管・野田政権以降、公約を破ることが日本の政治風土になってきたらしい。

黄泉の国から   「岩下俊三(旧姓)のブログ」からリユーアル

軍部が政権維持に利用される国家は多くても司法警察権力が最も政治的実力(フォース)を発揮する国は珍しい。

もちろん年の瀬が押し迫ってきて行われた政治的決断がそうだといってる訳でもないが、仲井間は安倍にカネで魂を売ったというだけでなく、検察という暴力装置の脅迫に屈したというのは充分想定できる。つまり、昨日27日、普天間基地の移設で、沖縄県の仲井真知事が名護市辺野古の埋め立てを承認したことに何の驚きも感じられないのだ。

これにはもちろん予定調和猿芝居も含まれているけれど、彼が駆け引きで承認と引き換えにもっと銭をを釣り上げるため「なぜ」もう少し伸ばせなかったのかということを疑念に思われているひともおおかろう。でも彼は猪瀬のような針の莚の正月だけは迎えたくなかったのである。よる年波と急激な体力低下は彼を気弱にさせるしかなかったことは十分考えられる。

段ボールが東京地検特捜部によって次々と運び込まれる映像は政治家の最も怖れるシーンである。土方ころすににゃ刃物は要らないように政治家を殺すのには雨の三日でなく検察の段ボール運び入れが一日でも続けば政治生命は容易に断たれるのだ。いまさら過去の事件を振り返っても仕方がないが、現在進行中の検察リークによるマスコミのイベントには殆どの政治家、国会議員や知事たちがさぞ震え上がっていることであろう。

これこそが「抑止力」という言葉の正しい使い方である。

とくに2006年仲井眞 弘多にとって、対立候補糸数慶子に水をあけられていたとき徳田毅徳洲会の直前の寝技によって逆転し、薄氷の勝利をした時のことが、今も忘れられない筈である。その時以来の徳洲会との蜜月であったのだが、突然現職の順風満帆の東京都知事が陥った蟻地獄とまだ時効が成立していない前知事の怯えを聞き及ぶに至って、仲井間は体調を崩すほどの恐怖に見舞われたものと思われる。

今頃になってなぜ徳洲会が事件になったのか、なぜ辺野古反対の沖縄県議団がいきなり容認になったのかを、彼は日頃の喧騒を離れ病院の個室で思い知らされたことだろう。


検察を使った恐怖政治支配は、本人がいくら冤罪を主張してもマスコミの宣伝効果によって政治生命は奪われるのだが、リベンジに燃えることも可能だ。しかし仲井間のような「クロ」はもはや猪瀬地獄しかないことは本人が一番よく分っていることだろう。

そのために冤罪でなくもろ「免罪」できる方法はもう「取引」残されていなかったのである。

自分より十以上若いパープリンの若造である晋三を絶賛しかつ選挙公約に真っ向から反することがどんなに恥大きことか分かっていても、正月を獄中で迎えたくないという彼の慌てぶりが百戦錬磨の狸爺の表情によく顕れている。

これは人間の業を天下に晒す事件となったが、だからといってワンパターン辺野古反対ジュゴンが泣いている的なお花畑サヨクに全面的に賛同しているわけではない。まして「苦渋」とさえいえば何でも許されるといった内心勝利に酔っている傲慢さに組しようとは思わない。

なぜならそうしたごまかしがかえって真実を遠ざけてしまうからなのだ。本当に辺野古埋立を望んでいるのが、最終的には基地縮小移転小を考えているいるアメリカではなくて、防衛省や基地移転に纏わる利権集団であることを隠してしまうことになぜ気づかない。

きずかないのではなくそれが日本社会党以来の伝統芸で自民党を支えていることも知ったうえであえていいたい。

いい加減猿芝居はもう止めてくれ。

紅白を止めないと言うのが日本人の民意なら仕方がない。今後も延々と猿芝居を見続けるしかないのだろうけれど、、、。