本澤二郎の「日本の風景」(1199)

<東電(日本)とBP(英)の大落差>
 悪辣な民主党政権であることが、太平洋の対岸・アメリカから飛び込んできた新たな事態で証明された。それは、2010年に発生した米メキシコ湾での原油流失事件のことだ。米国は民事の前に刑事事件として捜査、訴訟を提起した。加害企業の英石油大手のBPは、裁判で業務上過失を認めた。米司法当局などに総額45億ドル、日本円にして3600億円の罰金を支払うことで合意した。これが民主主義国家の事件処理のプロセスだ。対するに、東電の福島原発放射能事件はどうか。その被害規模は史上空前の大惨事である。BPの比ではない。それでいて日本政府の対応はどうだったのか。おとがめなしだ。余りにもひどい落差について、小学生でも腰を抜かすだろう。


<被害規模は天地の差>
 東電事件もBP事件も共に明白な重過失事件である。東電事件にも徹底した捜査が求められた。法治国家としての義務である。だが、まだ沈黙している。これに付いて民間の日本弁護士会からも、怒りの声明が出たと言う報道を聞かない。
 これ自体、東電事件の恐怖を物語っているのだが、誰もが声を挙げて指摘しない。不思議日本を通り越している。
 法務省検察庁、民間の弁護士会もどうかしている、という批判では済まされない。2011年の3月11日から大分経つ。この間、東電は証拠の隠滅と嘘の報道に徹している。それを受け入れている日本人の民度も度し難い。
 捜査を止めている日本政府・民主党政権に怒りをぶつけようともしない議会・司法当局である。全く追及しない日本のマスコミ・ジャーナリズムである。米国のBP事件の処理は、日本における東電事件処理の異様さを国際社会に知らしめている。
<刑事訴訟の米司法当局>
 今になって、ようやくごく一部の市民と法律家が刑事告訴した。この関連でも、検察の動きは、ほとんど伝わってきていない。東電事件は重大な犯罪事件である。BPもまた、メキシコ湾の環境を汚染した犯罪を問われていたものだ。
 まだ終わったわけではない。殺人での起訴はこれからという。民事の訴えは、これから沢山続くと英BBC記者は指摘している。エコノミストは「BPは弱小企業として生き残れるかどうか」と分析している。
 暴利企業は、それによって環境や住民に被害を与えれば、当然のことながら責任を問われて負う。当たり前の法治国家における企業責任である。
 東電はというと、政府によって血税を投入され、焼け太りしている。
<沈黙する日本の司法当局>
 日本政府もその傘下の司法当局も、未だに沈黙している。これについて福島の被害者は「東電は殺人企業」と怒り狂っているのだが、その切実な声は新聞テレビによって封じ込められている。NHKは、本日解散(11月16日)の総選挙の争点を「民主党3年の総括」などと意図的に、争点をはぐらかす報道をしている。
 3・11原発問題こそが総選挙の最大の争点だ。さらに10%大増税だ。そしてTPP問題である。この3点セットでの総選挙であることに、誰しも異論などつけられまい。マスコミが意図的に争点隠しをしている。ここに日本腐敗の大きさを映し出している。
<市民提訴ようやく>
 福島市民の一部が、ようやく東電の勝俣など悪辣な経営陣を告訴しているようだが、これを新聞テレビは大きく報道しない。金曜日の「野田おろし」デモについても、小さく伝えるマスコミだ。最初は全く報道しなかった。
 これでは、東電資金に囲われているメカケのようなマスコミではないか。その資金は市民・国民の財布から出ている。日本人は、電力会社に舐められている奴隷なのである。違うだろうか。
 教養も正義感も勇気もない奴隷と、彼らに信じ込まれているのであろう。それに気付かない日本人だから、戦後67年もたっても、日本はアメリカの奴隷に甘んじている?違うだろうか。
 かつて日本に留学していた魯迅も、同じような祖国に気付いて、医師から言論人になったのだろう。いまの日本は、魯迅が見た中国と似ている。違うだろうか。

 戦前の右翼は、強欲な戦争勢力の財閥退治に命をかけた。貧困層の味方だった。いまはCIAや財閥の配下になり下がってしまった。右翼の標的は石原が証明していることだが、それは中国叩きである。右翼跋扈の日本には、左翼もいなくなっている。勇気のないリベラルも沈黙している。これが今の腐りきった日本ではないだろうか。
<腰が引ける検察>
 検察とCIAの深い関係・メディアとCIAの連携、要するにワシントンの手先である日本を、小沢事件は筆者らに事細かく教えてくれた。マスコミと捜査当局は、それゆえに「日米対等」「自立する政治主導」を公約した小沢一郎に襲いかかった。
 その攻勢に、どうやら鳩山由紀夫はすっかり飼いならされて静かにしている。所詮、彼は富豪の代表でしかない。弱者の味方ではなかった。菅直人に至っては、彼の宣伝文句の市民派ではなかった。単なるコートの役割に過ぎなかった。こんな不甲斐ない輩だらけの日本社会を、それをよいことに司法も腰がひけたままだ。小沢退治に決起した検察は、東電事件に手も足も出ないのである。
 こんな日本でいいのだろうか。未来を生きる若者が哀れすぎないのか。
法治国家は偽り>
 中国や北朝鮮と比較して多くの日本人は「日本は法治国家」といって胸を張った。今もそうだろう。これは間違いである。
 法曹界の今の体たらくを見れば、とてもではないが日本法治国家論は説得力を持たない。たかが民間企業である東電を、どうして議会・マスコミ・政府が特別扱いしているのだろうか。
 3・11事件を徹底的に追及するはずの議会にしても、上は民主党自民党から、下は日本共産党までがお茶を濁してしまった。政党を支持しない日本人は、世論調査でも5割前後だが、恐らく6割から7割が本当のところだろう。すなわち無党派が覚醒すると、日本に変革の波が起きてくるのだが、いかんせん日本に魯迅がいない。
<国際社会から馬鹿にされている日本>
 こんな日本でも、外国人の一部には「日本は民主主義で我が国よりも進んでいる」と信じる日本研究者がいる。彼らは、東京で飼いならされていることに気付かない。ある意味では、東京の奴隷である。
 しかし、本物の日本研究者は、日本を尊敬する対象と見てはいない。憐憫の情でもって、冷やかに眺めている。「日本はアジアに帰るべきだ」と必死で訴えてくれている友人もいる。結論を言うと、日本は国際社会で尊敬されていない。国連に行けばわかるだろう。「ワシントンのポチ」なのだから。いつ日本は自立出来るのか、しばらくは無理か、という視点でとらえられている。

 沖縄占領に「もういい加減にして帰れ」と誰も言わない日本に、ワシントンは馬鹿にしているのである。
 12月16日の総選挙で、自立する政党の台頭に一縷の望みをかけたいのだが?
2012年11月16日11時10分記