本澤二郎の「日本の風景」(1324)

<石原利権継承の魔都>
 前回は民主党に期待した東京都民は、野田内閣の10%消費税で裏切られて衝撃、今回は一斉に手を引いた。そんな選挙結果となった。昔を思い出す。美濃部都政が懐かしい。福祉に力を入れた都民主導の政治のことである。その正反対が石原・極右都政だった。利権に特化した最たる都政は、石原銀行を立ち上げて、そそくさと破綻させたことである。1000億円をネコババした一部都民は、石原に1票を投じた面々だったろうが、これに全ての議員もまとわりついた。次なる利権政治が五輪に向けた乱費都政である。既に首都は魔都に変身、430万支持という不正疑惑知事のもとで、新たな腐敗が進行することになろうか。


石原銀行にメス入らず>
 昔から自民党国会議員の秘書らが羨望の眼でつぶやいていた言葉が、都議会議員の高額報酬のことだった。「国会議員は秘書を10人、20人と抱えて出費が多い。その点で都議は少なくて済む。仕事も少ない。もっぱら利権あさりしている」というものだった。
 「家を数軒、たちどころに所有できる」という。これに女性を加えると、中国の腐敗役人と同レベルになるようだ。腐敗政治屋や役人の存在に対して「日本の2号さん、ガンバレ」といいたい気分だ。
 石原は都議会議員数や都議の高額報酬にメスを入れなかった。高額報酬は役人もそうであるが、そこにも手を突っ込もうとしなかった。石原もまた利権都政・役人主導にもっぱら専念、時折乱暴な発言で話題をそらして、腐敗都政を隠してきた。これを見破れられない昨今の新聞記者ばかりなのだ。
 その典型が石原銀行である。1000億円の貸出先のリストは、いまも残っているのか。まともな都民は皆知りたがっている。自民・公明・民主・共産の各党議員が仲介役になって「公然と分捕っていた」と指摘されている。
 猪瀬はまだ何もしていない。430万の大人気の猪瀬を信じられない。
<五輪狂想曲本格化>
 猪瀬は石原都政の継承者だ。まだ五輪利権に突っ走っている。腐敗した三文作家という点で、体質は石原譲りだろう。
 海外出張に夫人の経費を都民税で支払っていることが発覚して、ネット社会で話題になっている。トルコ批判で失墜したが、そのトルコで市民が政府批判デモを行っている。
 「背後にCIAがいる」と指摘する向きもある。ブラジルもそうかもしれない。「オバマ政権になってからCIAは、ストレスがたまって暴走している」のだろうか。
 かくして猪瀬は、五輪開催攻勢に巨額の都民税を引き続き使うことになる。公費の乱費は石原譲りだ。都政記者の真相究明は期待できない。フリージャーナリストの決起を期待したい。
 ただでさえ「アホのミクス」で都民の家計は、直撃を受けている。しぶしぶ内部被曝の野菜や肉を食べている。子供のいる家庭は、高額な水道料金に加えて、天然水を購入している。東京でも「五輪の無駄を止めて福祉や医療、教育を充実させよ」という都民デモが表面化するかもしれない。そんな予測をさせる都議会選挙の結果だった。
<沖縄慰霊の日>
 6月23日は都議会選挙よりも、はるかに重要な行事が沖縄で行われていた。沖縄の戦没者の「慰霊の日」式典である。
 そこへと日米同盟論者という表向き「アメリカの日本属国」を受け入れている安倍が、のこのこと参列した。防衛大臣まで顔を出して県民の怒りを買っていた。
<戦争の出来る日本にNO>
 安倍の本心を承知している沖縄県民を代表して仲井間知事は、安倍の危険きわまりない96条改憲と、その先の9条改悪野望について噛みついた。「私たちは沖縄戦の教訓を継承すると共に、我が国が築いてきた平和主義の堅持を強く望む」と糸満市摩文仁平和祈念公園の会場で叫んだ。
 「戦争の出来る日本」への安倍ナショナリスト計画に対して、NOと明確に、目の前の安倍・国家主義者に釘をさした。これこそが価値ある発言であったが、日本の新聞テレビはその部分をカットして強調することをしなかった。
 安倍に対する痛撃である。沖縄の新聞テレビはどう報道したのであろうか。
<財閥・ネオコンの野望に釘>
 平和産業で生き残りを図れなくなった日本の財閥が、武器弾薬・原発に特化している日本である。それを強力に支援している安倍の国家主義政権である。その安倍に塩を送る公明・共産両党である。ワシントンのネオコンも受益者だ。
沖縄の米軍基地強化の背後で、財閥と国家主義政権とワシントンの産軍複合体の野望が蠢いている。それが昨年12月の不正選挙疑惑とも重なる。その決定打にしたいという安倍のための参院選挙が来月に迫ってきている。
 オバマ習近平が止められるのか?

 新党大地鈴木宗男を叱咤激励する会」(ホテルニューオータニ、7月2日)の招待状が届いた。札幌の影山あさ子事務所から映画「笹の墓標」のマスコミ試写会の案内も。5章からなる9時間6分の長編記録映画だ。
2013年6月24日9時45分記