本澤二郎の「日本の風景」(1591)

<不正義の検察でいいのか>
 多くの国民は、いまの検事総長を知らない。法務大臣はかろうじて知っているだろう。しかし、今この法務検察に国民の怒りは集中している。不正と疑惑を目の前にして、しっかりとした捜査をしていない。あれほど小沢事件に力を入れていた検察が、徳洲会事件ではいい加減すぎる。正義を貫けない検察だとすると、社会の安定は確保できないだろう。危機の日本は財政だけではない。



徳田虎雄は傀儡理事長で変化なし>
 元徳洲会に深く関与してきた正義の士は「大山鳴動してネズミ一匹」といって、検察捜査に怒り狂って電話してきた。巨悪放任検察の不正義を指弾してやまない。多くの国民もそうだろう。
 背後に医療福祉行政の腐敗構造のすそ野が広がっているのだが、そこにも手を突っ込んで正義を貫こうとしなかった。同じことは繰り返される。48年も無罪の袴田さんを拘束した冤罪判決を、不服として抗告した法務検察である。

 検察権の乱用は相変わらずである。そこへと血税を投入している国民の意志が、検察捜査に反映していない。内閣・政府の狂いの反映であるのだが。
<渡辺・DHC双方に疑惑>
 みんなの党の渡辺が、ようやく辞意を表明した。しかし、議員は辞めないという。「検察と裏取引した」と関係筋は指摘する。こんなことでいいのだろうか。昨夜、日刊ゲンダイ記者がそのことについて、コメントを求めてきた。
 彼のような記者が大手の社会部にいない。編集長がいない。新聞テレビの取材陣が「ヒラメばかり」だからである。「官邸に逃げ込めば、あとは嘘と隠ぺいで逮捕を免れる」という悪のルールが確立している、といってプロは怒るのである。

 8億円をポンと出す化粧品会社会長を知らないが、これこそが今の税制のひどさを裏付けている。大衆に8%消費税を押し付ける政府・自公民である。政治屋と官僚は血税で肥えている。さらに財界人も、豚そのもののようなのだ。ほとんどの国民は生涯働いても手の届かないカネである。
 税制に裏道がある。限りなく脱税の臭いがする8億円ではないか。検察は、ここにもメスを入れないのである。正義・真実を貫くことをしない検察に対して、国民はどうすべきなのか。
 民間会議を立ち上げて「法務検察と裁判官を採点」「それを世間に公表する」、これをまず実現させるといい。
<猪瀬を略式起訴>
 徳洲会事件捜査によって、東京都の利権に右翼が関与していたことが、猪瀬事件で発覚した。猪瀬もまた、石原事件を継承していた。悪徳人間が権力を掌握する日本民主政治でいいわけがない。
 こんな問題知事を検察は、略式起訴と言う穏便な措置でお茶を濁した。今の検事総長法務大臣も悪い。正義をなんと心得ているのだろうか。これを追及・批判しない新聞テレビも悪辣である。
 国税庁は100億円の使途不明金を捜査しない。これもどうかしている。カネ不足を庶民大衆負担任せでいいのか。
<石原にメス入れず>
 徳洲会事件の本丸は、石原への巨額資金の流れである。彼は2人の息子を国会議員にした。これを受け入れる有権者も狂っていることになる。こんな家族が、民主国家にあるはずがない。しかし、日本にあるのである。
 カネと票を宗教団体にねだるだけではなかった。悪徳人間の懐にも手を突っ込んでいた。それが徳洲会事件である。検察と国税が捜査すれば、100億円の使途不明金は判明する。それをしない。お蔵入りさせる。それでいて8%消費税である。
 「安倍・谷垣・検事総長と石原の間での密約を暴け」と事情通は叫んでいる。
<愚民でいいのか>
 「こんな悪辣政治に対して、多くの国民は沈黙している。何がそうさせているのか」「嘘の放射能報道に沈黙する東北の民に何があるのか」がまともなジャーナリストの視点である。
 「国民に奉仕する」という大事な視点を政治屋・官僚どころか、言論人も放棄している、今の日本である。衰弱死を待つ愚民に甘んじている日本人のままでいいのであろうか。
2014年4月8日9時10分記