日本人はどこから来たか〜我々の遥かなる祖先に思いを馳せる。DNAが語る系譜

「日本人はどこから来たか〜我々の遥かなる祖先に思いを馳せる。DNAが語る系譜:岩上安身氏」  歴史(生命・古代)
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8月15日、終戦記念日

戦争の惨禍を思い、平和の尊さに思いを馳せる日。

今日から連続して戦争を考えるインタビューシリーズの再配信。

そして注目の集まる靖国神社には取材チームを。

靖国を問うシンポジウムも取材。

そして僕は筑波へ。


「日本人になった祖先たち」の著者篠田謙一氏にインタビュー。

篠田謙一氏は、国立科学博物館人類第一研究室長。

「日本人になった祖先たち」のサブタイトルは「DNAから解明するその多元的構造」。

人類の持つ16種類のDNAを分析して、出エジプトを果たした人類拡散の大潮流の中で、日本人の起源を問う。

終戦の日に、日本人とは何者かを考えてみる。

話は縄文人弥生人の話にも及びます。

向かって左が弥生人(北部九州・山口地方の弥生人)、右が縄文人(岩手の宮野貝塚出土の縄文人)。 pic.twitter.com/tSLSp8awBQ

夏休み・お盆スペシャル。

日本人はどこから来たか〜我々の遥かなる祖先に思いを馳せる。

DNAが語る系譜。

以下、連投。

これより、8月15日15時より筑波大学にて、岩上安身による篠田謙一氏(国立科学博物館人類史研究グループ長)の模様を実況ツイート。

岩上「多くの日本人が、どのくらい人類学とか歴史とかの知識があるのか心許ない。昔は縄文人弥生人が同じものだと考えられていたが、それも変わってきた。人類の起源からお話いただきたい」

篠田氏「まずは人類の歴史から。初期の猿人は700万年〜200万年前までは、アフリカにしかいなかった。猿から初期猿人がどう枝分かれしたか、現在でも実はよく分かっていない」

篠田氏「初期猿人から原人というグループができ、原人はアフリカの外へ進出した。出アフリカは一度きりではなく、何度も行われている。猿人と原人の違いは、猿人は脳の容積が500cc、原人は500〜1200ccくらい」

篠田氏「猿人に関しては骨しか手がかりがないが、原人からは石器を使い始めるため、考古学的な調査ができる。原人からさらにネアンデルタール人のような旧人というグループが出てくる。能力的にはもう今の人類と同等」

篠田氏「原人段階で出アフリカをし、世界各地に散らばった。以前は彼らが100万年以上かけて黒人や白人などの人種を形成していった…と言われていた。しかし、90年代にこの学説は覆される」

篠田氏「10万年より古い時代のホモ・サピエンスの化石は、アフリカか中東からしか出土しないことが分かってきた。もし100万年前に各地に散らばったのだとしたら、各地から古いホモ・サピエンスの化石が出土するはず」

篠田氏「最新の研究では、ヒト細胞の中のミトコンドリアDNAを分析して起源を探る。ミトコンドリアは母からしか遺伝しない。世界の3000人のミトコンドリアの母系を辿っていくと、アフリカ人のある一人の女性に行き着いた」

篠田氏「起源のアフリカ人女性(ミトコンドリア・イヴ)が生まれたのが15〜20万年前に生まれた。そこからアフリカを出たのが6万年前と判明した。ミトコンドリアのタイプは『ハプログループ』という集団に分類される」

篠田氏「イヴから枝分かれしていったハプログループはL0,L1,L2,L3に分かれる、このうちL3のみが出アフリカし、アジア人やヨーロッパ人の祖先となった」

篠田氏「6万年前から始まる出アフリカの歴史。アラビア半島を経由して4万年前に中国などのアジア地域に進出。その後6000年前位にメラネシアを経由して太平洋地域に進出し、ハワイに入ったのが1000年前位」

篠田氏「面白いのは、出アフリカしてすぐにオーストラリアに進出した人類は、すぐ横のニュージーランド、太平洋地域には進出しなかった。ニュージーランドに入ったのは長い年月をかけてアジアを経由してきた人々の方」

篠田氏「人類がアジア方面とヨーロッパ方面に分岐したのが4万年前。その後アジア地域を経由してアメリカ大陸に進出し、先住民となった人々と、ヨーロッパ方面に進出した人々が、16世紀にコロンブスの入植によって邂逅する」

篠田氏「では、ホモ・サピエンスより先に出アフリカした人々はどうなったか。今の人類にも、先に出アフリカした原人達のDNAが2%程度含まれている」

篠田氏「一番言いたいのは、世界中に広がる人類の歴史は、それほど長くない。人類は皆アフリカから出発し、その時には今の私たちと同じ体格・能力を持っていた。同じ能力を持った人々世界に広がった、という概念」

岩上「人種で優劣を決めたり、一方を野蛮だと決めつけたり、帝国主義的な考え方が、いかに非科学的でくだらないか」

篠田氏「アマゾンの原住民などの奇異と見える格好も、劣っているからでなく、その環境に適しているから」

篠田氏「そして、日本人はどこから来たのか、という話に入りたい。大事なのは、日本人の起源というのは日本から見るのではなく、出アフリカ後に東アジアへ進出した、人類の拡散の歴史から見ること」

篠田氏「以前はこの分野の権威である、東大の鈴木尚教授の説が定説だった。万世一系の単一種族という考え方。しかし研究が進むにつれてこの説は覆された」

篠田氏「色んな研究をして分かってきたことは、時代によって骨の形質に違いがあり、縄文人弥生人で顕著な違いがある。東大の鈴木教授は、『これは文化が変わったからだ』と説明した」

篠田氏「しかし80年代になり、文化の違いだけでは説明できない形質の違いが明らかになってきた。最新の日本列島集団の成立のシナリオ(二重構造説)では、弥生人朝鮮半島から、農耕と金属器を携えてやってきた渡来系」

篠田氏「この二重構造説を提唱したのは人類学者の埴原(はにはら)氏。この説では、本州は弥生人、北海道と沖縄には縄文人の形質が色濃く残った。この説をDNA的に検証すると、確かに日本人はAとBの二つの集団に分かれた」

篠田氏「日本人をミトコンドリアで調べると、4つの大きなハプログループに分かれる。東南アジアルーツ、北方アジアルーツ、中国周辺ルーツ、そして日本人にしかないミトコンドリアの4つ」

篠田氏「日本人にしかないミトコンドリアは、日本以外のどこかの場所がルーツだか、日本に来た集団しか残らなかったと推察されている。構成を見てみると、日本人に一番多いのは『D4』と言われるグループ」

篠田氏「D4は、日本の他に中国東北部や韓国に多い。日本にしかないミトコンドリアである『M7a』『M9b』は、ほんの韓国に僅かながら残っている。この2つのDNAは沖縄とアイヌに多い。つまりこの2つが縄文人のDNA」

篠田氏「弥生人のDNAを分析すると、日本人に一番多い『D4』が多く含まれ、縄文人には『M9b』が多く含まれている。縄文人は、他の地域と隔絶された、かなり特殊なDNAを持っていたと言える」

篠田氏「つまり縄文人弥生人が混血し、弥生人の影響が大きいのが今の我々、というのが今の学説。ミトコンドリアから分析すると弥生人は5000年前に爆発的に人口が増加した。しかし、これは考古学的な事実とは反する」

,篠田氏「考古学的には5000年前に日本列島の人口は急減している。ということは日本列島とは別の場所で、弥生人の人口が増えた、と推測できる。考古学的jには、5500年前に中国南東部の揚子江流域で稲作農耕が始まった」

,篠田氏「つまり、我々のルーツは5500年前に中国南東部で稲作農耕を始めた人々、ということが分かる。そして3000年前に稲作が日本列島に伝搬し、ベトナムでも文化が変わった」

篠田氏「揚子江流域で稲作を始めた人々が、日本に渡って弥生人となり、南に渡った人々がベトナムの文化を変えた」

篠田氏「次に縄文人のDNAを見てみる。沖縄とアイヌは『M9b』が共通しているが、アイヌ民族には『Y』という独自のDNAがある。この『Y』はオホーツク北方民族に多く含まれる。つまり沖縄と北海道は均一ではない」

篠田氏「アイヌのDNAは、縄文時代には『M9b』がほとんどだが、5〜10世紀のオホーツク文化流入の際に『Y』が圧倒的に増えた。つまり、縄文人とオホーツクの『二重構造』」

篠田氏「次に沖縄のDNA。琉球列島は、貝塚文化と先島先史文化に分かれる。10世紀以降のグスク(城)時代になると統一される。このグスク時代に農耕が始まり、人口が急増した」

篠田氏「ポイントは、縄文時代貝塚文化と先島先史文化(基層集団)の由来はどこか、また、グスグ時代に農耕を持ち込んだ集団の由来はとこか、という2つ。基層集団の由来については、まだ研究段階で何とも言えない」

篠田氏「次に、グスグ時代に農耕を持ち込んだ集団の由来。DNAを調べると、南方(台湾)系の先住民が既に狩猟採集をしていて、そこに弥生系の人々がちょろちょろきて稲作を伝えた。渡来系の大集団がやってきたわけではない」

篠田氏「我々は、『日本列島』というくくりで考えがちだが、南では南方系との関係があり、北には北方系との関係があって、日本列島以外の東アジア周辺地域を含めて、民族的な多様性が生まれている」

岩上「大和時代の『蝦夷(えみし)』と呼ばれる関東から東北にかけての大集団。彼らはアイヌ民族ではなく倭人倭人でありながら大和朝廷にまつろわぬ者たち。他にも隼人や熊ソなど、日本には様々な集団があった」

岩上「日本の記紀にある『天孫降臨』『神武東征』などの神話も、こうしたDNAの研究が進めば、何かしらの事実に基づいた話かがわかるかもしれない。欧米の『聖書考古学』のように日本でも記紀の科学的研究が進んで欲しい」

篠田氏「岩上さんに話したい話が一つ。南米の先端、人類の初期拡散の先端であるナバリーノ島に行って来た。ここに住むヤーガンと呼ばれる裸族の先住民の、最後の一人、クリスティーナ・カルデロンに会って聞きたいことがあった」

篠田氏「民族の最後の一人である彼女が、人類に言い残したい、最後に言いたいことを聞きたかった。何を言うんだろうと聞いてみたら、『酒を飲むな』だった」

篠田氏「これには深い背景がある。ヤーガンには『酒』が元々無かった。ナバリーノ島は寒くて菌が繁殖できず、酒を作る文化がそもそもなかった。そこに酒だけがポンと入ってきて、様々な悪影響を与えた」

篠田氏「文化ではなく『モノ』だけがいきなり入ってくることのインパクト。これを実感した。文化が変わるというのは、とても大変なこと。便利なものだからといって、何でもかんでも取り入れると大変なことになる、という教訓」

篠田氏「ヤーガンがなぜ裸なのかと言うと、海に潜って魚を取り、陸に上がってすぐ焚き火で体を温めるため。これを野蛮だからと服を着せた。すると『服を洗う』という文化がなかったので、汚い服で病気になり皆死んでしまった」

篠田氏「『服』というのは『服を洗う』とセットだし、さらにもっと多くの文化的背景とセットのはず。『服』を着るに至った環境的な必然性もあった。しかし『服』という文化の一部だけを押し付けることの危険性」

岩上「ミトコンドリアで女系が辿れるということは分かりました。では男系、『Y染色体』と言われるものでも辿れるんでしょうか?」

篠田氏「先ほど朝鮮半島との類似性の話をしましたが、男系で辿ると日本と朝鮮半島では大分違う」

岩上「最近、右翼の方々が天皇家の女系を反対する際に、『日本は万世一系で、貴重なY染色体を引き継いでいくのは男だけだから』という理由を話すが、これは科学的に無理がある?」

 篠田氏「かなり無理がある」

篠田氏「どんなに天皇家が貴重なY染色体を持っていたとして、同じY染色体を持つ人が日本に10万人はいる。また、Y染色体は突然変異しやすいので、次の世代はそのY染色体とは別物になる可能性もある、まったくおかしな話」

岩上「疑似科学?」

 篠田氏「そうですね…」

 岩上「しかし大まじめに『高貴なY染色体を伝えているのが天皇家』と言う人がいる。結局はナチスにも通じる、『血統の優位性』を言いたいのだろう。時に政治が科学を蔑ろにする」

以上で、岩上安身による篠田謙一氏(国立科学博物館人類史研究グループ長)インタビューの実況を終了します。アーカイブはこちら→ http://t.co/f1qHj7yXTo