普天間移設への疑問「屁理屈なんぞ聞きたくない!」

黄泉の国から   「岩下俊三(旧姓)のブログ」からリユーアル

沖縄に多大な基地負担を押し付けてきた代償として多大な利益を得てきたはず、、、、ということ自体が物凄い差別であると思う。そしてその限りない屈辱の拡大は沖縄の分離独立という国家的混乱の芽になるかもしれないのだ。

「これ以上虐げられても、それでも我慢しろというかっ!」

たしかに沖縄の地域的な繋がりも長年の間薄れてきてはいるかもしれない。普天間の跡地に巨大カジノ特区をつくる構想だってあるでしょう。目の前のおいしそうな権益を論えばきりがない。だから仲井間はカネに目がくらんで沖縄を売ったといわれても仕方がないだろう。故に中央のパワーエリートはつねに人参をぶら下げて不可能と思われることを可能にしてきたのも歴史的事実であるのだから。

警察予備隊創設も日米安保、成田空港、原視力開発、消費増税、秘密保護法、、、すべてなんであろうが、理不尽だろうが不合理だろうが最終的には実行してきたし、「反対とはごね得のための条件闘争に過ぎない」と考えて処理してきたし、実績からして今後もそうだろう。それは自民党の本質を考えれば至極当然のここと思われる。

辺野古埋立だってみな「苦渋」を装って厚化粧を重ねているだけで、沖縄の基地負担軽減と途方もない利益という
垂涎の欲望を刺激すれば可能であることなど計算済みであったろう。

その自信、その傲慢さ。

これがすべてに当てはまるだろうと考えている強欲資本主義とその司令官(政府権力)と走狗(マスコミ)は紆余曲折というストーリイでもって宗主国のより覚えめでたさを増そうとさえしているのだ。

そうではない、靖国問題は計算外だった?バカ言っちゃいけない。

玉乗りけれんは東洋人の特徴であって、これは北朝鮮をまねて瀬戸際外交を展開して合衆国からより大きな益を得たいと言う精神構造からきている。つまり自分たちがそうしているから他者も「きっと金がもっとほしいから」と思っているに違いないと信じているらしい。相似形なのだ。

アメリカの構想は冷戦構造が終わって極東の安全保障を考える際、はじめっから廉価で効率のいい新基地を作りたいということであった。これにピッタリ符合するのが辺野古沖の埋め立て計画であったことはいうまでもない。なんでこれがスムーズに進まないのかさぞ不思議だったであろう。

そこに日本本土の執行官やアメリカの合理的な軍人にないものがあったのだ。

それはもちろんいろんな思惑の絡み合った「ジュゴンを護れ」的なお花畑お嬢様たちの運動を指しているのではない。そこにあったのはパワーエリートたちには到底理解できない「いわれのない憤り」だったのだ。

それが単なる「怒り」なら米軍も日本政府もそりて「反対派」さえ理解の範疇だろうが、沸々と湧いてくる言いようのない憤りという地熱は黄金という特効薬ではすぐに冷めないのである。

沖縄に長年根付いてきた一般島民の四人に一人つまり親戚縁者の誰か一人はかならず犠牲になっている凄惨をを極めた沖縄戦から68年、施政権がない時代、基地で踏みにじられたプライドなどを背負ってきた魂は世代を超えて深く刻まれてきたのである。

「なんで本土のために我々が犠牲にならなきゃいけないのか」

さまざまな理屈や御託は連日聞かされてきた。しかしそんな呪文と関係ない具体的な爆音は止むことを知らない。
その爆音を「別なところに」持って行ってそこを「博奕場」にしようといっても、ありがとうと受け取らなければならないのは結局沖縄のなかの「別なところ」に過ぎないのだ。

これは東京都民が原子力を福島や新潟に押し付けてきた構図となんら変わらない。大阪府民が福井に押し付けてきた構図とどこが違うのだ。

空きらかな構造的差別でしかない。

そしてこの差別棄民構造はいずれ、分離独立という形のしっぺ返しとなる危険を孕んでいることがなぜ分からないのか。分かっていてもレイプした後おれの子じゃないといって孕んでいる子を遺棄するのか?卑怯者。


それは鬼畜生のやるこった。て、てめぇら、、、人間じゃねぇ、、、、おっと。

どうも最近すぐ刀舟になる癖が出てきた。ブログをマンネリ化させないでくれ仲井間爺さん!