本澤二郎の「日本の風景」(1260)

東芝の素顔>(その二)
 東芝の暴走ぶりは、東電福島原発事件で原子炉製造責任者として負うべきなのだが、2年も経っても、国民の前に姿を見せようとしない、謝罪も反省も見せない、それどころか原発再稼働と原子炉輸出に向けて、安倍内閣を背後から操作している点に、象徴的に現れている。3・11責任は第一義的に東電が負わねばならない。同時に、製造責任者の東芝も、である。東電には原子炉を扱える専門家はいない。承知の上で、東芝は安全を100%保証して売却したものだから。


 法的云々以前に製造者としての道義的な重い責任を負っている。だが、これまでのところ、そうした認識を東芝は見せていない。傲慢さだけが先行している。
 多くの国民は、東芝商品はテレビや冷蔵庫など家電製品メーカーとして知っている。新聞テレビへの広告はすさまじい。その金力でマスコミを抑え込んで、いわばやりたい放題だ。其れが通用する日本に、3・11後の国民は疑念を抱いている。福島県民だけではないだろう。東北の民ばかりではないはずだ。福島原子炉で消費者を裏切る商行為は、いずれ市民の指弾を受けるしかないだろう。
<建て前の3権分立>
 この機会に筆者が足で歩いて手にした「日本の素顔」を、後世の人たちに伝えておきたい。日本の権力は司法・立法・行政の3権が分立している、と教科書で教えている。3者の抑制と均衡によって独裁を禁じている、と多くの国民は信じている。筆者もずっとそう思いこんできた。それを前提にペンを走らせてきた。
 日本は戦後に、天皇国家主義独裁国家から、国民が主権者である民主主義の国に変わった、と思い込まされてきた。だが、現実は違った。それは幻想でしかなかった。今もモンゴルで安倍は、民主国としてのモンゴルと共通の価値観を有している、とほざいて中国けん制に躍起になっている。
 日本に民主主義は確立していない。あるように見せかけているだけだ。もしも、事実であれば国民の意思・民意は政治の場で生かされて当然だろう。日本人の、日本人による、日本人のための政治は、ほぼ全面的に否定されているのが実情である。
<政党・政治家は乞食>
 筆者は20年余の政治記者時代、政権与党である自民党取材をしてきたジャーナリストである。こうした機会を手にできた政治記者は、恐らく日本でただ一人だろう。幸運な機会を作ってくれた東京タイムズに、今も感謝の念でいっぱいだ。
 この間、自民党派閥の全てを取材対象にして記事を書きまくってきた。72年から90年にかけて書いた筆者の原稿は、他の記者のそれを圧倒した。特に憲法に抵抗する右翼の政治活動に対して、一番厳しく批判してきた。他方、平和・軍縮派に対しては、高く評価してきた。日本国憲法の命じるところである。
 右翼議員や右翼派閥とはなじめず、ペン先は常に厳しかった。当然のジャーナリストとしての義務と心得てきた。当時の記者にとって、それは当たり前の立場だった。ほとんどの政治記者は72年の日中国交正常化を評価した。72年9月の田中―大平訪中に各社とも政治部長が特派員として北京入りした。山口政治部長の見送りに羽田空港へと長男を抱いて、空港のタラップに立った。筆者の初訪中は79年12月。大平首相訪中に同行したのが最初だった。日中友好は、アジアの平和と安定の基礎であるとの認識を、当時の政府・言論界・経済界が共有していたからである。安倍の父親が所属した福田派は、これに反発していた。背後の、安倍の祖父・A級戦犯容疑者の岸信介が抵抗を強めていたためだ。
 しかし、この大きな潮流を変えることなどできなかった。そんな岸の意向は小泉内閣、そして安倍内閣で表面化してきている。石原慎太郎尖閣の問題提起も同じ流れである。

 こうした経緯からすると、政治はいかにも政党・政治家が動かしていると勘違いするものである。72年は例外だ。背後で財閥も後押ししていたからでもあった。中国との貿易に期待を抱いていたのだ。それはワシントンにも言えた。ところで、現実における政党・政治家の活動は違う。友人の自民党古参秘書は「我々の仕事?それは乞食稼業さ」と本心を明かしたものだ。
 永田町の面々は胸にバッジをつけて「センセイ」と呼ばれている。実際は乞食同然なのである。財閥の小間使いレベルなのである。それは官僚にも当てはまるだろう。
<官僚上位の永田町>
 霞が関の存在について、筆者はほとんど眼中になかった。日本の政策・法律の全てが、そこで誕生する本陣・本拠地であることに気付くのが遅かった。それは政治記者の欠陥を露呈するものだった。まさか霞が関で財閥エリートと連携して、新たな利権を生み出す政策が生まれると言う制度的実体を、最近まで知らなかった。
 財閥と官僚のエリートは共に、米国留学組である。ワシントンに飼いならされた面々、仲間なのである。同じことをワシントンは、北京に対しても行っている。中国の政府・党の高官子弟は、皆アメリカ留学組である。

 日本の重要政策には、ワシントンの血が混入されることになっている。目下のTPPもその一つなのだ。政策は霞が関で産声を上げる。民意では全くない。チームの座長は決まって東大教授というのである。まるで祭礼儀式と似ている。この実体を知るのに長期間かかってしまった。
<財閥最上位の日本>
 戦前の日本に対する分析は、欧米とアジア諸国のそれは異なっている。アジアは軍国主義の日本を強調する。その点で、欧米はもう一つの背後の黒幕にメスを入れた。それが財閥である。軍閥解体と同時に財閥をも解体した占領軍だった。
 財閥こそが軍部を動かしてきたものだ。軍部も官僚も、財閥の金に順じて政策を推進してきたものだ。朝鮮半島や中国・東北地方への侵略は、すべからく財閥の意思を反映したものだ。その点をワシントンは承知していた。さすがである。アメリカもまた1%が支配する国である。
 一つの具体例を紹介しようか。9・18事件で知られる張作霖爆破事件の主犯は、当時の関東軍であることは、既によく知られているとことろである。問題は誰が関東軍を動かしたのか?なぜ張作霖殺害だったのか?ここに事件の本質が隠されている。
 筆者は偶然、三井財閥を徹底研究している学者の話を聞いたという映像ジャーナリストに会ったことがある。当時、満州の大豆取引を独占していた三井に対抗して、軍閥張作霖も手を出した。途端に三井の利益は激減した。その後に事件が発生した。彼の説明に納得した。
 三井が軍部を動かした明らかな文章も存在する、というのである。「其れを公表出来ないのか」と質問すると、そんなことをすると、大学から追放されるとのことだった。確か名古屋の方の学者と記憶している。
 勇気のある学者がいない日本なのである。
<三井を代表する東芝
 財閥は戦後瞬く間に復活した。戦前の規模をはるかに、はるかに上回る規模である。その莫大な資金力で霞が関と永田町に君臨している。財閥こそが日本を動かす闇の権力体なのである。
 ここまで理解するのに筆者は長い、長い年月を必要とした。多くの日本国民もジャーナリストも気付いていない。新聞テレビも財閥の配下・広報担当でしかない。
 「新聞が存続できるのは、手にした情報を報道しないから可能なのだ」というアメリカのジャーナリストの至言を思い起こせば十分だろう。筆者は宇都宮徳馬を裏切ったナベツネ批判をしているが、実を言うと、ナベツネ的新聞人だらけの日本なのでもある。
 ここで、中間的結論を導き出す必要があろう。最新の成果なのだが、東芝は三井の超巨大財閥の代表的メーカーなのである。

 知らなかったのだが、東芝は武器・弾薬メーカーでもあった。武器・弾薬メーカーというと、日本人の多くは三菱を連想する。多くは東芝を目に浮かべることはないだろう。それは間違いだ。訂正する必要があろう。
 本当の情報は、まだ日本人の一部の人しか知らない。そんな日本なのである。東芝研究は、新たな視点から日本の姿を見せてくれる。日本記者クラブの本澤宛てに情報提供してくれると、もっともっと世の中が見えてくる。協力を期待したい。
2013年3月31日10時40分記