本澤二郎の「日本の風景」(1150)

<共和国創建64周年の祝賀宴>
 9月7日は珍しく忙しい日程を過ごすことになった。政治記者に逆戻りしたような1日だった。メーンは朝鮮民主主義人民共和国創建64周年の祝賀宴である。宇都宮徳馬さんの事務所で名刺交換した南さんが、今では在日朝鮮人総聯合会中央常任委員会副議長に出世、忘れずに招待してくれるためだ。金正恩第一書記の時代の雰囲気を感じ取れる好機ともいえる宴なのだから、門外漢にとってうれしい機会となった。


 許宗萬議長が、冒頭あいさつで、よく使われる強盛大国を「豊かで明るい社会建設」と表現した点を注目した。国民の生活第一という価値観を重視した金正恩体制を印象付けている。
 そもそも多くの日本人は、マスコミ報道によって拉致問題を全てだと信じ込まされている。田中内閣が72年の日中国交回復後に、リベラル派の木村俊夫を外相に起用して日朝正常化実現に動き出した。これに宇都宮さんは高く評価していたが、CIAはロッキード事件を表面化させた。ワシントンの横槍がなければ、拉致問題は起きていなかった。その政治責任の多くは、CIAワシントンとその後の日本政治にも起因しているのだが、こうした政治の真実をマスコミは全く国民に知らせていない。戦争状態の継続が、この不幸な事件の背景だということを知る必要があろう。
 小泉時代に機会が訪れたのだが、小泉も安倍もやり抜こうとしなかった。CIAが止めたのだろう。日本が独立していないための不幸である。
 それらを、勇気を持って伝えない日本のジャーナリズムのいい加減さは、あまりにもひどすぎるのである。日本国民の悲劇は、自立していない外交政策とそれに追随するマスコミにある。
<南さんの明るい表情>
 そうした中で、平壌に大きな変化が起きた。金正恩体制である。強権独裁を排除していることは、旧体制実力者を排除したことで、既に証明されている。その様子を知る機会を用意してくれたのだろう。
 初めて日比谷から都営地下鉄を利用して九段下で下車した。目の前に巨大な石の門が現れた。靖国神社だ。8・15で取材をさせられた記者は多かったろう。現在も。政治部だった筆者は一度も取材したことがない。興味も無い。隣国の被害者のことも念頭にある。
 坂を下って来る女子高生の一団とすれ違った。白百合学園の生徒だった。この戦争神社境内に銀杏並木のあることを初めて確認した。武将の銅像を見つけた。陸軍の創設者・大村益次郎とあった。境内の奥を知らない。右にそれて進むと警備車が何台も待機している。右翼を警戒してくれているのだろうが、公安当局も活躍している。
 1年ぶりに招いてくれた南さんと立ち話をした。といっても、彼は大忙しだ。お互いの健康を確認できた程度だった。彼の表情は明るかった。時代の変化を一番早く確認出来る立場にいるのだから。以心伝心、訪問の目的を果たしたことになる。
 拉致問題以来、姑息にも姿を消してしまった永田町の面々だが、今回、共産党の国会議員を一人確認した。確か昨年は参加した中国大使は、今回見えなかった。夏休みで北京に戻っているのかも知れなかった。
<政治部OBたち>
 ここに来るもう一つの楽しみは、恥ずかしくて大きな声を出せないのだが、朝鮮のお祝い餅を食べることである。朝鮮王朝の雰囲気を伝えてくれる甘菓子のような餅である。
 会場に知る人が少ないため、もっぱら胃袋を膨らませられる時間があるのが、この宴のいいところだ。それでも1年ぶりに顔を会わせられる元政治部記者とは、短い会話を交わせる。
 朝日OBのY君は巨漢をさらけ出しながら声をかけてきた。「ハマコーが亡くなったね」が第一声だった。在京政治部長時代に、共に北京やソウルを旅した東京新聞のOさんも、多分1年ぶりだ。後輩の論説委員を従えていた。彼は今も相談役の地位を占めている。よほど会社に貢献したのだろう。「ナベツネもそろそろ。Oさんの時代がやってくる。日刊ゲンダイに次いで、東京が頑張っていますね」と冗談を交えながら、椿山荘が用意した料理に舌鼓を打った。
菅直人側近>
 菅直人と学生時代からの仲間だと言うTさんとも1年ぶりだ。元政策秘書が3・11の東電原発事件にからんで「東芝3号機は核爆発と断言しているが、彼の発言は信用できるか」と念押ししてみると、2人はいま仲たがいしているが、彼の言っていることは事実だ、と太鼓判を押した。
 国際核軍縮議員連盟の事務局を担当していたTさんを信頼した宇都宮さんである。宇都宮さんを通してが、お互いのベースにある。やはり多くの情報を持っている。実を言うと、名古屋市長の川村暴言を以前に予告していた。
 長身の日本テレビ解説委員は、東電原発事故を解説していたが、未だに「東電事故はよくわからない」と歯切れが悪い。新聞テレビは今も東芝3号機を水素爆発と嘘の報道をしている。
<毎日OB記者の情愛>
 毎日OBのKさんが「帰りにちょっと一杯」と声をかけてくれた。既にお腹は一杯、何も欲しくない。断っても承知しない。理由は、息子・正文の死を周辺から聞いて、驚いて「慰労せねば」と思い詰めていた。彼は大変な人情家だ。逃げるわけにはいかなかった。飯田橋駅近くの寿司屋に誘うと、大平正芳との秘話を語り出した。
 大平は田中角栄を友人と思っていたのだが、例のロッキード事件発覚に際して「角は俺にも相談してくれなかった。友人は隠しごとをしない。なんでも俺に打ち明けているものとばかり信じていたが、そうではなかった。角の友人になれなかったことが悲しくてたまらない」とKさんにこぼしたと言う。
 同じく、正文の死を伝えなかった筆者ゆえに、自分も友人と言えないのが寂しい、というのである。そこで94歳になる認知症の母のことを話した。「母は全ての記憶を喪失したが、正文のことだけは記憶している。今も元気だというと、そうか、よかったと喜んでくれる。正文は今も生きている。だから誰にも息子の死を教えていない」というと、Kさんは納得してくれた。
 Kさんは今、元気に日露関係・日朝・日中の大がかりなプロジェクト計画に参画していると言う。しかし、金に困った時代もあったといい、30キロを歩いて帰ったこともある、と口を滑らせた。
<青森・大間原発建設が動いている!>
 午後2時に「青森県大間原発建設現場を見てきた」という人物と喫茶店でお茶を飲んだ。3・11以後、日本の原発建設は全て止まったと理解していたものだから、これもびっくりである。
 「調査目的を口実にして、ブルドーザーが現場の地ならしをしていた」という証言に、反原発派は衝撃を受けるだろう。原子力ムラは背後のワシントン・CIAの支援を受けて、消滅どころか焼け太りなのか。国民を舐めている。
 新聞テレビや議会は何もしていないのか。見方によっては、こうした事態の進行は、日本の恐ろしい一面を物語っている。
 「大間は何もない漁村」だという。そこで1軒の女性の主が土地の売却に反対しているという報告に安堵した。これはすごい。時に女性は男性よりも強い。
<客観報道のない日本マスコミ>
 少し遅れて、日本記者クラブでのシリア情勢についての会見(午後3時から)を覗いた。8月6日から12日までシリアに滞在した加藤朗さんの会見だ。彼は12日間拘束された経験を語りながら、どうして日欧米のメディアは、反政府サイドの報道ばかりなのか。「自分は客観報道などありえないと思いつつも、それにしても戦争に白黒をつけて語ることは、いささかためらいがある」と指摘した。
 現在の日本マスコミの報道姿勢が、極端すぎる点は確かである。先日、田舎で反TPPの知り合いと雑談したさい、同じことを問題にした。小沢報道についてだ。
 「マスコミは小沢事件をさも当たり前のように、土砂降りのように悪人・小沢と決めつけて報じた。ところが、検察の証拠ねつ造事件が発覚すると、途端に反省もせずに小沢党のことを一切報じなくなった。まるで、この世に存在しないかのように無視している。悪辣だ」と怒っていた。
 政治的意図を政府・政党は持っている。しかし、ジャーナリズムは国民に奉仕するものである。参議院で問責決議を受けた野田が、それでいて民主党代表選に出馬するのだという。それを当たり前のように報道している。憲政の常道など民主党にない。そのことをまともに評論さえしないジャーナリズムの腐敗は、これまた驚愕すべき事態なのだ。
<アジアも重視するリベラル政権を!>
 以上が9月7日の本澤日記である。1日も早いアジアも重視するリベラルな政権を誕生させ、日朝国交を正常化させるべきだ。拉致問題も全て明るみに出せるはずだから。隣国とは友好を!ドイツのメルケル政権を見習うといい。
2012年9月8日17時10分記