体験的実感:僕の見た細川護煕「像」

黄泉の国から   「岩下俊三(旧姓)のブログ」からリユーアル

茶人・細川 護熙は現代ではまだ若いとされる60歳で、かって実父(侯爵)から窘められた「ヤクザな途」=「政治家」をスッキリ辞めて、いまや陶芸家として一流の芸術家である。が、実際の彼の隠遁生活はあまり知られてはおらず、とにかくマスコミとも縁遠く、滅多に庵を出ることもないといわれている。しかしその、「時の流れるままの晴耕雨読の仙人らしさ」がますます彼の人望を厚くしているとも言われている。

完璧な理想的な、だれもが憧れるカッコイイ老後・隠遁をすでに15年も続けてはいるが、それでもなお日本人の心の中に最も画期的な総理像として、優雅にシャンパンを掲げた就任式、手に持ったボールペンで記者を指名したり、プロンプターを初めて使った首相記者会見等々の斬新な姿はいまでも深く印象に残っている。


僕が細川護煕というひとに最初にあったのは彼がまだ総理になる前のある政財会の会合での取材中であった。鳥越俊太郎さんと「いいネタはないか」とTVカメラを連れて会場をぶらぶらしていたら、向こうの方から人ごみをよけながら一人颯爽と覚えのある男が歩いてきた。そのあまりの他と違う優雅なスマートさに思わず突然マイクを向けたら、なんのアポもなかったのに会場の入り口の角の邪魔にならないコーナーにすたすたと歩いていき「なんでございますか」といってさらっとインタビューを受けたのである。驚くべきはその時の彼の目指しであった。普通、急にライトとマイクとカメラを向けると一瞬たじろぐものだが、彼は平然とカメラのレンズのみを見つめていたのである。このとき「静かなること山の如し」という信玄をも連想させたのだ。またライトや太陽を避けない目に穏やかではあるが意志の強さを感じた。(なおタイプは違うがヒトラーの写真にも同じ感じをもったことがある)

当時彼ははまだ単なる日本新党の党首でしかなかったので、他にマイクなど全くなく独占インタビューとなって「総理への可能性」を初めて聞きだしたので、これで番組・「ザ・スクープ」とまだ無名だった鳥越俊太郎が若干名を挙げたという思い出もある。だから細川護煕には保守系でありながらいまでも好印象を持っている。

それは、もちろん日本でも有数の家柄とか、その浮世離れした立ち居振る舞いから来るものだけではない、普通の人とかけ隔てのない自然なフランクさとモノに動じない姿勢を感じたからである。それがどこからくるものかは知らないが安倍晋三ごとき成金の三代目などとは違い、「先の大戦」を第二次大戦ではなく「応仁の乱」というほどの日本の貴種の末裔であるただならぬ「妖気のようなもの」が漂っていたと僕が勝手に感じてしまったからかもしれない。

ともあれ、

僕は基本的に保守系政治家が嫌いである。しかしながら今は「保守」「革新」といっている時代ではない。日本を
本当に大切に思うならば、なにがどうあれワンイッシュ―だけで政治家を値踏みするしかないのである。

それはもちろん「脱原発」というキーワードで括られるだろう。それだけであり、それしかない。それだから原発推進の自民ナンミョウが支持母体の候補では絶対ダメなのだ。

そうして考えると最も知名度が高く、地位も名誉も生臭い権力(そんなものは何百年も前からある)とも縁がない人物として彼が俄かに浮上してきたのは当然であろう。もちろん彼としてはいやらしく付きまとう民主党の推薦も嫌だろうし、石原猪瀬ごとき卑しき者どもの後塵を被りたくもないだろう。

しかしあの対米従属で嫌っていたあの小泉君だって、かって苦い思い出の「同志」だった剛腕君だって「脱原発」の一点では同じではないか。そして自民党のなかですら河野親子をはじめ「脱原発」を掲げる者は多いのだ。

小泉純一郎小沢一郎という世論読みの天才策士家がいずれも「脱原発」で殿さまの「神輿」を担ごうと言うのなら、いかに世捨て人・仙人の類であってもここは一番下界に降りてきてきもよかろうと思われる。

彼が出馬すれば地味な宇都宮氏やねずみ男など軽くはね飛ばし、対立候補ドクター中松爺さんぐらいしか残らないのではないだろうか。(笑)

元熊本の「お殿様」が東京都の知事になる問う違和感については心配ご無用。参勤交代で殿さまは江戸詰だっただろうし、護煕自身学習院だし生まれも育ちも東京であったのだから。そんなことは関係なく、元首相が短すぎて物足りなかったし、行政経験も豊富だろうから細川護煕がもし出馬すれば圧倒的勝利を収めることだろう。

左翼なら宇都宮氏というワンパターンに硬直していたらダメだと思う。モア・ベターな選択肢としては他に考えられない。

今の政治情況では小異を捨てて大同につくしかない。早く安倍の首に鈴をつけないと日本はほんとに危ないのだ。