本澤二郎の「日本の風景」(1221)

<権力の源>
 日本の教科書の全てに、日本の権力は司法・立法・行政という3権に分立している、と書かれている。形式的にはそうだが、この3権が「権力の源」ではない。主権は日本国民にあると憲法は明記しているが、実際は形式的であやふやである。人民(ピープル)・国民・市民が権力の源でなければ、近代は成立しないが、現実はこの中の一部特権層が掌握している。これにメスが入らないと、人民が主役になることは出来ない。


 3権の実質的な主役は霞が関の官僚が握っている。民主党の一部の政治家は、このことに気付いて2009年に政権を自公から奪った。永田町の政治家は、いうなれば彼らの駒にすぎない。行政府の長である総理大臣にしても、彼らが用意した手順に従い、手渡された文章を読み上げることで、日常業務をこなしている。各省の大臣も皆そうである。文字さえ読めれば、多くの日本人は総理や大臣を務め上げることが出来る。
 政策もまた官僚によって練られ、具体化する。議会はそのための装置だ。これが官僚政治の日本を象徴している。しからば、官僚が権力の源かというと、決してそうではない。政治変革は、その源に向かってメスを入れることが、何よりも重要なことである。
 アメリカでも、日本でも成功していない。筆者は野田内閣を厳しく追及してきた理由は、背後の松下財閥・PANASONICの傀儡政権だったからである。日本の権力の源泉は財閥、これは戦前と同じなのだが、現在はもっともっと強力なのである。
<財閥が権力の根源>
 財閥にメスを入れると言う点で言うと、お隣の韓国の方がはるかに民主的な国であることがわかる。現在進行形の大統領選挙では、与野党とも財閥改革を公約している。
 日本では想像できないものだが、これが当たり前なのである。中国の日本研究は、これに全く手がつけられていない。まだ、毛沢東時代の日本研究の方が高いレベルにある。
 日本では、財閥という用語さえ使用を禁じられている。それでも、日本に言論の自由が存在すると信じ込んでいる研究者ばかりなのだ。アメリカを知るためには1%の富豪を知らなければ、何も見えてこない。オバマは現在、富裕層の減税に対して、増税せよ、と噛みついている。1%への挑戦の行方が注目される。
 韓国もアメリカも、日本より優れた「民主国家」といえなくもない。日本では財政破たんして久しいが、富裕層への増税論は共産党だけだ。いわんや財閥の独占にメスをいれる政党は、一つもない。むろん、御用学者ばかりの日本のエコノミスト政治学者から聞こえてはこない。
 偽り・詐欺まがいの政治論や経済論ばかりなのである。

<独裁から民主主義へ>
ジーン・シャープの非暴力革命論の存在を知ったばかりの筆者だが、彼は「権力の源を知れ」と説いている。同感である。暴君・独裁者なのか、それとも1%の富豪・財閥なのかどうか。本当の権力の主体は誰なのか、ここを見極めよ、が彼の非暴力革命論である。そもそも全ての政府は「侵略から人民を守る」という大義のもとに、強力な武器弾薬で体制を維持している。軍事力を保持している。従って、反政府側のテロなどの暴力革命はなかなか成功しない。外部の援助なしに成功しない。シャープ理論は、暴力を否定することで、暴君を倒す方法を教えて、今も人気を集めているという。
正論である。まず何よりも権力の源を特定することが先決なのである。チュニジアアルジェリア・エジプトなどの「アラブの春」は、一人の独裁者が支配者だった。
ジーン・シャープの「独裁から民主主義へ」が、反政府勢力のバイブルとなった、とされる。これにインターネットによる情報戦である。
独裁者を倒しても、その後の民主政府を立ち上げることは容易なことではない。「アラブの春」が完結するのは、まだ先のことである。
<非暴力革命>
 非暴力革命は、なにもこと新しいことではない。多くの市民が共有している。21世紀に暴力革命など論外だし、国際社会から支持されることはない。
 インドのガンジー主義は、その原点として存在している。南アフリカマンデラ革命もそうだろう。体制崩壊は、民衆が覚醒して、時の政権の腐敗が露呈した時に起きる。
 その点で、中国の新体制が腐敗に必死で取り組んでいるのは、正解であろう。これに失敗すると、将来は危うい。ロシアのプーチン政権も、今そうした取り組みを見せている。政権の健全化なくして、その維持は容易ではない。
<財閥・富豪に食いちぎられた先進民主主義>
 先進民主主義の国とされる欧米諸国、そして日本も、民意が反映されているとは言えない。一部の特権層が権力の源になっている。
 前述した韓国の財閥改革の行方が、いかにも重要である。韓国の力の源泉である財閥に対して、捜査当局の動きは素早い。政権の交代が財閥の腐敗にメスを入れる事例を人々は知っている。財閥の腐敗が、暴利の源泉であることも。小手先の腐敗退治のようだが、それでも日欧米に比較すると、天地の差がある。
 日本では財閥という文字も登場しない。小さな企業腐敗は表面化するが、財閥がらみの腐敗が事件化することはない。従って財閥の独占と横暴は極まっているが、それを日本人はわからない。報道されることはない。それに捜査当局が動くこともない。
 史上空前の東電原発事件を見聞できる日本人は、誰しも気付いているはずである。日本の権力の源泉が、国民にはない、政党・政治家にもない、官僚にもないということが露見されている。それでも無教養・愚民は立ち上がろうとしない。
 日本に民主主義は存在しない。ネット時代と言うのにネット選挙が規制されていると言う事実を、昨夜の放送で知って驚いた筆者である。3流国の日本なのだ。
<ワシントンと財閥>
 日本の権力の源泉は財閥だけではない。ここがなかなか複雑で厄介なのである。外からは全く見えない。
 警察官僚から政界入りした亀井静香は「67年間のシミがついてきている。わかっていても行動できない。勇気のないものばかりだ」と嘆いて語ってくれたものだ。ワシントンのことである。
 ワシントンの数人の対日担当者の指令で動く日本政府なのである。
 前に、政策が各省大臣官房を中心に官閥・財閥のエリートにワシントンの経済官僚が加わって法案化する秘話を書いたが、これの取りまとめ役が東大教授である。

 余談だが、親しかった池田行彦の経歴を調べて見た。彼は60年安保騒動時に国会デモに参加していた。加藤紘一もそうだった。池田は殺された樺美智子の親友だった。彼女が国会デモで死んだ時、彼は授業に出て、彼女の呼び掛けに応じなかった。彼は筆者にだけ、その過去を語った。生きていれば池田の人生は、彼女と別のコースを辿っていたかもしれない。
 東大法学部を卒業して大蔵省に入った。その後、外務省に出向してニューヨーク総領事館で働く。彼は池田勇人の娘婿となって政界入り、天下人を目指した。彼は防衛庁長官外務大臣など歴任、あと一歩のところで体調を崩してしまった。
 現時点で池田の歩みから見えてくるのは、やはりワシントンの罠のことである。先輩の宮澤喜一自民党総裁選に出馬する際の声明で「時代はますます9条の素晴らしさを証明してきた」と発言した時、横にいた池田が「宮さん、いいここと言う」と耳元で囁いたものだ。
 自民党にもまともな政治家がいた証拠だ。今の安倍との落差がいかにも大きいかがわかろう。筆者が宮澤と池田を信頼した理由はここにあった。平和主義の池田と宮澤だったのだ。
 宇都宮徳馬もそうだったが、こうした面々が40年前に日中国交を回復したのである。ともあれ、ここでいいたいことは、ワシントン工作が日本のエリート層、すなわち財閥・官閥・政界・言論界へと執拗に繰り広げられてきているということなのだ。アウトサイダーには全くわからない、日米関係の太いパイプを裏付けている。
<選挙による無血革命>
 結論を急ぐと、日本の民主主義は財閥とワシントンに略奪されてしまっているということなのだ。ここから抜け出そうとした田中角栄小沢一郎ということになるが、前者は逮捕され、足元からのクーデターで酒に潰されてしまった。後者は逮捕を免れたが、マスコミによる執拗ないじめは、公正であるべき選挙戦でも繰り広げられている。
 筆者は昨日、期日前投票で「日本未来の党」に入れてきた。判官びいきと官僚政治・財閥・CIAとの戦いに屈しない小沢を評価してのことだ。
 日本の無血革命には、市民の覚醒が不可欠である。選挙で可能なのだ。しかし、財閥とワシントンはマスコミを抑えてコントロールしている。そのため、主権者は真実を知らない。ここが最大の鍵である。
 ジーン・シャープではないが、日本権力の源泉を知らなければならない。多くの日本人は韓国を訪問しているが、キムチを食べてくるだけである。財閥に対する韓国の人々の、民主的な心情を理解するに至っていない。

 財閥とCIAに翻弄される日本から脱却する日がいつなのか?日本再生とも関係する。
2012年12月12日10時15分記