アンポンタン同士の権力闘争は派閥政治の復活?

黄泉の国から   「岩下俊三(旧姓)のブログ」からリユーアル


古い話で申し訳ないが、そもそも昔の日本民主党自由党が一緒になり自由民主党になったのである。そしてそれだけでは一党で多数過ぎて憲法発議要件の三分の二を超えてしまうので、こりゃまずいということになった。だから、革新も三分の一程度の数を整えねばならんということで日本社会党ができたと聞いている。つまり保革ともども合同し、かつ、なれ合えたのが55年体制であるということもできるのではないだろうか。

とまれ

ちょうどいい保革対立、じつは(テーブルのしたで)協調しながら、長年バランスをとってなれ合ってきたから政治的に安定し高度成長も成し遂げられたといえなくもないのである。すくなくとも昭和が終わるころまでは。

ところがバブルがはじけ日本が経済的に坂道を転がり始めたころ、この55年体制小沢一郎という一人の政治家によって壊されたのである。そしてそれをきっかけに政治がアクロバティックになりコロコロと政治体制や首相も変わり不安定化しオセロゲーム化してきたのである。

それがいいことかわるいことかは知らないが、明らかに政治家が曲芸になっていった事だけは確かであろう。
しかも曲芸の大スター小泉が退いた後の指導者交代のめまぐるしさは今更いうまでもない。

そしていま又、一党独裁体制になって金城湯池のはずの自民党内部がかえってごたごたし始めてきたのである。


近年派閥は中選挙区がなくなったから衰えてきたとはいえ、いまだにその流れが絶えたわけではない。いまだに形を変えながらしぶとく残っている。そしていまもその派閥の離合集散がくりかえされている。ほんとに懲りない連中なのだ。

とくに総理と副総理で一見蜜月のように見える安倍晋三麻生太郎の火花はこのお盆休みを契機に激しくなってきたという。そして「そのココロは」百年一日のごとき派閥の力関係にあるのだというのである。

大雑把にいえば実は安倍晋三のお爺さん岸信介保守合同のまえは日本民主党のながれであったからいわゆる「保守本流」でなない。しかし麻生太郎の爺さんは吉田茂なのだから「保守本流」であるというひともいるのだ。

21世紀の今日冗談のようにしか聞こえないこんな派閥にまつわる話でいまだに権力闘争を続けている自由民主党はいったいなんであろうか?、、、と僕は思うのだが、じつはそんな賞味期限の切れた党を支えているのが国民であり、根深いところで自民党は「残念ながら」日本人そのものであると言っても過言ではないのである。

それはともかく

麻生太郎の総理返り咲き願望は強く、あの小僧(安倍晋三)でもリベンジできたのだから「おれも」という気で彼なりに画策しているらしい。しかし現実に権力を得た安倍晋三は自分の信念よりせっかく得た権力を守ることに必死になり内在している右寄りの国家主義的な鎧をなんとか隠そうとして守勢に回っているという。

僕なんかはアタマの弱い者同士助け合っていけばいいように思うのだがどうもそうはいかないようである。

自民党亜流の岸派はやがて悪名たかき強欲清話会となり今や町村派として党内最大勢力であることは言うまでもなくその派閥のくたびれたプリンス安倍晋三政権を担いでで甘い汁を吸っている。いっぽう吉田自由党いらいの本来の保守本流の後継者池田勇人にはじまる宏池会の流れをくむ麻生太郎は旧大蔵省系を何とか味方にしてこちらも有利に事を運ぼうとしているのだ。

それがすこし表面化してきたのが例の消費税論争である。

景気の腰はおりたくないが、なんとか3%でも上げないと国際的信認を失いかねないとして来年4月の値上げに傾く安倍晋三と、いやいっぺんにやらないで毎年1%づつはどうかという麻生との意見と違いが浮上してきた。

しかし、これは経済運営方法の論争ではない、実はただの権力闘争なのだ。

それぞれのブレーンと派閥の一族郎党を養うため、私利私欲にまみれた論争であるからゆめゆめ彼らが「真剣に」
経済運営やこの国の未来を考えているなどと誤解しないでほしいものである。

しかし新聞やテレビはすでに消費税値上げを既成事実として容認したうえで、この選択の迷っていることになってしまっている。いつの間にか国民を権力の意図した方向に誘導してしまうのが彼らの役目だろうか。

そうではないはずだ!!