島根県教育員会の大ばか者たちに喝!

黄泉の国から   「岩下俊三(旧姓)のブログ」からリユーアル


為政者が書を燃やすという行為はそれこそ文字通り秦の始皇帝焚書坑儒からおよそ2000年たびたび行われてきた人類の負の遺産である。したがって焚書は歴史のなかで行われてきた弾圧や専制による政治の象徴とされてきたが、21世紀の現代にあってもいまだにいろんな理由をつけて実施されているとは開いた口がふさがらない。これが行われるようになったら世も末である。右傾化の風潮も来るところまで来たか。

毎日新聞によるとこうだ。

 「漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」について、「描写が過激だ」として松江市教委が昨年12月、市内の全小中学校に教師の許可なく自由に閲覧できない閉架措置を求め、全校が応じていたことが分かった。児童生徒への貸し出し禁止も要請していた。出版している汐文社(ちょうぶんしゃ)(東京都)によると、学校現場でのこうした措置は聞いたことがないという。
ゲンは1973年に連載が始まり、87年に第1部が完結。原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、約20カ国語に翻訳されている」。

。。とマスコミは一見批判的にこれを伝えてはいるものの、市の教育委に「市民」によるクレームが以前あったことには触れていないし、その「市民」というのが悪名高き「あの」在特会系の人物であることにも触れていない。

もともとマスコミが臭い物には蓋をしていろんなところに気を遣い、権力や圧力団体及び暴力団などを慮って事実を覆い隠してしまったことが諸悪の根源であるであることがまだわかっていないらしい。

大きく言えばそもそも原爆をトルーマンが意図的に悪意を持って落としたという事実を隠すことから始まって、スポンサーに気をつかいすぎる習慣を身に着けたのが運のつきであろう。それが昂じていまや、、、、アメリカ批判はおろか政権批判も、さらには長い日本の歴史で普通に使われてきた部落も目盲もびっこもいえなくなり、名著「ちびくろサンボ」まで発禁になる世の中となってしまった。

犯罪者に手錠をかけることで悪いことをすればああなるんだと思うのが教育なのに今やその手錠にすらモザイクをかけている始末。アニメは子供が見るからといってジブリの名作の喫煙シーンをカットしろと言い、子供の運動会で競争心をあおるような徒競走(かけっこ)は禁止されているのである。一事が万事、これでは生きていて斬れば血が出るまともな人間の棲む世界とは到底思えない。

この完全なる無菌状態ピカピカのデオドラントシャンプーのCMと全く違う殺戮と飢餓と黴菌と貧困が増大している現実からなるべく目をそらそうと頑張っているのが実はマスコミであり各地の教育委員会なのであろう。だから現実とマスコミが映し出す世界はことごとく反比例の関係にあるのだ。いずれも大人からのクレームを恐れるあまり御身大事で委縮した小役人や記者の卑屈なる精神から来ているのである。

かって僕はテレビ局にいたころ紛争を追って世界中を駆け回っていた。しかし今にして思うとそのころから徐々に疫病(卑劣な精神)はひろがっていたようである。戦争ではひしゃげた手足やザクロのように割れた頭部、首のない死体、はみ出した大腸、そして半裸状態の強姦されたままの女性の躯、、、言い出せばきりがないけれど僕が戦場で撮影した「戦争の現実」はすべてカットされたのは当然のながれだったのかもしれない。


しかし現実の戦争とは「人道的な」「民主主義的な」ものとは全く違い非道で残酷で一方的なものであるのだ。


はだしのゲン」にたとえエログロな表現がであったとしても、戦争中、それも原爆を投下されたところの市民はそれよりもっと酷い現実に直面しているのだ。原爆を体験した著者の中沢さんはそれでも子供向けに「かなり控えめに」描いているのである。

なにをもって「描写が過激」だから禁じるというのか。過激なのは描写ではなく禁じることそのものであろう。

絵画や文字が生まれてこの方禁書措置が文化を疎外し悪政の端緒となったことはいまさら言うまでもないが、この島根県のくそ小役人どもがしたことはアルタミーラの石窟壁画を否定するにも等しい全人類的な犯罪であることを
分かっていないのだろう。

おまえらに表現の自由いや人類の文化の発達を止める権限なんてある訳がないのだ!馬鹿もんがっ!!