本澤二郎の「日本の風景」(1254)

1票の格差と政治の貧困>
 有権者(主権者)の10%台の支持政党が国会の議席の3分の2近くを占めた。改憲軍拡を公約した危険極まりない政権の誕生だ。そんな政権を7割前後の有権者が支持している、と新聞テレビは報道している。今やろうとしていることは、貨幣の乱発という狂気の金融政策でしかない。日本の資産・円を安くさせるため、既にガソリンや灯油の値段が空中に舞い上がっている。一部富裕層は株高で浮かれてはいる。新たな狂う政治に、無数弱者は新たな不安にかられて、先が見通すことが出来ないありさまだ。



 12・16総選挙に不正選挙疑惑がまとわりついたままだ。投票用紙から票の読み取り、運搬、管理一切を民間の「ムサシ」という企業が独占していることも、今回発覚した。背後に米投資会社の存在もわかってきた。投開票のコンピュータープログラムは、富士通が開発したもので、専門家は「操作可能」と断じている。
 これの疑惑に政府も議会・司法・言論界も沈黙している。さすがに司法は1票の格差に対して、相次いで「憲法に違反している」と判決を出している。司法が遂に決起したものだ。
 主権者を平等に扱っていない選挙制度にNOを突きつけたのだ。この異常な事態を政府・議会・言論界は真正面から目を向けていない。民意を反映しない不公平な制度と1票の格差が、政治の貧困をもたらしている。
 戦前も戦後も続いてきている官僚政治・おかみ主導の政治に変革の兆しはみられない。世紀の行財政改革に蓋をかけたまま、この国は平和憲法路線を踏み外す、あらぬ方向へと突き進んでいる。
<党利党略・嘘の公約>
 筆者は、1票の格差を是正するこの機会に衆参両院議員の議席を半分にすべきだと主張してきた。また「小選挙区制は腐敗を生む」(エール出版)を書いて、民意がもっとも反映しにくいこの制度の非を、一人で訴えてきた。
 議員の定数半減と報酬も半減する。そうしてこそ、役人の定数と給与の半減という世紀の行財政改革が実現出来る。借金で首が回らない日本丸の浸水を食い止めることが出来る。
 これが民意である。政治の大道なのだが、与野党ともに票の配分に一喜一憂している。党利党略を丸出しにしている。典型的な衆愚政治である。「公正な選挙された国民の代表による政治」は行われていない。
 そのことに当事者が目を向けようとしない。悪辣な政治指導者ばかりである。まともな為政者がいるとすれば、一瞬たりとも心が休まることが無いだろう。ことほど悪質な日本の政党・政治家ばかりである。
 昨日、花冷えする房総半島を歩いてみると、いち早く某党の選挙ポスターが目に止まった。党首の大きな写真と共に、大きな「再建」という文字が浮かんでいた。嘘を宣伝している政党だ。

 小学生でもわかるだろう。20数年前の中曽根バブルの後遺症はただごとではない。その挙句の莫大な借金の割合は、敗戦時の1945年レベルだ。それでいて全てを官僚任せ・ワシントン任せの政治を改めようとしない。「再建」どころの話ではない。本当に再建をするというのであれば、世紀の行財政改革を断行する必要がある。党利党略政治を放棄する覚悟が求められている。
<大地は春なのに>
 それはさておく。房総半島の春は本番である。畑は整地されて種まきの季節を迎えている。水田も苗を待ちこがれている。山は木々の若葉で萌黄(もえぎ)色に染まろうとしている。山桜の白っぽい花が点々と山肌に燃えている。
 我が家の、命名したばかりの正文桜は、2分咲きだ。桃も蕾を大きく膨らませていた。枝を切り取って東京に持ち帰った。蕾だらけの菜の花も。前回沢山採れたフキノトウも、白い花を咲かせていた。数日早ければ食べられるところだった。
 野蒜(のびる)も庭先で採れた。大百姓のSさんが、ネギと大根をプレゼントしてくれた。農協の売店でも春キャベツなど青物を買い込んで上京した。日曜日の花曇りを想定した車族が一斉に上京するものだから、千葉市周辺の渋滞に巻き込まれてしまったのが痛かったが。
 久しぶり施設から帰宅した母に会えてよかった。妹は1泊で来てくれていた。間もなく95歳になる母が、今も元気な様子が、子供にはありがたい。「故郷の山はありがたい」と歌った歌人は、母親と山を重ね合わせていたのではないだろうか。
<悲しい事件>
 遅く帰宅してパソコンを開くと、悲しい事件が飛び込んできた。それは恐ろしい政治の貧困を象徴するものだった。
 福島県二本松市の33歳の母親が、一人息子の小学6年生の青空君を絞殺して、自分も死のうとしたという悲劇だ。原因は「生活苦」という。東電福島原発爆破事件と関係が無いとは言えないだろう。
 莫大な復興予算が目的外に使われていたせいなのか。それとも東電が真剣に補償をしなかったせいなのか。それにしても息子の名前が立派だ。卒業式の朝に、母親の手で希望の一人息子を絞殺させた国・地方の責任は重大であろう。生活保護の対象ではなかったのだろう。この国の崩壊を裏付けて余りあろう。「再建」という政党の公約を、貧者・弱者は嘲笑っているのである。
 確かに、知られざる事情があるに違いない。そうだとしても、33歳の母親を狂気へと追い込んだ日本社会・日本の政治の貧困が悔しくてならない。自民党から共産党まで猛省して、民意の政治の確立に身を投げ出してもらいたい。
<怒る元大臣秘書官と人権派弁護士>
 それかあらぬか、携帯電話の向こうで、元大臣秘書官が与党の選挙制度改革案に怒った。「票の配分に目を向けている。本末転倒ではないか。民意がいかに公正に反映されるか、そこに視点を置いていない」と決めつけたものである。
 彼の怒りは山々にこだまするかのようだった。自由人の強みでもあろう。人間は肩書を全て外した時に本物になれるものだ。正論である。
 人権派弁護士は「1票の格差は人を差別する。人権侵害である」と断じている。都市部においてそれは際立っている。地域を優先している選挙制度から、人口・人間中心の制度にする。格差を解消すれば、民意は反映されることになろう。いずれにしろ、小選挙区制は民意が反映されない最悪の制度である。直ちに消滅させるしかない。
<民意と乖離する日本政治>
 民意と乖離する日本政治は、民主政治とは言えない。小選挙区制に取りつかれた最初の政治家は、安倍の祖父・A級戦犯容疑者の岸信介だった。どうしてか。民意の反映される選挙制度では、改憲軍拡という過去の帝国へ回帰させることが不可能だと悪魔が判断したからである。

 右翼の願望が小選挙区制の実現だった。独裁政治がより可能だからでもある。これを強行した小沢は、いまどう感じているのであろうか。大いに反省すべきではないだろうか。中選挙区制もしくは大選挙区制がいい。ただし、定数は半減すればいい。報酬も。そうなれば、いい人材が永田町に出現するだろう。
2013年3月24日10時10分記