍備愛国心
 同じころ「世論時報」6月号が届いた。こちらはややまともな雑誌である。安倍政権の目標を紹介している。
 憲法改正再軍備と事実をしっかりと伝えた文章である。国家主義の野望を、新聞テレビに代わって説明してくれている。このためには、日本人の精神・心を変えてゆかなければならないが、そのための教育に焦点を当てている。
 一足飛びに皇道主義・天皇心酔主義を教えるわけにはいかない。何処から始めるか。ここが右翼・国家主義の悪智恵が試されることになる。

 中曽根内閣は教育臨調を立ち上げて、戦争反対の日教組退治を強行したことは、よく知られている。愛国心を植え付ける道徳教育に悪智恵を発揮した。労働組合にも手を突っ込んで、右傾化させた。
 この中曽根・国家主義に追従しているのが、今の安倍内閣である。外交政策で隣国との緊張を煽り、他方で、教育で日本人の精神を変質させる、戦争する日本人にする、という野望をみてとれる。
<道徳教育で心を変える策略>
 「世論時報」は道徳教育の歴史について紹介している。参考までに引用してみたい。
 日本の道徳教育は明治5年の「学制」発布から始まる。儒教の「忠孝」である。天皇に忠、親に孝という忠孝思想が、後に前者に収斂されて、皇道主義となるのだろう。明治23年に「教育勅語」が発布され、天皇主義と愛国主義を基礎とする天皇国家主義が確立されてゆく、と筆者は分析している。
 戦後は「昭和30年に道徳教育強化の必要性が叫ばれ、道徳の時間が義務教育課程に持ち込まれた」という。田舎の学校で育った筆者は、幸い道徳の時間を知らない。
 この時期、財閥も戦争責任者も復活、政権の中枢に紛れ込んでいる。国家主義台頭の時期でもある。

 この辺りまで目を通して、先に進むのを止めてしまった。なんとこの記事のライターは「教育勅語」を評価し始めたからである。
 良い教えはどこにでも転がっている。しかし、儒教の本質は支配者が民を収める手段・方法を説いたものであろう。官尊民卑と男尊女卑に象徴される。人権主義が欠落している。
 中国革命の発端ともなった五・四運動は、儒教に対して批判している。毛沢東の唯一の成果は、女性解放にあると理解できる。アジアでは中国の女性が一番恵まれている。

 日本国家主義の目的は改憲軍拡にあるが、そのための人間改造を並行して推進する点に特徴がある。それが教育・偏狭な愛国心教育である。
2013年6月23日10時10分記

 今日6月23日は都議会議員選挙だ。昨日、民主党候補の宣伝カーが通り過ぎた。誰も振り向こうとはしなかった。駅前では維新の候補がわめいていたが、関心を示す都民は見られなかった。
 投票率は下がるだろう。組織候補は有利だ。