本澤二郎の「日本の風景」(1341)

宏池会の真髄はリベラル>
 自民党派閥をくまなく取材してきたジャーナリストにとって、民意をくみ取れる実力派閥の筆頭は、宏池会である。池田勇人が創設した政治集団で、自民党リベラル派を代表してきた。それも池田の後継者の前尾繁三郎大平正芳鈴木善幸宮澤喜一加藤紘一らが、国家主義を排する努力を積み重ねてきた実績は、自民党史に燦然と輝いている。これらリベラル派は、吉田茂を始祖と仰ぎ自民党保守本流を自負してきた。今このリベラル派閥が、岸信介を元祖と仰ぐ国家主義の清和会に染まってしまった。国家主義政権にワシントン・北京・ソウルが警戒心を強めている。




 そんな極右を支えている強固な宗教政党の存在に懸念も広がっている。日本
政治の変質を如実に物語っていよう。リベラルは、何よりも経済・貿易を重視する。人間・福祉を優先する。権力主義を排する。
 過去に、中曽根・国家主義に対して宮澤が対抗した。加藤は、森喜朗小泉純一郎国家主義に挑戦したが、不運にも野中広務の横槍によって敗れてしまった。権力を目の前にすると、多くの政治家は目がくらむ。野中の変身(森内閣)は予想外のことだった。そうして彼は幹事長を手にした。
 野中は、大事な日中友好派斬りに貢献してきている。小沢も彼の被害者なのだ。
日中友好宏池会の実績>
 アジア・中国重視は吉田茂に始まる。台湾利権に呑みこまれた孫の麻生は、そのことをまるで理解していない。賢い孫はそう多くない。
 吉田の後継者である池田内閣を支えた前尾と大平が、日中友好へと羽ばたくのだが、前者は健康維持に失敗した。石橋湛山同様である。田中内閣の外務大臣に就任した大平は、政権発足3カ月後に正常化を実現するが、自民党訪中団の代表には先輩の前尾を押し立てた。
 ところが、体調が悪い前尾は側近の小山長規に委ねた。帰国した小山は「西安楊貴妃の温泉に浸かってきた」と入浴中の写真を見せながら、子供のようにはしゃぐ姿を今も思い出すことが出来る。

 1979年の大平首相訪中に同行する機会を手にしたことで、筆者は初めて悲願の中国の大地を踏んだ。人民大会堂での答礼宴で、官房副長官の加藤が中国語であいさつしたことには驚かされた。この宴席で初めて本場中国料理を食べたが、料理のことは全く覚えていない。帰国後、加藤秘書の森君に頼まれて、加藤後援会向けの機関誌に記念の訪中記を書いたものだ。
 当時の国家主席華国鋒との握手の際の柔らかい手の感触は、未だに記憶している。ゴルフと無縁の大人だった。既に訒小平の時代に移行していたらしく、大平は副首相の彼と人民大会堂で会談を行っていた。改革開放政策に連動して、政府開発援助(ODA)を正式に申し出たのだろう。華国鋒は翌年の大平葬儀に、北京から飛んで来てくれた。
<伝統を喪失した岸田・宏池会
 大平の隠れた日中友好の秘話を筆者は、先年、亡くなった中国外交部OBの肖向前に聞かされて仰天したものだ。大平の日中友好大戦略を、大平が遺した北京外国語大学の日本学研究中心で講演する幸運を手にしたばかりである。学生の孫恵子が作成したポスターを記念にもらい、埴生の宿の襖に飾った。
 池田が創設した宏池会は、今もアメリカ大使館前の自転車会館にあるが、中味はない。宮澤が書いた宏池会の額はかかっているが、吉田や池田、前尾、大平、宮澤らのリベラルは、すっかり喪失してしまっていて、見る影もない。

 衝撃なことは、外務大臣をしている会長の岸田の父親を知っているが、穏健な人物だった。リベラルの信念はしっかり保持していた。防衛大臣の小野寺も宏池会メンバーと聞いたが、情けないことに二人とも安倍・国家主義の軍門に下って、お庭番のような仕事をしていて恥じない。これが悲しい。

 佐藤内閣で外相を務めた三木武夫は、対米政策(沖縄返還)で佐藤に噛みついた。岸田にそのような気配はない。小野寺もそうである。宏池会ナショナリストに屈してしまっている。二人とも右翼官僚の作成した文章をオウムのように繰り返すだけである。
 泉下の池田・宮澤の嘆きを知らないのであろうか。
<先人の成果をぶち壊す岸田体制>
 要するに、現在の宏池会には、先人が構築した伝統であるリベラルを忘却している。
 宮澤内閣が発足する日、特別に宮澤単独インタビューをして「総理大臣・宮澤喜一」(ぴいぷる社)を出版したものだが、彼に「宏池会とは」と尋ねると、即座に「リベラル」という返事をくれた。自由主義は、他者の自由にも配慮する。寛容・思いやりの価値を重視するものだ。当然、福祉や環境を大事にする。ほどほどの進歩主義で、権力主義や排外主義を排する。
 所得倍増論で一世を風靡した池田の最期の苦悩は、公害問題であった。池田秘書の木村貢から聞かされた。泉下の訒小平も同じ思いをしているだろう。

 リベラルの伝統が、現在の宏池会に存在していない。自然に足が向かなくなってしまったのだが、なんと今移転先探しの真っ最中という。アメリカ大使館前の都市再開発計画で、自転車会館周辺が大きく変貌するというのだ。
今のような宏池会であれば、名称を変えるしかないだろう。先人が泣いていることを、彼らに伝える必要を感じて、こうして書かねばならない。いっそのこと解散してはどうか。
宏池会の真髄はリベラルだ。権力主義・国家主義を排し、隣国と友好を旨とする憲法重視派閥である。岸派や中曽根派の暴走を止めてきた宏池会の伝統を復活させるというのであればともかく、そうでなければ宏池会を名乗る資格など岸田には無い。
<民意をくみ取る宏池会政治>
 池田側近の黒金泰美は、筆者に「宏池会は国民のコンセンサスを政治に生かしてゆく。民意を大事にする政治が宏池会」と解説してくれた。
 そこには極右・国家主義の考えは微塵もなかった。そんな宏池会に惚れたジャーナリストを、今も誇りに思う。

 宏池会の面々は、従って防衛や教育の担当を嫌がった。軍拡を拒絶した。愛国教育にNOだった。このポストは岸・福田派や中曽根派の右翼議員が占拠していたものだ。
 黒金は、東京帝大の金時計組・大蔵官僚のエリートで知られる。亡くなるまで本を手離さなかった勉強家だった。彼は武器弾薬を「おもちゃ」と表現した。「自衛隊は、おもちゃを欲しがって困りますよ」と言っていた。その言動を一人聞く機会を手にした筆者は、幸運な政治記者だった。
<岐路に立つ宏池会
 いま小野寺も岸田も、子供のように「おもちゃ」を欲しがっている。安倍のお友達になって楽しんでいる。恥ずかしいと思わないのか。日本にそんな金はない。税収の大半は政治家と役人の給料で消えてしまっているのではないか。
 宏池会は解散するか、それとも覚醒するのか。その岐路に立たされている。
2013年7月11日10時15分記