米国は明らかにうろたえている。安倍政権がこれほどの怪物的政権になるとは本当に予想していなかったらしい
「米国は明らかにうろたえている。安倍政権がこれほどの怪物的政権になるとは本当に予想していなかったらしい」 憲法・軍備・安全保障
岩上安身氏のツイートより。
先日から、角田房子さんの「閔妃暗殺」(文春文庫)を読み返している。
日本の公使三浦梧楼が首謀して、日本軍の軍人と民間の壮士らが韓国王宮に押し入り、韓国の王妃を惨殺した大事件のノンフィクションである。
昔、読んで戦慄した記憶のある、この作品をAmazonで買い直して、読んでいる。
日本の公使が指揮を取り、韓国王宮に押し入った部隊には民間人の壮士ばかりでなく、日本の正規軍と警察が加わっていた王妃暗殺のテロ事件。
欧米人の目撃証言が出たため隠し通せず、三浦梧楼らを日本に呼び返したが、誰も罪を問わず、この事件に関わったほとんどの人間が出世を遂げた。
公使という高官の関与が明らかで、軍や警察が殺害を実行し、首謀者も実行犯も誰も罪に問われないというおぞましい事件。
1895(明治28年)に起きたその事件後、日本は抵抗する義兵への武力鎮圧を続け、着々と韓国への支配を強め、15年後の、1910年(明治43年)に韓国併合。
韓国人にとっては忠臣蔵のような、誰でも知っている「国母」の惨殺事件を、日本人はほとんど知らない、自分自身もよく知らないことに衝撃を受けて、この本を書いたと、著者の角田房子さんは記している。
日韓の間に横たわる歴史認識の問題とは、こうした歴史的事実の認知のギャップに根ざす。
「わが国では、戦争責任者の追及も、戦後責任のとり方も曖昧で、これらは好まれない話題のようである。"曖昧"には、ぬるま湯につかっているような気楽さがある」と、角田さんはあとがきで書き、こう続ける。
「……しかし私たちはそこから脱け出して、過去の歴史に厳しく目を据え、歴史に問いかけ、その教訓に学ぶという謙虚な姿勢を持たなければ、日本の孤立はますます深まるのではないだろうか」と。
1987年に書かれたこの書から約四半世紀、26年経って、日本から「曖昧さ」は吹き飛んだ。
過去の侵略について「定義は定まっていない」と歴史の修正を図る安倍政権が歴史的大勝をおさめ、改憲の発議すら可能な議席を手に入れてしまった。
官界、財界、メディア、横並びで誘導した末の結果である。
そしてその背後に米国の影を見るのは難しいことではない。
だが、米国は、昨年末の安倍政権誕生の折から急速に日本に対して冷淡になり、アクセルと同時にブレーキを踏むような気配を見せ始めた。
参院選での大勝が確実視されるようになってきたこの二ヶ月ほどは、次々と「知日派」を送り込んで、警告を行ってきた。
彼らは、日本が歴史認識の問題で、不誠実さの象徴であった「曖昧さ」すら払拭してしまい、開き直りと侵略の正当化を行うなら、中韓とだけでなく、米国との関係も悪化する、と極めて強い警告を発した。
カーティスに至っては、米国との関係が悪化したらどんな政権も持たないとまで言い切った。
米国は明らかにうろたえている。
安倍政権がこれほどの怪物的政権になるとは、どうやら本当に予想していなかったらしい。
小沢一郎氏の、「米国は日本が忠犬ハチ公のままでいることを願っているが、安倍氏や石原氏ら、右翼政治家やその取り巻きを見誤っている」という言葉が、大きく響く。
日本は急速に国際的孤立を深めている。
国内で、漫然と過ごしているとそんな風向きの変化を感じられないかもしれない。
しかし、日本の戦後史の分岐点となる21日参院選の、その翌日22日に、ソウルで米中韓戦略対話という官民合同会議が開かれたことは、もっと注意を払われてしかるべきである。
中国への警戒を日経を通じて吹き込んできたCSISが、今度は中韓と一緒になってあからさまな「日本外し」に加わっていることに驚かないとしたらおかしい。
日本が目を吊り上げて右傾化するさまを、背中を押してきた連中が非難しているのだ。
植民地支配や侵略戦争の「閔妃暗殺」と並んで夏休みの読書感想文用にお勧めしたいのは、山中恒氏の「戦争ができなかった日本」(角川ONEテーマ21)。
「総力戦体制の内側」というサブタイトルを持つこの新書は、日本が韓国、次いで満州を植民地化し、侵略戦争の戦線を拡大していった真の理由を平易に解き明かし、いかに帝国主義的拡張が経済的に見合わないものだったか、明らかにする。
統制経済のトンチンカン、軍部の頭の悪さには気が遠くなる。
独占資本の膨張と共に侵略戦争は自動的に引き起こされるといったステロタイプなものの見方は、「戦争ができなかった日本」では、あっさり覆される。
軍部は満州を支配しながら、日本の資本の参入を当初拒んでいたのだ。
当然のように立ちゆかない。
満州において軍部は、自由主義経済ではなく、統制経済の壮大かつ愚劣な実験を試み、行き詰まってから内地の資本を導入する。
資源が足りないからと始めた侵略で、世界を敵に回すことになり、戦争のためにさらなる資源がいるからと、中国北部の資源を手にいれるべく対中戦争を起こす。
軍部は、中国北部に傀儡政権をうちたてて、紙幣(連銀券)を発行させた。
これを円元パー=1シリング2ペンスに固定し、円ブロック圏を作ろうとした。
これに対して蒋介石は、元を7、8ペンス台に落とした。
その結果、100円を手にした中国人が、為替差益を利用して五回転させれば2048円73銭を手にすることになった。
「これではいくら戦闘に勝って占領地域を拡大しても、通貨戦ではボロ負けで食い物にされただけだ」と山中恒氏は書き、負けた「一因は日本自ら作り出したのだ」と断じる。
日本人もまた、便乗した。
慰問視察などの名目で1000円を懐にして上海へ行き、英仏租界で舶来品を500円買いまくる。
残りの500円で中華民国の法幣を買って、北京、天津で円元パーのからくりで円に戻すと500円が1000円になる。
「まさに究極の金儲けお買い物ツアーだ」。
連銀券は「本質的には純然たる外国通貨でなく日本の金円の変形」なのであり、その「膨張は日本の債務が嵩むことを意味した」。
「日本は傀儡銀行の連銀に紙幣を刷らせ、その金で戦争をした。
余りにも身勝手なご都合主義は中国人には通用せず、通貨戦ではかえりうちにあって惨敗した」のだ。
振り返ってみれば、性根の腐った話であるだけでなく、あまりにも頭が悪い、愚かな話である。
戦闘を戦争そのものだと思いなすのは、子供っぽい勘違いに他ならない。
戦争には金がかかり、金を目当てに戦争を起こすのであり、その結果、金を失ってしまうのである。
夏休みの読書感想文用のもう一つのおすすめは、プロジェクトシンジケート叢書2「世界は考える」。
世界中の政治指導者や各界の知識人が論考を寄せる一冊。
冒頭を飾るのは、ジョセフ・スティグリッツ。
ビル・ゲイツに、ジョージ・ソロス、さらにゴールドマン・サックスからは2人が寄稿。
日銀総裁に就任する前の黒田東彦氏、前米国防長官のレオン・パネッタ、締めくくりはマイケル・サンデル。
錚々たるメンバーだが、重要なのはこの叢書から漏れた論考である。
「セキュリティ・ダイヤモンド構想」。
インドまで巻き込んで中国封じ込めを訴える誇大妄想的なこの論考の筆者は、昨年末、総理に就任したばかりの安倍晋三氏。
英文でプロジェクトシンジケートのサイトに寄稿し、全世界で読まれたはずの論文を、なぜか邦訳で本にまとめるに際しては安倍氏サイドが承諾しなかった。
「セキュリティ・ダイヤモンド構想」の危うさは以前にも指摘したが、安倍政権が国内で未曾有の勝利をおさめ、国際的には孤立を深めている今、読み返してみると、包囲されているのは中国ではなく、日本ではないのか、と事態の移り行きの速さに眩暈を覚える。
半年強しか時間は経過していないのだ。
「世界は考える」の前書き。
「大恐慌とファシズムの台頭に打ちひしがれ、従来の秩序や価値観が崩壊した1930年代初頭をふりかえって、英国のサー・ウィンストン・チャーチルは「蝗の年」と呼んだ。
後世の歴史家はいつか2012年を『蝗に食い尽くされた年』と呼ぶことになるのだろうか」ドイツは一度目の敗戦に懲りなかった。
ワイマールの民主主義はもろく、復讐戦への誘惑がナチス台頭を押し上げた。
その結果が欧州における「蝗の年」だ。
日本は、明治維新以後、太平洋戦争で敗北を喫するまで、対外戦に負けたことなし、という「戦績」を誇った。
日本もまた、東アジアにおける獰猛無比な蝗だった。
食い尽くす前に倒されはしたが、懲りない面々は巣鴨プリズンを出獄して栄達し、岸は安保を、正力は原発を手がけ、その孫らが今、70年近くに渡った日本の「ワイマール」時代に、幕を引こうとしている。
大日本帝国リターン、天皇制ファシズムカムバックをねらう、日本の懲りない蝗どもが、ナチスのように復讐戦を企もうとしていることは、後世の歴史家でなくても、誰にでもわかることである。
この懲りない蝗の暴走を、我々自身が食い止められるか、暴走の果てに世界の方からトドメを刺されるか。