本澤二郎の「日本の風景」(1262)

東芝の素顔>(その四)
反体制派で学生時代を送った読売のドンである。それが一転、左翼から右翼へと正反対の側に転身した。ナベツネだけではあるまい。左翼にも問題があったのだろう。それはいい。しかし、左から右へと極端に思想的転換をし、それを公的な国民に奉仕する新聞紙面からテレビ、さらにはマスコミ全般へと拡大して、いわば政権の黒幕のような活動をする人物を、他に知らない。原発推進言論人だ。東芝との深い仲でも知られる。極右官邸とともに夏の参院選必勝を期しているのだろう。その工作の一つが浮上した。


ナベツネの実力?>
 ナベツネの子分で知られる二人の元巨人選手が国民栄誉賞をもらう、という官邸報道である。「さすがわナベツネの実力」「いや安倍の恩返し」「狙いは参院選対策」と政界雀はかまびすしい。官邸とナベツネと右翼財閥のやりそうなことではある。
 彼の読売入社から結婚の仲人までした宇都宮徳馬の、心からの怒りの弁を聞いている筆者である。安倍はそこまでは知るまい。「右翼に塩を送るのは財閥だよ」と叫んでいた宇都宮の声も聞こえてきた。安倍と小泉と東芝の深い関係も、この賞に一役買っていないだろうか?
国民栄誉賞の効果?>
 いずれにしても日本政治の低レベルを、新たに印象付ける国民栄誉賞の決定である。そもそも、この賞のことを知らない。確かに、金も地位も掴んだ人間の次に欲するものは、ある種の賞ということらしい。
 筆者も新聞社の政治部長時代に、社長本人に請われて勲章をもらってあげたことがある。大したものではないが、本人は大喜びだった。与党政治家の多くは、地元の後援者・献金者に勲章をもらってあげて、集票と献金に応えている。ただ、それだけのことである。
 元衆院議長が「フランス政府からレジオン・ドヌール勲章をもらった」と見せてくれたことがある。喜んでいたのは本人だけだった。
 最近聞いたものでは、問題の石原慎太郎徳洲会のボスに、聞いたこともない賞を取ってあげた、という秘話を耳にした。

 それにしても、もはやアメリカ野球からお払い箱になった松井にも、というのは、多くの市民が驚いている。つまり政治的に活用できれば、相手が誰でも構わない、そんな政治的賞なのだ。選挙にプラスになれば、というのが、受賞の真相なのだ。合わせて日ごろから宣伝役に徹している読売関係者へのお返しであれ、それは一石二鳥であろう。其れに浮かれる新聞テレビだ。号外まで出した新聞社があった。小泉流の言葉を借りると、正に「笑っちゃう」出来ごとでしかないのだが。
<長嶋秘話>
 せっかくの機会なので、長嶋の秘話を紹介しようか。彼の母親のことである。母親こそこの賞をもらう資格があるのかもしれない。
 語ってくれたのは、首相官邸の主のような報道官の杉原さんだった。彼のことを知らない政治記者はいないほど、官邸内では名物男だった。千葉県袖ケ浦市、旧平川町の出身だ。
 彼は45年の敗戦直後に復員してくると、首相官邸に住み着いた。食糧難の時代だ。闇屋が横行、餓死する人が列島を覆っていた。円の価値は紙切れ同然の時代である。彼は官邸内に畑を作り、そこでサツマイモを栽培したりして、飢えをしのいでいた。
 そのころ、官邸内にも担ぎ屋のおばさんが押しかけてきていた。彼女こそが長嶋の母親だった。佐倉から京成電鉄に乗って上野で乗り換え、山手線で東京駅か有楽町で降り、そこから官邸まで歩いたのだろう。バスが通っていたかもしれない。重い籠を担いでいた。重労働である。
 彼女は足しげく官邸に通った。彼女にとって官邸は大のお得意さんだった。辿り着けば、必ず荷が軽くなる。そうして長嶋を育てた。既に息子は野球少年だった。息子の夢を杉原さんに語って聞かせていたのである。そのことを彼は筆者に明かしてくれた。
 この母親なくしてその後の長嶋は存在しなかった。可能であれば、母親の方に国民栄誉賞を与えたい。筆者はそう思いたい。「たかが野球、されど野球」だ。この野球を利用して、部数を伸ばし、朝日を抜いた読売なのだから。
 ナベツネはよく中曽根を巨人軍の試合に案内した。中曽根と長嶋の交流は、その後に前者が長嶋邸を借りることになる。3者は男同士の特別な信頼関係を結ぶのだった。原発推進財閥も、彼らを支援することになる。
<官邸と読売の蜜月>
 従って、官邸と読売の蜜月の最初は、長嶋の母親からなのだ。憲法改悪政権に比例して、官邸との距離を測定するナベツネを、筆者は宮澤内閣が誕生する段階で初めて耳にした。既に中曽根内閣の下で、中曽根新聞を演じてきた読売である。「ナベツネの条件提示」に宮澤も辟易したらしい。なぜなら彼は、ナベツネとは逆の護憲派・リベラルを信条としていた政治家だったからである。
 筆者は、それゆえに小さな支援を宮澤に惜しまなかった。日本国憲法の命じるところだったからでもある。新聞テレビを武器に政権をゆする、揺さぶるナベツネ流に反発することになる。宇都宮も同様だった。彼は「忘恩の徒」という言葉を筆者の前で口にした。
 改憲を口実に右翼財閥との連携を図ってゆく言論人を、あるジャーナリストは「堕ちた言論人」と酷評した。同感である。
<93年のワシントン>
 90年に政治記者卒業論文のつもりで、本を書いた。「自民党派閥」(ぴいぷる社)である。すると赤坂の米国大使館の政治担当から連絡が入った。「派閥の勉強をしたい」という真面目な外交官だったので、すぐさまOKした。
 月に数回、大使館内で勉強会をした。館内の食堂でまずいコーヒーを飲みながら。ただそれだけでも筆者は満足だった。政治部の人間にとってアメリカ大使館は、それなりに興味の対象だったから。
 確か2年後に彼はフィリピン大使館に移動した。「何かお礼をしたい」と言い出した。それが国務省の1カ月招待だった。「希望の場所を案内する」という実にありがたい要請だった。後でわかったことだが、ワシントンはその国のオピニオンリーダーを招いて、ワシントン人脈を構築していた、そのための一環だった。
 筆者をガイドしてくれたW・バレットさんは、その前に細川護煕を案内していた。希望の取材場所はワシントンからニューヨーク、そして中部から西海岸のサンフランシスコ、ロスアンゼルスと全米にわたった。
 狙いの一つは、読売・改憲論の出所を探り当てることだった。当時のアメリカはリベラルのクリントン政権が誕生したばかりで、様相は一変していた。ネオコンはワシントン中枢に存在しなかった。読売・改憲論に腰を抜かす政府要人や学者・ジャーナリストばかりだった。
 国防総省軍縮担当将校は「日本はもう一度アメリカと戦争をするつもりなのか」と噛みついてきたものである。筆者は帰国すると、さっそく「アメリカの大警告」(データハウス)を出版して読売路線に抵抗を試みた。
 政界きってのアメリカ通の宮澤から、本の内容を絶賛するはがきが届いた。あれから20年も経つ。いまナベツネ軍国主義が、安倍を操って浮上させているのだろう。本当の黒幕は軍需産業でもある財閥だ。その中に、原子炉と武器・弾薬を製造する東芝も入るのであろう。
<ブッシュ時代のネオコン
 9・11でワシントンに巣食うネオコンが一挙に台頭した。こうしてブッシュ戦争が相次いで火ぶたを切った。当初はうろたえていた小泉も、背後の東芝・財閥の意向を受けて決断したと理解できる。
 あろうことか憲法9条を踏みつぶして自衛隊をアフガン、ついでイラクに派兵した。平和市民の怒りを、主にナベツネ新聞テレビが押しつぶしたといわれる。ブッシュの小泉への感謝の気持ちが、喉から手を出していた米原子炉メーカー「ウェスチングハウス」の東芝への売却だった。これは筆者の分析である。「小泉も巨万の富を手にした」と関係筋で指摘されている。
このブッシュ時代になって、公然と日本国憲法改悪論がワシントンから伝えられるようになった。ネオコンの存在を裏付けていた。小泉の靖国参拝も繰り返し行われ、北京との緊張を作り出していた。近年は石原による尖閣問題である。
 自民党改憲案が浮上してきたのもこのころである。日米の産軍体制が頭をもたげてきた。ワシントンの1%と日本の財閥の結びつきが強化される時期である。概観するに、東芝からさまざま重大事案が不思議とよく見えてくる。
2013年4月2日19時05分記