動いているものはなにか?新国家主義?

黄泉の国から   「岩下俊三(旧姓)のブログ」からリユーアル

とうぜん、レイシズムや「偏狭な」ナショナリズムはただちに排除すべきであり、いずれもこころより憎むべきイズム(主義主張)である。その前提を断固崩すつもりではない。

それを前提であえていえば、、、、

いま我が国を覆っている国家主義的な生きづまる空気感はなんだろう。
 
いま世界で起こっているさまざまな問題は何を意味しているのか。



別に国家主義そのものを否定したり批判したりしたいとも思わないが、さまざまに表出している諸現象について一部の不心得者の仕業であるとかたずける訳にはいかないような気がする。

なぜならある種の「気配」が漂っているからである。

若いころは嗅覚が犬のようだと笑われていたが、年を取ると自慢の嗅覚や視力が極端に衰え、「勘ピューター」がしばしば「誤作動」を起こすようになってきた、、、、というような「老人の愚痴」だとこのヘンな空気を「思いたい」のである。

しかし日本のみならず、どうも最近世界がきな臭くなってきたと感じてしまう。


余計な情報が乱れ飛んでいて一見関係なさそうな国内外の事件であったとしてそこを貫く流れの底流に滓のようなものが虚ろっているように「僕」は感じてしまうのだ。

それはむしろ明確なナショナリズムではなく、冷戦構造がなくなって俄かに「夢想」されてきたグローバリズム「幻想」への期待が外れ、落胆がもたらしたルナティックな後ろ向きの国家主義であろう。

世界的に見てもプーチンに期待しているロシアンナショナリズムの台頭は、必ずしも「悪」だと決めつけれれないと思うのだ。なぜならいろいろなためにする議論はさておいて、クリミヤ自治政府の企てる住民投票が「民主的」でないと「民主主義」を標榜するアメリカがいっていることに矛盾はないのか、なにをして民主的な選挙で何をして民主的「でない」選挙と言っているのか判然としないのである。

とくに共産主義のようなインターナショナルな「結集軸」がなくなった今のロシアにはプーチンの体現している国家そのものにしかよりどころがないのである。一気に19世紀に戻るのはやむを得ない「気分」であるといえよう。

さらにいえば「欧米が言う」グローバリズムが善でナショナリズムが悪であるかのような議論はそもそも疑わしいのであって、己を利するための方便としてグローバリズムが使われた来た歴史がアメリカにはあったことを世界の人々は学習してしまったのである。そして対米従属国家の日本でもグローバリズム金科玉条にしていろんな意見を押しつぶしてきた過去がないとはいわせない。、、、というより「売国」を正当化する言辞として「今も」使われている。そのようにして国際世論は汚され、一国主義が再び輝いてきたのである。

事の是非は別として

国粋主義はダメだと思うけれど国民国家という同民族同言語同宗教が同国家のままでありたいと思うのは自然であると考える。そして自分の故郷の風と空を愛おしく感じる郷土愛の発展形としての愛国心はとくに海外で長く仕事をしたことのある人間にとっては強く感じられるものである。

だからサヨクだから反日であるとは絶対に言えない。自分のことで恐縮だが海外で翩翻と翻る日の丸を見た時思わず感涙しそうになった自分も骨の髄まで左翼であった自分は同一人物であるすこしも矛盾しているとは思っていないからだ。

もちろん

反日は明かな何らかの意図をもったサヨクにはあるだろう。それは否定しない。でもそれはあくまで諜報的な意味合いを持つ極めて限定的なサヨクのことであって、通常の日本人なら愛国心は建前のグローバリズムより大きい筈である。それはどの国にあっても同じことだ。

問題は世界がそして日本がグローバリズムという地に足のつかない「幻想」に一時は浮かれていたが、自分の本質に隠れていたエゴイズムの発展形としてナショナリズムが顔を出してきはじめたということであろう。

ということは、アメリカが吹聴してきた「民主化」や「グローバリズム」が「虚」であったことを物語っている。と同時に日本でも「民主党」による「民主化」という幻想が打ち砕かれ、古い極めて国家主義的政権を「選ばざるをえなかった」事情とも重なってくる。

人権も民主化も本来は貴重なものであるけれど、それが「虚」であることによって人々はその反対に流れがちなのである。グローバリズムの潮流はカントリーがネイションになるように藩がおらが国が統一国家になったようにあくまで正しい歴史の流れなのだけれど、それが早すぎたり、偽物だったりするとその反動で歴史が「しばしば」逆回りするのだ。

いま日本で起きている懐古的な動きもロシアで起きていることも広義では国家主義の顕れであるといえる。それが暴走するか健全な愛国心にとどまるのか、緊張を持って見守る必要があるだろう。

あきらかに「何かが」動いている。