たまには好々爺:村山富市の言うことも聞いてくれんかの

黄泉の国から   「岩下俊三(旧姓)のブログ」からリユーアル


米寿をも超えた村山富市はもともと律儀な人間であるし、「き真面目さ」と「現実に呼応した妥協」を交互に繰り返しながらも、それなりに頑張ったのかもしれない。いろいろ評価は分かれるが彼自身、実際に二等兵も経験し、総理も経験したまれな「人生」を歩んだ生きた骨董品みたいな人物であることには違いなかろう。

わかいころ過激なサヨクであった僕は、彼を最大の裏切者として長年憎んできたけれど、あくまで庶民としてそれなりの正義と狡賢い黙認との狭間に揺れながらも「生き抜いてきた」この爺さんに、最近好感を持つようになってきた。

不思議なものである。
もちろんそれは僕自身が「すでに秋声」になってしまったからであろう。まさに「少年老い易く」である。

しこうして

いまにしてよく考えると「自社さ政権」という摩訶不思議な政権もそれほど悪くなかったように思われる。ごった煮の奇妙なバランスの政権はあの白眉のおじいさんにしか運営できなったかもしれない。

もちろん理想とはかけ離れていたが、あるていど現実と妥協しながらも「あの」社会党員が自衛隊を認め日米安保を許容したうえで護憲だけは堅持したというのは評価されていいのかもしれない。また、そのことによって虚飾に満ちて本質的に矛盾していた日本社会党というレゾンデートル「そのもの」を消滅させたのも、皮肉なことに、彼の功績であったというべきであろう。

55年体制を結果支え権勢を誇った「三宅坂」もなくなってしまった。そして細々受け継いできた「社民党」もいまや風前の灯、その後継者みずほちゃんもやめてしまったのだ。


そこで、、、、


村山富市が棺桶に足を突っ込みながら、再び「ある提言」をしたのである。

それは「護憲」を軸に野党がまとまったらどうかという提案である。なるほど政策の差異を言い出したら野党は限りなく分裂するけれど、護憲か改憲かというワンイッシュ―でまとまったらどうかというのも、いかにも彼らしい。

そのためには、かって日本社会党を消したように今の「社民党」を消滅させても構わないというのである。

平々凡々たる当たり前の89歳の「論」に鋭さも新鮮さも感じられないが、今のようにとんでもない右傾化が進む中にあって「護憲」というだけでも一つの「旗印」となると言い切るのはさすが年の功と言わざるを得ない。

「軍靴が聞こえる」とか「憲法改悪阻止」とかいう昔のサヨク独特の声高な言い回しではなく、しかもあえて反原発とか反TPPとか言わず、ただ「護憲」だけで「とりあえず」まとまる というのは意外に現実的なのかもしれないのだ。

とくに戦争放棄の9条が自民党軍国主義政権の緊急避難的な「ぎりぎりの歯止め」になるという彼の「あたりまえの提案」を馬鹿にしてはいけない。

僕は、、、、かって裏切り爺として揶揄中傷してきた村山富市を最近評価するようになってきたのが自分自身の老いであることは承知している。それでもなおかつワンイッシュ―で行動を起こすべきだと考える。

じいちゃんの言うとおり!、、、である。


ちなみに個人的なぎらぎらした欲望のない稀な政治家=村山富市のエピソードは枚挙にいとまないが、最も彼らしいと思えるのをひとつ、、、、

首相在任中にベトナムの要人と会談した際に「ベトナムが成長したのは日本のお陰です」と社交辞令を言われた際に「それは違いますぞ。まずはあんたたちが頑張ったから今のベトナムがあるんじゃ。日本はそのお手伝いをしただけじゃ」と言葉を返した。それ以降、ベトナムの要人は村山に尊敬の念を浮かべて社交辞令を超えた会談となった(Wikipediaより)

過去に本人に何度か遭遇していた僕はこのエピソードが一番「村山富市」の実態を顕しているように思えてならない。

いずれにしろ「村山談話」をないがしろにしてはいけないと思う今日この頃である。