橋下を見ると虫唾が走る。維新の会は政敵だ。、、、しかし、、、。

黄泉の国から   「岩下俊三(旧姓)のブログ」からリユーアル

嫌いな人間の話題を続けるのは本意ではないが、日本のこれからの政治を変えていく重要な課題が橋下の大阪市長選出馬表明にはあったと感じる。おそらくぱっと聞くとこれは大阪都構想をただ通したい為のいかにも彼らしい弁護士独特の詭弁に過ぎないと考えられるだろう。凶悪な殺人犯も立場に拠っては無罪にすることが義務づけられている彼からすれば当然のことに違いない。

しかし、「♪あなた弁護士わたしは芸者、同じ稼業の”口車”」で発した彼の言葉に本人も気が付いていない(だろう)これからの日本の民主主義のありようの提言が期せずして含まれている、、、と僕は思いたいのだ。

それは、、、、

重要な問題は直接の住民投票で決める」という考え方である。

大阪の都構想に諸問題も多く単純に二重行政の無駄を省く「だけ」の問題ではないことも「自分なりに」承知しているつもりだ。またブログの読者に言われるまでもなく、堺市長選まで無敵であった大阪維新の会人気の理由が「橋下の反公務員的な姿勢」が、お上嫌いの関西人に受けてきたのだということも理解している。

だが今回の彼の首長選の利用の仕方は自分の我儘を通したい一心であるにもかかわらず、結果的に代議員制の欠陥を暴き直接選挙の有効性を問いかけることになっているのだ。

なぜなら

21世紀だからである。いつまでも古い衣ではいけないのである。


スイスのような人口の少ない識字率の高い国家なら直接民主主義も悪くはない「が」という古い頭のままの(たとえば鮫の脳みそのデブ)人は今世紀にはもはやいらない。京の単位まで軽く演算できる現代社会で日本の有権者数程度の集計など問題ではない。また日本の教育水準がスイスより著しく劣っているとも思えない。

近くの小学校に歩いて投票し、一枚一枚人の手で確認するから慎重な判断ができるという建前論は聞き飽きた。要は老人や暇人の投票と組織票を多くして民主主義だとうそぶいている鮫の脳みその主張を聞き入れて既得権者が微笑んでいるだけではないか。

彼らは若者や既得権益のない者たちがなるべく棄権して欲しいと思っているのが正直なところであろう。それではいつまでたっても「民意」は届かないのである。


いまや「左翼」も「右翼」もへったくれもない。田母神や共産党は無くなりはしないが一定程度は常にあって一定程度のバランサーの役割を果たしているだけである。それが問題の本質ではないのだ。

問題は中間層と言われるマジョリティの意思である。かれらこそが民主主義を支えるコアであって悪く言えば浮動票よくいえば「今、現在」を捉える鏡でもあるのだ。だから今現在このことをどうするかということを、しかも大事なことを決めるのは、何年も前の選挙結果による代議員の数ではない、いま暮らしている生の住民の判断にこそあるのだ。(と、思う)


今東京で行われている「原発をどうするか」という住民投票を可能にするための便宜としての都知事選や、少し形態は違うが「大阪都構想」を住民投票に掛けることができるかどうかの判断を市長選でやるということは、「直接民主主義」という志向性を同じくするものと思えるのである。動機が全く違っても「今の民意」が重要だと言う意味で相似しているのである。

馬鹿な評論家諸氏は商売だからいろんなことを言っている。馬鹿でなくても義理堅いコメンテーターは日頃の「ゴチ」や賂に対応しなければ「ならない」だろう。そのため維新の会の解散含みで東西の首長選がもたらすであろう
政界再編予想図をまことしやかに言い放っているが、ほとんどがまやかしであり、ただの「うそ」でしかない。

今回東京と大阪で行われる事実上ワンイッシュ―の選挙の真の意義は「直接民主主義」をどこまで重視するかという問題であり、それは日本人の民度のレベルを顕すものとなるだろう。

それでもなお、なま禿添が好きだとか、選挙にかかる費用がもったいないなど言っているようでは当分スイスの民度には遠く及ばないといえよう。


念のためにもう一度いう。ハシシタは嫌いである。いっぽう小百合リストだから彼女が推す細川が好きである。それが「何か?」

これはそういう個人の嗜好の問題ではないのである。