本澤二郎の「日本の風景」(1138)

国家主義全開に要注意>
 平和外交の基本である寛容さを喪失した偏狭な国家主義が、どうやら全開のようである。極右の石原と松下政経塾ナショナリズムが、連携して複数の隣国の対応に激しく噛みついている。野田と石原の密談も明らかとなった。昨日、議会は民主党の「原発再稼働と10%消費大増税隠し」の戦略に、自民党右派がまんまと乗ってしまい、韓国への抗議非難決議を採択した。前例のない戦前回帰もいいところである。石原はというと、野田と意見調整して「尖閣上陸」を表明した。背後で、シャープ崩壊という家電大手の敗退など財閥経済の衰退が進行中だ。ワシントンは、対中戦略に危険なオスプレイ導入を依然として強行しようとしている。危ない日本の前兆だと、あえて指摘したい。強いて言うと、国家主義民族主義の台頭は、結果的に排外主義による孤立化の日本をも予見させようか。放射能汚染で永田町が狂い始めているのであろうか。



<国民の平和主義が対抗>
 ジャーナリズムは、こうした無様な政治に警鐘を鳴らす責任があるのだが、実際はどうなのか。メディアもまた、国家主義の波に呑みこまれてしまったのか。気になって仕方がない。
 戦後の日本は、9条憲法のお陰で、曲がりなりにも平和主義を貫いてきた。
国際社会は、そんな日本を評価した。たとえアメリカの属国であっても、好戦的な対応をとることを常に戒めてきた。安全保障政策では、ワシントンの厳命にもかかわらず、アジアの戦争にも一定の歯止めをかけた。
 集団的自衛権の行使を憲法違反で許されないという基本姿勢を、歴代の政権は踏襲してきた。今この枠をはずそうという政権が存在している。
 
 だが、日本の市民は健在である。昨日の国家主義が渦巻く議会と官邸に向けて、反原発・野田降ろしの市民デモは盛況をきわめた。毎週金曜日の野田退陣・民主党潰しの、善良な市民デモは衰えを見せなかった。
 驚いたことに、NHKが夜の7時のニュースで市民デモを伝えた。これは画期的なことである。永田町の国家主義の蠢きを詳細に伝える一方で、命と生活を守ろうとする国民の怒りを報道した。NHKも多少のバランス感覚を見せ始めたものか。
 官邸包囲デモが、国家主義民族主義の台頭の大きな壁である。韓国非難決議に共産党社民党は反対したという。事態の深刻さに気付いたものだろう。公明党は、まだ自民党に引きずられているのか。隣国との友好なくして日本は生きられない。
国家主義に屈するな>
 戦前の日本は、政治体制として天皇国家主義を貫き通した。それは明治政府の行き着く先だった。日清戦争日露戦争の勝利で、この悪しき制度は全開して隣国を侵略、遂には欧米と武力衝突して敗退した。広島・長崎の悲劇を招いた。
 300万人の日本人が命を落とした。隣国の人民を数千万人も死傷させた。ヒトラードイツに相当しようか。歴史上、人類は国家主義の恐怖をこれほど感じたことはなかった。こうして不戦の平和憲法が誕生、国民は国家主義を断固として排除した。
 だが、それでも不徹底な反省と謝罪が、問題を解消しなかった。ドイツ国民との落差である。巧妙なワシントンは、ソ連・韓国・中国と日本の間に小さな領土を、火種として残すと言う策略を用いた。それが北方領土問題、竹島問題、尖閣問題である。
 このワシントンが敷設した地雷を処理するためには、友好の2字しかない。友好が人間の知恵なのだ。日本国憲法の精神でもある。
 国家主義は、これを排除するものである。断じて国家主義に屈してはならない。2度と過ちを繰り返してはならない。野田と石原の罠にはまることがあってはならない。
<全野党は結束して解散に追い込め>
 日本は金が無い。そこでまた、バラマキ借金のために公債を乱発発行して危機を乗り越えようとしている。そのための法案審議を民主党は、昨日委員会で強行した。わずかな議員数を減らすという法案についても、単独で審議を強行している。
 怒る自公は問責と内閣不信任を提出する構えだ。ところが、他の野党がヘソを曲げている。民自公の談合密室による10%強行に頭にきているからだが、これはしかし、実に大人げない、大局を見据えた対応ではない。
 民意は1日も早い野田退陣を求めている。内閣支持率時事通信でさえも2割を切ってしまっている。実際は1割を切っているだろう。「小異を残して大同に付け」と言いたい。1党1派の利害を超えた対応が求められている。党利党略など論外である。
 国家主義を退治して、隣国との友好関係を再構築しないと、日本の企業も全滅するかもしれない。車も家電も隣国に押されてしまっているではないか。巨大消費市場無くして、日本は収入を得ることが出来ない。
 野田と石原の国家主義を許してはならない。67年前の教訓を生かすことが、いま永田町に求められている。
2012年8月25日8時55分記