本澤二郎の「日本の風景」(1597)

島村宜伸(元農水相)の知られざる日中友好活動>
 中曽根康弘側近で農水大臣を2回も歴任した島村宜伸学習院靖国派・神道派など反共主義者と見られがちだが、バッジを外して自由の身となった現在は、意外や中国派の顔もみせる。5月11日には日中韓の養生文化フォーラム(人民大会堂)に出席、農薬と化学肥料で人間の命を破壊する現代農業に警鐘を鳴らす。人間は命あってこそ、である。汚染した水と土壌の改善なくして、13億中国人は健康に生きられない。島村の日中友好活動はこの1点にある。(敬称略)



<人間愛が原点>
 昨夕、日中環境協会の宋青宜理事長と会見した。島村を「お父さん」と呼ぶ彼女は、残りの人生に祖国の環境と食糧の問題解決にかけている。そのために島村と共に、NPO法人を立ち上げた。ビジネスで得た利益を中国の大地・水、そこに生きる中国人のために使っているという。
 「今のままでは中国も中国人も亡びてしまう」との懸念を抱いている。深刻な食糧と環境問題という危機的な事態に、いち早く覚醒した日本留学生の一人なのだ。彼女はそこで石油業界で働き、政治家になるや農水大臣を2期務めた島村ファミリーと以前から交流してきた。
 石油の正体を知る島村の農水経験は、必然的に「自給自足の日本」を目指すことになる。彼女から、そんな島村の知られざる姿を教えられた。
 彼は中曽根側近で知られる。知られざる中曽根事情について、昔、彼は多くを語ってくれたものだ。それにしても、権力闘争とは無縁の意外な一面を知らされて感心してしまった。
 1カ月程前、数十年ぶりに彼が支援者の前で「自分は人間が大好き。だから政治家になった」という発言を耳にした。人間に差別はない。日本人も中国人も同じ人間。「中国人も好き。中国を愛している、と昨日も言っていた」という宋である。2人ともなかなかの食通でもある。
<中国の水と土壌を救え>
 一般人は石油・ガソリンというと、エネルギーばかりを連想するが、実は石油から人間の衣食住は生み出されている。これについての理解は、専門家以外は気付いていない。
 気がつくと、現代人は危険な食糧を大量生産している。そのために大量の農薬と大量の化学肥料を使っている。欧米の1%が生み出した石油生産物の中で暮らしている。
 中国のPM2・5を多くの人々は、車の排ガス・工場の石炭媒煙とだけ考える。それだけではない。春先に凍土から解放された大地に吹き付ける強風が、農薬と化学肥料の土壌を空中高く舞い上げている。これもまたPM2・5の真犯人なのである。
 30年前、改革開放したことによる中国の経済成長は、正確なところ日本が正にそうであったように、食糧生産の方法・手段は、農薬と化学肥料万能の欧米方式によって行われてきている。
 結果、中国の大地から健康な水と土壌も消滅してしまっている。これこそが中国の最大の危機といっていい。
 15年前に中国を訪問した島村は、このことに気付いて「日本がお手伝いできる分野は、水と大地である」と訴えた。不幸にして、この叫びは空を切って実現しなかった。
<農薬・化学肥料の農業を退治しろ>
 要は簡単なことである。農薬と化学肥料を退治すればいいだけのことである。
 筆者は先週、家庭菜園で最後の大根を採取してきた。無農薬・無肥料のミネラルたっぷりの大根である。ミミズが耕作する畑で栽培したものである。農薬・化学肥料の野菜は、ミネラルがないため、すぐに腐食する。ミネラル大根は長持ちする。しかも萎れるだけで、腐食しない。
 現代人はミネラルが不足しているために様々な病に冒されてしまう。このことは10年前に知り、自ら実践してきた。友人は無農薬果樹を生産している。ブルーベリーだ。
 リンゴ・ナシ・ブドウ・トマトは、菌に弱く大量の農薬を使用する。安全ではない。「農薬代わりに酢を使っているリンゴ栽培農家も誕生している」とも教えられたばかりだ。
 「有機農法に戻らねばならない」という雰囲気は、東京にも現れているが、野菜や果物・穀物の多くは、未だに石油製品に浸食されたままだ。化学調味料も危険である。おわかりだろうか。
<現状では中国は亡ぶ>
 健康に生きられない社会は、中国に限らない。日本だってそうだ。アジアの民の多くが健康に生きられない。どうするか。石油万能生活に見切りをつける必要がある。「衣料はまだしも医療・医薬品も石油に浸食されている」と友人に指摘されたばかりだ。
 「土壌も水も汚染されている中国人は健康に生きられない。亡ぶしかない」と島村も宋も考えている。そのことを昨夕、宋から聞かされた。これは真実であろう。筆者も理解できる。
 「1%は生きられても、99%は生きられない」という認識を、人類は共有すべき時ではないか。
<島村の反骨>
 筆者は、政界に飛び出したころからの島村のことを知っている。彼はいつも胸を張って生きてきた。彼の夫人も立派で、電話ではよくおしゃべりした。名前は忘れてしまったが秘書の対応もよくて、今もよく記憶している。

 彼の父親を少し知っている。池田・前尾・大平という、自民党名門の宏池会に所属していた関係である。リベラル・親中派で知られる。72年の国交正常化は大平の大活躍が背景にあって実現した。島村の父親も、この派閥にいた。穏健で、好々爺然としていた。
 息子は皇族の通う学習院で政治を勉強すると、まずは日本石油で14年間働いた。これが彼の強みとなっている。筆者の知り合いにフランス留学で地質学を学んで、アメリカ大陸で石油ビジネスに飛び込んだ人物がいる。
 そこで多くを知り、それゆえに陰謀めいた保守政治を解体して、警鐘を鳴らす日々を送っている。石油は人々を覚醒させるのだろうか。

 その後に政界に入った島村は、中曽根秘書からスタートした。自民党右派である。6年後に当選、95年に文部大臣、97年に農水大臣(橋本改造内閣)、2004年に2度目の農水大臣(小泉内閣)に就任した。
 いうなれば、島村は父親からリベラル、中曽根から右翼の雰囲気という複雑な中で、大成したとも言える。こちこちの右翼ではない。柔軟性があるのは、父親譲りではないだろうか。それとも夫人の影響かもしれない。
 選挙区が東京の下町という事情も、彼の政治生活に影響を与えてきている。麻生太郎学習院の後輩だ。平成天皇とは学習院同期生である。極右とは一線を画している是々非々の島村である。

 2005年の乱暴な郵政解散に対して、島村は一人抵抗して、時の小泉首相に反旗を翻して、罷免された。反骨の士という点で筆者と似ている。
 平和・軍縮派で知られた宇都宮徳馬の人生訓に「50、60は鼻たれ小僧。男盛りは真っ80」がある。彼も男盛りの80歳になった。5・11に北京入りする島村は、文字通り2本足で立つ、本物の島村宜伸として、である。
2014年4月14日7時45分記