駆け巡る噂、永田町の妖怪変化とはな〜に。

黄泉の国から   「岩下俊三(旧姓)のブログ」からリユーアル

電脳メディアはあてにならない。しかしもっと上手く誤魔化してあてにならないのがマスコミである。

都知事選の帰趨に注目が集まらないように、ただの一地方自治体の選挙として、原発の争点を上手く避けて可もなく不可もなく報道して「見せる」のが彼らに与えられた芸である。しかしこれを嘆くには当たらない。いまだに多くの都民が信じているからやるのであって信じなければやらないのである。鶏が先か卵が先かでいえば、あきらかにテレビメディアなどは偏差値30向けのしかも娯楽であるのだから、偏差値すくなくとも70以上の人間がその実情に合わせているだけである。だから視聴者が先なのである。ややこしい「不都合な真実」などいらないからやらないのである。

しかも日常的に優遇されている義理は政府や大企業にあっても視聴者にはないのだから、東電と国家に自主規制して慮かるのは当然であろう。NHKは税金で運営する国営放送だから仕方がないが、ほんとに見たいものは課金されるしかないのだ。課金が無理だから質の高い報道番組はやらないのである。スポンサーも国家予算もつかない課金も出来ない「商売」などありえないのだ。何度も言うが医が仁術でなくなり、先生が聖職でなくなって久しいのになんで文屋が木鐸のままでいるはずはないのだ。資本主義とは「商売」が優先されるのである。

だから、これは正直言って、、上意ではない。残念ながら「民意」なのだ。だからシニカルに批判ばかりして「マスゴミ」という造語で自慰をするのでなく民意によって変えることができるのである。

ここで具体例を出そう。

たとえば今のマスコミは福島原発の正確な危険地図(マップ参)を示さない。

この一点だけでも、北朝鮮や北京以上の自主規制が働いているのは火を見るより明らかである。

やれソチだ、やれ橋下だ、やれ割烹着の科学者だ、、、と世に盗人の、、もとい、ニュースのネタは尽きないが、最も肝心な命と暮らしに関する真実は「伝えないことを伝えない」というテクニックが浸透している。つまり都知事選での問題提起は都知事選をやってますよというついでに伝える暇ねた(たとえば餅つき大会とか流鏑馬とか神社祭りとか大仏のお身払いとか)ではないことを「知っているがゆえに」さる機関「世耕機関??」に気兼ねして慮り、真の問題的提起をしないのである。得にならないのである。だから「民意」が正当に盛り上がればマスコミはそれに従うのだ。マスコミは強いものの味方の広報機関なんだから、いま「民意」がだらしないというだけなのだ。

「民意は我にあり」とそれに賭けているのが二人の総理経験者なのである。そしてこの老骨たちが最後の戦いを
して次世代(この言葉に注意)に託そうとしているのが、、、

いま永田町で進んでいる「反原発新政党構想」なのである。

ツイッターが火元ではあるかのように言われ信憑性をワザと失くしているけれど、事実自民党内にもナンミョウですら動揺が広がっている。個人名を今挙げられるのは都知事選候補者の小泉純一郎細川護煕だけであるが、結構な目玉議員もすでに賛同している。今回は現政権と世耕機関にたとえ敗れたとしても特に小泉は一度勝負したら勝つまでやめないのである。任侠三代目は最後までやるのだろう。(四代目まで???)

これは、いわゆる合従連衡ではない。ただの政界再編の「与太ばなし」でもない。

森羅万象の火消しに懸命な菅官房長官は消防署にでも努めればよかったと思うが、官邸記者の飼いならされ方はプロのドッグトレーナーもはだしで逃げ出すほどになっっているから、もともと火消しできない質問はしないから
答える方も楽と言えば楽であろう。

マッチポンプ猿芝居こそ出世頭の官邸記者の「芸」なのだ。

それはともかく、、、自民党河野太郎から漏れ出てしまった仰天のニュースとは一体何?

週末都知事選決戦最終日にソチですでに六回目の日ロ首脳会談に弾丸ツアーしてまでなぜ安倍が「行かなければならないのか」、西側の主要国のトップがいかないのにである。なんで短兵急に秘密保護法を成立させなおかつNSC成立を急いだか、考えてみる必要がある、と(思うのだが、、)。

マスコミと政府が隠ぺいすれば外国語が苦手なガラパゴス国民=日本人は安心だとタカをくくっていると、思わぬ落とし穴が待っていることを肝に銘じて欲しい。今日は一服でも総理が賭博場(株式市場)に乗り込んで鐘を鳴らすという先進国では考えられない事態とは、たんにヘッジファンド手じまいを始めただけではなく、アベノミックス程度の麻薬ではどうしようもなくなったことを暗示している。

あせって補正を通し本予算編成を急いでどんなに予算をばら撒いても「ならぬものはならん」のである。