検証ゼロ、記者失格のブログ。プロバビリティの限界?

黄泉の国から   「岩下俊三(旧姓)のブログ」からリユーアル

会ったこともない人のことをあれこういうのは趣味ではないし、ジャーナリストとしては憚られる。しかし脳梗塞ボケ老人にして日本の南端であの世とこの世を行き来している自称「閻魔」としては、どうしても我慢ならないからこの男について言及したい。

その男とは齢の割には(僕よりずいぶん若い筈だけど)は、、、おっと。

「その」小松一郎は大学中退であることが誇りの典型的な外務官僚であると推測できる。なぜなら彼は外務省で主に国際法に強い外交官的な「法律家」として知られているらしいからである。フツーの法律家と「外交官的な」法律家の違いはざっくりいえば臨機応変な(つまりその場よしの)法律解釈が出来るところである。しかしだからと言って法律家として「必ずしも」劣っていると言う訳ではない。

これは外務省の他の奴から僕が直接聞いたのだが、外務省内では当然法律と言えば「国際法局長」に問い合わせるのが伝統的な「常識」となっているそうである。そういう意味での「法律の専門家」が小松一郎であるらしいのだ。

だからこそ外交マターの安保とか自衛隊の海外派遣および活動内容については法解釈において「国内法重視」の
法務官僚より外務官僚が優先される傾向にあるのだと言う。


その国際法局長が成り上がってフランス大使となり、今や安倍晋三直々の使命で内閣法制局長官に任命されたのが昨年であった。(実際は安倍自身の判断ではなく同じ外務省出の柳井俊二谷内正太郎らの圧力であろうが、、、)

そもそも内閣法制局長官とはいうまでもなく長年政治的判断を避けてきた最高裁の代わりに憲法の番人のような役割を果たしてきたといえよう。時々の内閣のかってな憲法解釈の歯止めとなってきた推移は戦後の歴史でもあると思えるのだ。また解釈改憲とくに集団的自衛権に対して「権利はあるが行使できない」という立場を堅持してきたことでもよく知られている。

ところが、、、

「陳が国家なり」と思い違いをしている安倍晋三にとって憲法解釈を国内法的な「そうした」長官に任せる訳にはいかず、外務官僚の古狸達の口車に乗って伝統的代々の法制局員を放逐してもと外務省国際法局長の小松一郎内閣法制局長官に据えると言う前代未聞の離れ業をやったことは読者も記憶に新しいことであろう。

そしてついに思惑通り、、、

本国会で集団的自衛権の行使を可能にするため小松一郎内閣法制局長官が安倍の意図を「法的に」裏付ける「つもり」であったことは想像に難くない。

ところが、、

その小松が急遽入院して国会で答弁できなくなったので、焦った晋三は「ぼんくら」のうえ法的無知も構わず「俺の一存で憲法などどうにでも読めるのだ」というような立憲主義を根本から打ち消す暴挙に出たのである。


安倍は狂人でありかつ知能が低いからそういうのは必然であり、国民が衆院選参院選おまけに都知事選においてさえ彼にフリーハンドを与えてしまったのだから今更いっても始まらない。それは仕方ないにしてもさすがにフツーの知能を持った法律家でもある小松はいくら「外務省的」とはいえ、集団的自衛権の「行使」に己の言葉で道を開くまでの度胸がなかったのだろうと「推測」できる。

つまり思惑通り強権的な人事権で安倍晋三NHKを乗っ取り内閣法制局まで乗っ取った「クーデター」が小松の突然の「病気」によって立ち止まったために、、、相当イラついたのが先日の憲法より総理大臣の意思が優先するかのごとき発言になったのだと思われる。まぁ、なりゆきとしてポン介を総理にしたのだからそれはいたしかたない。日本国民の自業自得だから諦めもしよう。

しかし

僕が興味あるのは学究肌の気の弱そうな小松一郎が(写真でしか見てないが)なぜ肝心な時に絶妙なタイミングで入院したかである。マスコミはなぜ旧態依然とした憲法論争に持ち込もうとしているのか。なぜ彼が病気であるのか、どんな病気なのか、それとも、、、一服盛られたのかそれとも、、、???云々とか言わないのだろう。これが芸能人やスポーツ選手ならどこまでも追いかけるのに、一国の運命を決めるかもしれないないのに、なぜ法制局長官の「病状」を取材しないのだろうか。

根拠のない邪推専門のネットですらなぜ話題にならないのか?不思議千番なのだ。

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(よく探していたらまともなネットブログでは唯一「逝きしの面影」で触れられているだけであった。僕の探し方がわるいのかも)。