本澤二郎の「日本の風景」(1195)

<加害者意識ゼロの日本人>
 銀行利権や無責任な五輪開催などで莫大な都民の資産を喪失、さらに尖閣問題を浮上させて、日中関係を破壊、それこそ経済界に空前の損失をもたらした人物が、昨日11月13日に「太陽の党」という極右新党を立ち上げた。石原慎太郎(80歳)の暴走も結構だが、彼は結果責任を取らねばならない、加害責任を負っている。被害者である都民や経済界に謝罪する義務があるだろう。「民事・刑事告訴の対象ではないのか」との指摘もある。右翼に怯える経済界・都民にも問題があるが、石原に加害者としての意識・自覚が全くない。それは公約違反の野田佳彦にもいえる。


 そういえば、石原は「南京大虐殺は幻だ」と言い張って、反省する気配を見せない。多くの日本人にとって、国際社会では恥ずかしい思いをさせられていることにも、当人は無頓着だ。

 何も石原に限らない。昨日の東京高裁では、小沢一郎の無罪判決があった。小沢を監獄にぶち込もうと必死になってきた、検察と新聞テレビの敗北が確定した。この間、小沢の人格・人権をぼろくそに侵害してきた彼らに謝罪と反省が求められる場面である。だが、そうしない。
 さらに悪辣なことは、小沢無罪を大きく報道しない。自己否定につながる原因追及をしない。これまでも、小沢新党「生活」の動きを、真面目に伝えようとしていない。不公平な扱いを今後とも続けようというのだ。
 対して英BBC放送は、誤報などの問題で会長が辞任した。そのことを当のBBCは、徹底して追及し、報道している。議会の反応にもしっかりと伝えている。あっぱれなジャーナリズムである。NHKにはとても真似できない芸当である。
官尊民卑
 間違ったら反省して謝罪する、これが人間の道である。
 証拠をねつ造して罪のない人間を有罪にする、こんなことは独裁国・3流国のやることである。自由と民主主義を宣伝する日本の、検察とマスコミが数年来も続けてきたことが、改めて判明したことへの反省がない。
 検事総長は交代したばかりである。反省と謝罪の好機を手にしながらも、彼はそうしない。おかしい。
 官尊民卑そのものである。御上(おかみ)に間違いはない、加害者ではない、間違っても謝らない、という傲慢さが感じられる。それがマスコミ・新聞テレビにも伝染している。
人間性不在>
 明らかに正義に反する行為である。それなのに人間性がひとかけらも感じられない。間違った裁判・司法を処罰する法はない。議会が弾劾裁判で処理すればいいのだが、それもない。そもそも議会の多数も、政敵の小沢追及に必死で、マスコミと検察の応援団だった。
 マスコミも議会も反省しない。国民の代表までが、加害者意識をもたない。被害者の人権に配慮しないのだ。この国、この国民は、謝罪と反省に無頓着ということなのか。ということは、同じことをまた繰り返すことになる。
 そこでは社会の前進を期待できない、沈む太陽である。
<冤罪事件の当事者が決起>
 一つだけ明るいニュースがある。冤罪事件で知られた布川事件の被害者が、反省も謝罪もしない司法に対して声を挙げたのだ。奴隷根性から脱する崇高な戦いである。
 御上に、公然と謝罪と反省を求める訴えを起こしたのだ。冤罪事件に対して、検察も裁判所も詫びようとしない不正義に、初めて被害者が怒り出したことになる。東電女性幹部殺害事件の犯人に仕立て上げられたネパール人支援者も、この新たな裁判に協力している、とも報じられた。
 この報道価値は高い。しかとマスコミが紙面と映像を提供するのかどうか、国民は監視する必要があろう。
2012年11月14日10時50分記