「負けに不思議の負けなし」マスコミがいまさら何言っても無駄である。

黄泉の国から   「岩下俊三(旧姓)のブログ」からリユーアル

「目パチクリお人形さん」をサンドバックにした低能児たちの完全勝利である

「忘却とは忘れ去ること」の名文句から幾星霜、再び日本は無くなってしまった。つまり君の名の放送終了直後、GHQ占領下が終わりせっかくかりそめではあるが主権回復したというのに再び今、事実上外国の政権下に戻ったのである。「日本を取り戻す」とはそういう意味であったのか。

自民ナンミョウの万歳三唱は星条旗を永遠なれというBGMの下、議事堂の内内で「秘密裏に」さぞこだましたことであろう。

それどころか、

札びらを無限に印刷して国民を欲望をいう名の電車に乗せ、だまし討ちしたにもかかわらず三年半後すなはち衆参同日選挙までにはどうせ「忘却」するであろう大衆を嘗めきった前提での強行採決である。マスコミと維新、みんなの猿芝居の臭さこそが「民度」の顕れであるのだから強行採決も「さもありなん」というしかない。狂喜乱舞した祭りの後の静寂はまさに「秋の夕暮」日本文化の真骨頂ともいえるようだなー。

たぶん低能児達(具体的には安倍晋三麻生太郎)は日本に主権がなかった時代に戻ったことすら理解できず、ただ宗主国の命を受けた官僚たちの「なすがまま」にしておれば自分たちは「お坊ちゃま」のままでいられると思っているだけなんだろう。

いっぽう貧困から這い上がるためには彼ら低能児に操を捧げるしか這い上がれなかった東北の娼婦は、やっと肩の荷をおろし、その気味の悪い年増の厚化粧で棄民を三年半後に再び騙せばいいのだから、衰えた色香をいかに保つかだけをこれから考えて行けばいいわけだ。「♪大臣って気楽な稼業ときたもんだ〜」。

この法案が外交安全保障とは全く関係なく(公務員法、自衛隊法がすでにある)ひたすら内政とくに国内の治安維持とりわけ思想犯の検挙を目的に警察官僚主導で促進されたことは今更言うまでもない事実だが、それに気が付かず軍国主義へとひた走る低能児たちは狂っているのではなく、きっと医学的にアタマが悪いのだけなのであろう。狂気に至るのには最低限の知能が必要だから、、、。

ゆえに問題は国民にある。

いくら「数は力」でないといっても日本の疑似民主主義の源泉は「数」でしかない。ではその絶対的な数の力を付与した国民は馬鹿かといえば、政権中枢の低能児たちよりはるかにアタマが優れている。愚ではあるかもしれないが馬鹿ではないのだ。

ただ個人の欲望や家族(一メートル以内)の欲望が損得勘定すなはち金銭に「しか」向いていないという民族的集団精神病にかかっているとは考えられる。それは蓄財だけでなく負債もふくめて強欲資本主義の囚人になってしまっているようにも見えてしまうのだ。

日本人のもう一つの文化、「宵越しの金はもたねぇ」とか「義賊への判官びいき」という心意気は全く消えてしまった。己の身を守るより「義」のために死ぬという覚悟が「あまりにも」希薄なのだ。つまり己より大切なものを発見できず、苦悶のすえ凡人は自己を偏執的に愛するしか方法がなくなっているのである。

世のため人のため自己犠牲を払い、平等な幸福を与える事こそが人生の目途である筈。それが真の愛というのだろうに、閉塞された日本社会にはそれがない。疎外され内向きに自己にしか向かえない大衆と、それを計算して大衆をお金という「幻想」を餌に数を得た低能児政権の双方が空っぽの闇の中でもがいている「だけ」に過ぎない。そうした社会の末路は限りなく暗い。

そういえば経済成長戦略国会と銘打っていたが、「国民無視国会」もしくは民主的なデモをテロリストにするための政治のなってしまったことへの責任はだれが取るのだろう。まあ前政権がマニュフェスト裏切り内閣だったので
それに比べれば「まだまし」ということか。

どっちにして三年半もすぎればすっかり忘れてしまっているだろうけど、、、。

怒りを石に刻め!!!!!!!!!!!!!!!!