本澤二郎の「日本の風景」(1362)

天皇国家主義アッツ島玉砕70年>
 かすかに聞き覚えのあるアッツ島玉砕という言葉が、TBS報道特集(8月3日)によって報じられた。戦中派が少なくなっている現在、多数の日本国民に関心などないだろう。1943年のことだから、もう70年になる。この戦闘で、初めて「玉砕」という言葉が使われたのだという。2度とない命を、天皇の戦で奪われることを、名誉ある玉砕と称した。そして「軍神」となって、靖国神社に「英霊」として祀られる。これが天皇国家主義の核心部分である。今時、こんなたわごとに興じる日本人がいるだろうか?いや、いるのだ。安倍をはじめとする自民党の中枢が、こうした信仰にかぶれてしまっている。そのために平和憲法を解体すると必死なのだ。




ドナルド・キーンも驚愕>
 この報道番組にアメリカ人の日本文化研究者のドナルド・キーン博士が登場した。なんと彼はこの戦いに米軍兵士として参加していたのだ。彼の驚きは、日本兵が進んで自害する姿だった。
 戦陣訓なるものがあり、そこには「生きて虜囚の辱めを受けるな」という厳命がある。これに殉じる日本兵に驚き、これが彼を日本研究に向かわせたという。判明したことは、この不道徳なルールは徳川時代以前にはなかった。
 明治・大正・昭和に懸けて、天皇の官僚たちが編み出した非人間的な手法であることが判明する。それを国家主義者は「伝統だ」と宣伝、あたかも日本古来のものだと、人々に勘違いさせる。
 もちろん、玉砕も軍神も英霊も彼らの作り話にすぎない。当時の知識人は、こうしたお粗末な手口に反発したと思われるが、死を覚悟しない限り、口にすることは出来なかった。

 おぞましい日本人は、北朝鮮のことを笑い飛ばしているが、戦前の日本の方が、はるかにお粗末なものだった。
<生き残った軍神・英霊>
 意外な事実も判明した。負傷して米軍の捕虜となった20数人が生き残った。ところが、玉砕報道によって戸籍上、全員死んだことになっている。兵士の出身地では、村をあげて盛大な葬儀をしている。
 それだけではない。天皇の戦争で亡くなった兵士は、靖国神社に軍神・英霊として祀られている。こうした滑稽な真実も明らかにされている。
 91歳の高木さんという老人も番組に登場して、筆談で当時を証言している。まるでマンガである。

 一つしかない命を捨てなければならなかった当時の日本の若者の無念を思うと、たとえ時代がそうだったとしても許すことは出来ない。戦前の天皇国家主義を排除した日本国憲法には、両手を合わせたくなる。父親が、茨城の海軍航空基地の整備兵で生き残ってくれた幸運に感謝したい。
 父の弟は中国大陸に駆り出された。そこでの生の体験談を聞きそびれてしまったことが、今も悔やまれてならない。
 この憲法のお陰で、戦後の若者は朝鮮戦争ベトナム戦争で犬死にしなくて済んだのだ。この憲法は、日本人が命がけで守る価値のある憲法である。アジアや世界人類が守る高価な憲法なのである。
<国策に従属したメディア>
 アッツ玉砕を、名誉ある戦死と大々的に報道したのは、当時の朝日新聞などだった。全面的に軍部の指示に従って報道、日本国民の多くを死地に追いやった。その罪は万死に値する。
 いま安倍内閣に対して、同じような路線に踏み出して、自民党自公政権を宣伝して、まともな政治評論をしていない。この罪も重い。
<安倍は見たか>
 靖国信仰にかぶれている天皇国家主義者の安倍は、この番組を見てくれたであろうか。
 念のため、通信社の「首相動静」を調べると、安倍は自宅で休養していた。見たかもしれない?それとも、チャンネルを回してしまったのかも?
 もちろん、彼は徹底した靖国信者である。境内の遊就館に行くと、軍国主義時代の戦果が山ほど詰まっているという。それを、当たり前のように受け入れている安倍である。だとすると、この報道をみても、心を動かされることはないだろう。
 安倍にとって軍神や英霊は、今も現実的に彼の心をとりこにしているはずだから。これほどカルトに魅入られた人物に支配される日本の前途は、正直、危うい。
 安倍の盟友の麻生は、ナチス信奉者でもある。もちろん、天皇国家主義の日本とナチスのドイツは、同盟関係にあったのだからわかる。だが、今のドイツにナチスは存在しない。
 幸い、日本の国家主義に理解を示す国も人々も、この地球上に存在しない。
2013年8月3日20時50分記