本澤二郎の「日本の風景」(1577)

<基地の街・横須賀>(その2)
 米海軍が将来に渡って手離したくないという横須賀。理由は艦船の修理技能にある。その技術者は多く日本人だ。従って、彼らが態度を変えると、その基地機能は低下する。そうならないために、金銭面で特別扱いしているのであろう。独立国において圧倒する米軍事力、それを提供、支える日本政府と日本人である。無数の問題も起きているが、それを難なく処理する日本の3権、これも不思議なのだ。変人と自らを称した小泉が、米大統領の前で、まるで芸人のように踊ってみたり、ボールを投げたりして売り込んだ理由も、何となく伝わってくる、そんな雰囲気を伝える横須賀でもある。



 とても深刻すぎて笑えるわけがない。それを法的に保障する日米安保、それを解消ではなく「深化させる」と大手を振る日本政府と議会だ。倒幕に成功した明治の政府では、それ以前に結んだ諸外国との不平等条約の解消に努力した。最近の日本政府は、その逆なのである。
 「外国に軍事基地を持つと問題を起こす。よくないことだ」と歴史から学んでいたキャロライン・ケネディ大使の父親である。彼女は、沖縄を訪問した。次は横須賀や岩国、三沢を訪問するといいだろう。
自衛隊任務は番犬の番犬>
 其の昔、椎名悦三郎という外務大臣がいた。アメリカのことを「番犬さん」と呼んでいた、彼は岸信介と同じ旧商工官僚である。正しくは日本財閥の代理人として活躍したため、戦前も戦後も金銭に困ることはなかった。
 彼の息子の参院議員のもとで、対日調教師の一人であるマイケル・グリーンが日本研究をした。類は類を呼ぶのであろう。彼らジャパン・ハンドラーは、意図的に中国の台頭と敵視論を展開して、自らの資金源を確保することに熱心だ。この限りで、日本の右翼と波長を共有するが、たとえそうであっても、ひとたび戦後秩序破壊を目指す靖国参拝侵略戦争否定の安倍ナショナリストに対しては、厳しい目を向けている。
 
 椎名のいうアメリカ番犬論は間違いである。日本における米軍基地は、アジア太平洋に対するにらみを利かせるためのものである。ワシントンの対アジア戦略の要石(キーストーン)に変わりない。日本を侵略する国があろうか。どう憶測をたくましくしても、日本が平和憲法を保持する限り、それはない。
 ないため「あるよ」「あるよ」という世論をかき立てる右翼メディアと今の日本政府である。彼らは、そのためにアメリカを利用している。従って自衛隊は、いうなれば、番犬を守る番犬なのである。横須賀の米軍基地と自衛隊基地の形状から見える本当の姿である。思考する自衛隊員であれば、こうした横須賀基地などに配属されると、複雑な思いにかられるはずである。
 健全な日米関係ではない。戦後保守政治の最大の失策といっていい。

 93年のアメリカ訪問の際、国防総省は懸命に軍縮に力を入れていた。懸命なクリントン政権を印象付けていた。軍需産業は合併などで危機を乗り切ろうとしていた。
 軍縮担当将校数人との取材において「この際、日本の基地を縮小、撤退すべきではないのか」と問い詰めて反応を試みた。なんと「日本の基地はカネがいらない。日本政府が全て面倒を見ていてくれるからだ」とコメントした。これには二の句が告げなかった。
<巨艦・米原子力空母>
 米軍基地の影響で、横須賀市民はあたかも小数民族のように、崖の傾斜地に追いやられ、家を建てて生活している。本来、住めるはずの土地を全て米軍に提供しているためだ。まともな人間であれば「ヤンキー・ゴーホーム」と叫ぶだろう。
 だが、多くがそうしない。ワシントンと日本の右翼にとって利害が一致しているからなのだ。一般市民にとって迷惑千万なことが、まかり通る日本を、横須賀で生活する日本人の誰もが膚で感じているはずだ。

 それは今の小泉も同じに違いない。彼の反原発への激しい怒りの発言と行動も、筆者には理解できる。政権担当者としての過ちを、生きているうちに是正しようとしての行動なのであろう。そう思える。
 横須賀の原子力空母と共に生きてきた小泉である。現役時代の横須賀を姉の信子さんに任せ、自分は東京でほとんどを過ごしてきた。
 「原子力は安全」という原子力ムラの詐術に身を任せてきた。地元の空母の原子力も「安全」と思いこむようにしてきた。しかし、3・11が彼の観念を変えた。それを安倍にさせようとして、逆に反撃されてしまった。徳洲会事件が機会をくれた。細川護煕を担いで安倍と対決、敗北したが、彼は屈しない。
 靖国参拝に怒った筆者は、いまの反原発の小泉を正常な日本人、変人ではない日本人だと思いたい。
それにしても巨艦・米原子力空母には圧倒される。海に浮かぶ基地である。乗員5000人は自衛隊横須賀基地の人員に匹敵する。それにしても、長さ300Mの空母が3・11直後、真っ先にグァムに逃走したのは驚きだ。
2014年3月25日6時45分記