今更ながら田母神の意味を考えている。

黄泉の国から   「岩下俊三(旧姓)のブログ」からリユーアル

最近の格差社会は日本の政治風土に明らかな変化をもたらしている。かっては保守革新の猿芝居が冷戦構造と「やや」シンクロしながら微妙なバランスを保っていた。もちろん共産党自民党のなかの極右は常に一定程度いたけれど、分厚い中間層に支えられていた「リベラル」な勢力が中心にあって重しの役割を果たしていたから左右のしばしばの飛び出しも大勢に影響与えることもなかったといえる。

ところが

田母神のような人物が突出した泡沫ではなくて、彼一人である政党ぐらい規模の支持者を持っていることが分かったのには驚くしかない。都知事選で60万の票数が集まると言うことは、全国の比率で考えれば国会で7〜8議席を有する全く新しい政党が成り立つかもしれないという圧力を「政治」与えてしまったのだ。

もちろん田母神は安倍政権の本音の部分を受け持っているのだけれど、表向きの農協、郵政、医師会のような自民の固い組織票無しで、ほぼそれと同量の票を確保しているのというのは驚異的である。創価学会とか共産とか組合(民主)とかのコアな組織票もほぼ同じ票数であった。ということは、かってのリベラル中間層の浮動票を細川と田母神で分け合ったのであって、「反原発」票が二分された訳ではないことになる。

細川が出馬しようとしまいと社共には一定の票があり、創価自民それぞれの組織票も一定程度決まってあるのだから、時代の空気を示す浮動票は「反原発」と「反中韓ウヨク」が拮抗していると「も」いえるのだ。

つまり靖国信奉、原発促進、核武装憲法改正といった一昔前ならあり得ない少数ウルトラ右翼が一定の有権者数を持っているということである。これは細川インテリ層や社共ドグマ層などかって「サヨク的」良識人?言わゆる中間層が高齢化してしまい、新しいタイプの「反中韓ウヨク」が社会の構成要因となってきたことを物語っている。

これに高(荘)齢のインテリが「ネット右翼」だとか労働者にもなれない「アンダークラス」の反乱だとか訳知り顔の解説を加えているようだけどいずれも自分の経験則でしか語っていない。しかも考え方が古すぎる。

僕はこれらの分析は全く違うと思う。

通り魔殺人犯のような、ネトウヨのような、嫌中韓のような、エコノミーよりも下の下流アンダークラス)のような、そうしたバブルを知らない子供たち(かって僕らは「戦争を知らない子供たち」であった)を設定すると確かに古い世代は「それなりに」納得し安心できるのであろう。

ところが実態は「そうともいえない」のである。

なんとなくアンダークラスの若者が抱いている社会への不満と格差社会へのうっぷんが田母神ヘ流れたかのごとく言っているけれどそうとばかりはいえないのだ。

現実に若年最下層だけでなく壮年期の「パワーエリート」層が田母神を支持している「事実」をどうして評論家諸君は認めないのだろうか。

田母神はファシストであるから、「こそ」分かりやすいのだ。

なぜなら一見物わかりのいい大人の「ダブルスタンダード」がないからである。建前と本音を使い分けることに倦んできた世代の浪漫なき「損得勘定」からすれば、明らかに田母神の言っていることが「得」なのだろうと思える。

武力放棄した日本は「損ばかり」しているという理論は理念や浪漫という概念をなくせば、確かに若い世代に受けやすい。それは棄民化された若者にはでなく高学歴の若いビジネスマン、いわゆる「勝ち組」にも受けやすい
のだ。

中韓に対して核武装してないから領土を取られて「損」している。

老後年金がなくなるかも知れないのに負担だけしているのは「損」である。

電気料金の負担が増えるから今ある原発を稼働させないと「損」である。、、、云々。

日本チャチャチャの民族主義を持つ「エリート」達が実際田母神を支持しているのである。

それに投票こそ堂々と「匿名」でいられるからなのだ。だから表だって田母神ではなく「匿名」での田母神支持が「勝ち組」のビジネスエリートに増えていることに注目するしかないのである。

つまり高度成長はおろかバブルすら経験していない世代に「夢」や「浪漫」など必要がない。しかもそれが冷静な
「損得勘定」だけならまだしも、「損得感情」にすぎないからたちが悪い。

しかし若者を責める権利はない。「損得感情」しか持たせない社会を作ってきた我々の世代の責任である。表向きベトナム反戦を言いながら、長髪を切り日本の産業の一翼を担ってきた「ダブルスタンダード」が生んだ子供たちにさらに国債を積み上げて勝ち逃げしようとしている団塊に言い逃れる術はないのである。

だって、田母神を先兵にして自分(晋三)は経済で支持率を保ちながら着々と右傾化を進める政権を止めようともせずに、気楽な年金暮らしで匿名で文句いっている旧左翼の爺さんたちこそ卑怯者と言わざるを得ない。