本澤二郎の「日本の風景」(1350)

<日本にスノーデンはいないか>
 米国家安全保障局・NSAによる極秘の国民丸裸作戦に対して、怒りの告発をしたエドワード・スノーデンは立派な正義人間である。ノーベル平和賞にノミネートされたようだが、これならノーベルも満足するだろう。彼を犯罪人として追いかける米国政府が、国家犯罪者であり、スノーデン逮捕の大義はない。世界各国の人々は「我が国にスノーデンのような人物は現れないものか」と目下、期待を抱いている。筆者は「日本に現れないか」と切望している。悪しき国家・組織の透明性を確保するためには、スノーデンのような人物の登場は必要不可欠である。


<正義と勇気は若さの特権>
 NSAは米国内の外国大使館の電話やメールなど情報の全てを秘密裏に掌握している。これも衝撃的だが、これは国際法に違反している。人権尊重の自由と民主主義にも違反している米国政府である。
 9・11を契機に当時のブッシュ政権が、秘密裏に強行したというのだが、オバマ政権は直ちに中止させる義務がある。アメリカの国際信用は、日本と同様に低いが、スノーデンの勇気ある暴露によって完璧に失墜してしまった。
 彼は30歳。正義心の強い年代である。不正と腐敗を許さない勇気のある年代でもある。CIAとNSA双方に関与した正義と勇気の塊のようなアメリカ青年の、たったひとりの決起に人類は心から敬意を表している。
 垢やシミだらけの年配者には、こうした決断を期待できない。家族・しがらみが、正義と勇気を抑え込んでしまうからである。
 わからないが、ウィキリークスのアサンジの影響を受けたのかどうか。彼は「アメリカ社会での生活を放棄した」と発言している。重い覚悟の上での決起とみたい。
 透明性のあるいい歴史は、こうした人物によって作られるのだろう。
<問われている米国の民主主義>
 ワシントンは、今この難問と付き合わされている。米国民全てが、悪しき政府の所業に困惑と怒りで辟易している。9・11を口実にした不当な権力の横暴に混迷を深めている。
 誇れる自由と民主主義は、実に底の浅いものだったことに恥じている。ウィキリークスの成果を、スノーデンが新たに裏付けているのだから。こんなみっともない民主主義を学んできた日本なども、問題に蓋をしている有り様だ。犯罪者として葬ろうというのだろうが、それは無理というものだ。
 ホワイトハウスは、まずは謝罪と反省をする義務を負っている。いい加減に蓋を懸けてやり過ごそうというのであれば、もはや3流国を容認していることになろう。まずは9・11以後の諜報活動の全容を世界に明らかにして、悪しき独裁権力の正体を人類に共有させるべきだろう。
<三井・三菱の不正暴露人>
 日本はどうか。日本の政策立案過程は、透明性を欠いている。財閥の正体さえも、学問の世界でさえも封じ込められている。財閥の代表である三井住友・三菱と政府・官僚の腐敗構造を、天下に公表させるためには、スノーデンのような人物が現れる必要がある。
 選挙関連の作業一切を独占している選挙屋「ムサシ」の正体さえも、一般人にはわかっていない。不透明さがまとわりついている。今回、これに的を絞った候補者が東京選挙区から出馬している。

<司法界の闇を告発する人物>
 不透明な闇は司法界もそうである。検察の起訴独占権限に風穴を開けるための市民目線での検察審査会さえも、怪しげな機関に堕してしまって、不正が行われている。国会の弾劾裁判機能や検察官不適格審査機能も、市民には不透明過ぎて活用されていない。
 日本社会にも不透明な組織・団体が多く存在しているが、それが厚い扉で覆われたままである。
 福島東電原発の捜査をしない検察に何があるのか、国民は知りたがっているが、どの政党・政治家も沈黙している。東電にスノーデンはいないか。検察にスノーデンはいないのか。
 原子力ムラさえも、いまだ不透明なままではないか。政党・政治家・官僚も同様である。内部告発者を英雄とする価値観を定着させる必要があろう。嘘とハッタリばかりの政党・政治家を暴く勇気ある若者の誕生が、この日本にも不可欠である。

 アメリカにヒーローが誕生した。日本にも現れても不思議ではない。中国では現役記者が、次々と誕生している富豪の一人を、公然と告発したという記事を見たのだが、日本はヒラメのような記者ばかりではないか。新聞テレビは腐りきっているが、ネットというすばらしい武器が、この日本にもあるではないか。

 本日、2013年7月21日は参院選の投開票日である。
2013年7月21日9時30分記