本澤二郎の「日本の風景」(1268)

東芝の素顔>(その十)
 史上空前の東電福島原発事件に対して、知らぬ半兵衛を決め込んでいる原子炉メーカーが、この日本に存在していることに驚愕するばかりである。この連載を始めた動機の一つだ。原子力ムラは経済産業省の悪魔の心を持った官僚ばかりではない。東電の勝俣や清水だけでもない。東電に原子炉を売り込んだ原子炉メーカーもはいる。原子炉が爆発しなければ、放射能が大量に美しい大地を海・大気を汚染することはなかったのだから。安全神話の大元が原子炉メーカーなのだ。その筆頭が財閥・東芝である。他にもある。日立や三菱も。



<表面化した原子炉メーカー追及>
 昨夜、日比谷の中日新聞本社地下1階のレストランで食事をしたあと、歩いて日本記者クラブのあるプレスセンタービルの前を通り過ぎると、市民の反原発運動のグループに出食わした。一人がマイクを握ってジャーナリストに決起を促す呼びかけをしていた。
 彼らはチラシも配っていた。せっかくのチラシ配布を、公然と無視する日本人に悲しい思いをさせられた。筆者は感謝の気持ちでそれを受け取った。
 驚いてしまった。この日本に原子炉メーカーを糾弾する市民運動が存在していたのだ。その市民運動グループだった。
 元自治大臣で現在は弁護士の白川勝彦氏と別れたばかりである。彼は筆者同様、永田町の無様な醜態に怒っていた。2009年の、市民革命ともいえる政権交代劇に筆者同様、狂喜した人物だった。
 鳩山政権にもっとも期待した日本人だった。しかし、それもあっけなく崩壊してしまった。その次の菅直人野田佳彦には失望と衝撃の連続だった。そして検察を動員した小沢事件にも反発していた。
 彼とは不思議と、同じ思いで永田町を眺めていたことになる。お互い、胸の怒りをぶちまける会話をしてレストランを出て表に出た瞬間、原子炉メーカーを糾弾する市民組織と出食わしたのだ。
<原子炉メーカーを糾弾する会>
 チラシには「1億2000万人の脱原発ファンに贈る行脚シリーズ 第2弾決定」と書いてある。その下の文字に目が止まった。「原子炉メーカー(の責任を問う抗議)行脚」である。
 遂に善良な市民が立ち上がってくれたのだ。原子炉メーカーの責任追及市民グループの存在に、まだ日本の将来はあるかもしれない、という予感を抱いた。喜ばしい限りだ。
 「北海道・札幌(原子炉メーカーを糾弾する会)と同時開催」ともうたっていた。ということは、この会の発足は風光明美な北海道の地から沸き起こったものか。
 美しい大地を破壊する原子炉は「人類の敵」である。まともな人間であれば、誰しもがそう感じる。3・11が原子炉の正体をくまなく明らかにしてくれたのだから。悪魔人間でない限り、原発はいらない。あってはならない。
 地球には太陽や風など自然エネルギーが存在している。核に手を出す必要など無い。してはならないのだ。

 直前に白川氏は、笑いながら「肺がんの元凶はたばこ、というよりも車の排ガスと医師はいっていた。そうかもしれない」とも決めつけた。確かにそうである。煙草を吸わない人間が相次いで肺がんになっている。がん死亡の一番手ではないか。
 煙草は健康によくない。しかし、車の排ガスが一番の敵なのだ。PM2・5という言葉が急に飛び出してきているが、人間をがんで死滅させている元凶は車の排ガスなのだ。「車は税金の塊」という白川氏の言葉にも、重い政治的な何かを感じる。
 利権・金もうけが、真実に蓋を懸ける、という社会に、民衆はそろそろ気付くべきだろう。原発利権は、庶民の感じるレベルを数千倍・数億倍なのだ。そのための安全神話が、新聞テレビを経由して日本人の精神・脳を支配してきた。それが福島で露見してしまった。
 それでもワシントンとも連携している原子力ムラは、民主党政権を潰し、再び悪しき自民党自公政権を誕生させた。そこで問題は、公明党創価学会の対応である。これまでの主張を貫くと言うのであれば、悪魔と手を切る道義的責任があると、あえて訴えておきたい。悪魔の政権に加担してはならない。核は人間・地球を破壊する悪魔なのだから。
<4月13日に東芝本社にも抗議行動>
 「原子炉メーカーを糾弾する会」は、この4月13日(土曜日)に日立本社・北海道電力東京支社・東芝本社・三菱重工本社・日本製鋼所に対して、抗議活動を実施する。
 13時に東京駅丸の内北口地上出口に集合すれば、誰でも自由に参加できる。
 この資料で初めて、原子炉の中核でもある圧力容器のメーカーが日本製鋼所であることを知った。なんと世界の占有率80%というのである。無知の怖さを思い知らされた。
 「生命と核は未来永劫、共存できない」という彼らの主張には悪魔でも反論できないだろう。
 一度きりの命だ。それを悪魔に捧げて生きていいものか。自公関係者・維新の会の関係者とその支持者に対して、痛切な思いで訴えたい。命最優先の人生にかけようではないか。それが孫や子供への約束・人類の使命ではないかと。
2013年4月9日9時19分記