美とは原罪なのか?そうであってはならない!

黄泉の国から   「岩下俊三(旧姓)のブログ」からリユーアル

33才にして一児のシングルマザーであるけれど、その正義感の強さ検事として12年以上のキャリアが評価されてクリミア自治(国)の検事総長になった。

新政権の締め付けや暗殺などを恐れ今まで4人の男性がこの職を辞退し、前職がクリミア新政権の犬であったためクリミア独立の象徴的存在に彼女がなったとも言われている。

しかしこのナタリア・ポクロンスカヤさんはクリミアの検事としてのギャング団と対決するなどの実績によってウクライナの首都キエフの検事総局に昇進されるが、「革命」によって政権が変わるとその実態に嫌気がさして辞表をだし故郷クリミアに帰っていた程の硬骨漢なのだ。なぜなら彼女の辞任理由とは「強盗が路上を闊歩する土地で勤務するのは恥である」といった新政権に対する痛烈な批判であったからである。

住民投票自治調和国となったクリミアのセルゲイ・アクショーノフ新首相はこれに注目し、彼女を検事総長に抜擢したのである。

ところが

彼女への興味本位のマスコミの取材などが殺到している。しかし、彼女はあくまで業務として評価されることしか望んではいない。また逆に彼女を狙う暗殺団の存在があり、新総長のオフィスは銃器で武装されているという。

そうじて西側のマスコミはロシア側の広告塔にしてその裏に邪悪な陰謀があるかのごとく伝えているが、これに反しネット世界ではこの新検事総長の美貌の話題で盛り上がっている。

もちろんくだらない意味で彼女のファンがいたり、陰謀論てきな人物評かあるのも仕方がないかも知れない。しかし僕は彼女を「素直」に応援したいと思う。ロシアよりとか欧米よりとか、もちろんその容姿とか関係なく。

全然違う話で恐縮だが、これは小保方さんのときと同じような気持ちからであり、なんで仕事業務研究などの実績や熱意を純粋に評価して応援しないのかと腹が立ってきてしまいそうだ。

もちろん盛り立てる方も批判する方もそれなりに理由があるのは想像できるけれど、なぜ仕事の内容「だけ」を理解してから批判なり称賛なりしないのか。

僕はそんな「貧困なる精神」が大嫌いである。美貌は持って生まれたモノであり、清純な雰囲気は真面目に生きてきた証拠である、、、と思う。しかしそれで「しか」人の評価が出来ないのは間違っている。

それとこれとは全然違うが

僕は「豊真将」という相撲取りが大好きである。いかし彼がどんなに「真面目」であっても、相撲そのものはあくまで何勝何敗かどんな地位であるのかでしか評価されないのだ。