本澤二郎の「日本の風景」(1250)

<日本の“民主主義”>
 日本の“民主主義”は、民意が反映される本来の民主主義ではない。国民の間に、こうした見方が広がっていると信じたい。たとえば、政治的な分野では小沢一郎に期待をかけている市民は、間違いなくそうした認識を抱いている。財政の悪化を少しでも和らげようとして、その負担を弱者に押し付ける10%消費税に疑問を持つ市民もそうだろう。これは前進である。


 アメリカに有利な貿易政策を強行することに反対する農林漁業者や医療・福祉の分野で働く人たちも「日本の民主主義はおかしい」と感じている。2度と戦争をしないと約束した平和憲法を「破壊する」と公約した改憲軍拡の、アジアに緊張をもたらす安倍内閣に対して怒りを抱く平和市民も、そうであろう。
 極右政権を必死で弁護する読売グループなどのマスコミの存在に疑問を抱く市民は、やはり同じ思いだろう。3・11による原発事件報道を隠ぺいする政府・東電・新聞テレビに失望する民衆は、日本の“民主主義”に重大な懸念を持ち始めている。
 極論すると、日本に民主主義は存在していない。らしいものがあるとしても、韓国にも劣ることは間違いないだろう。ひょっとして、ネット社会が生育した中国にも劣るかもしれない。ことほど日本の“民主主義”は怪しい。不存在といえるかもしれない。
<民意と政治・政策の乖離>
 関税ゼロという疑問だらけのTPPを、臆面もなく「国民の6割以上が賛成している」と報道するテレビが電波を牛耳り、そのことを大々的に報道して、国民の脳を支配している。
 ドイツ・ヒトラーの時代を知らないが、何となく連想してしまいそうだ。改憲再軍備のラッパを高々と吹聴する政権は、戦後の政治史に存在しなかった。正に極右政権そのものだが、そんな安倍内閣を7割前後の国民が支持している、とマスコミは報道している。
 貨幣乱発で人工的に円安にするという狂気じみた安倍・経済政策を、過半数の国民が浮かれて支持しているという。広島・長崎に次いで核被害を受けた日本国民が、原発再稼働・原発輸出に突進している政府を選択、昨年の12・16総選挙に次いで、今夏の参院選挙でも勝利させるというのだ。
 民意と政治・政策の乖離は際立っている。このことに重大な疑問と関心を抱く知識人はいるに違いない。勇気を出して、気付いたら声を出してもらいたい。
<反映されない民意>
 経済が破綻すると、政治も混迷化する。マルクスに言われなくて通用する政治経済原則である。しかし、それよりも何よりも、根本は民意が反映されているか否か、がその国の安定を測定できるモノサシである。
 すなわち、民衆の声が政治に反映されれば、その国や地域は安定する。これも政治の大原則である。民意が反映されない日本に、いま重大な危機が襲いかかっている。
 このことに為政者は心すべきだろう。中国の腐敗問題は深刻きわまりないが、それゆえに当局の対応は従来になく真剣である。それは民意だからだ。これを処理しないと、現体制の崩壊を約束させるからだ。
 日本は2009年にそうした選択をしたが、成功しなかった。昨年の12・16ではその反対の結果を出してしまった。不正選挙疑惑もまとわりつき、遂に恐ろしいほどの保守的な裁判所が「憲法に違反する」との判決を相次いでしている。
 安倍内閣有権者の10%台の得票で3分の2近い議席を手にした。現在、国民の5割近い人たちが、そんな自民党を支持していると公共放送までが、塩を送り続けている。
 民意が反映されない日本に政治的危機が内在している。なぜ民意は反映されないのか。そのからくりを伝える義務がジャーナリストの責任である。
<つくられる民意>
 安倍内閣は日銀を制圧した。貨幣乱発派の黒田とかいう総裁にする。これに国際的な投資ファンドが、円安想定で株と為替に資金を大量投入している。ただそれだけの事実を、メディアは正確に報道しない。円安による副作用は弱者を直撃する。そのことを伝えない新聞テレビである。
 悪しき政府によって民意は変えられる、新たにつくられるのである。世論操作こそが、政府与党の主たる任務となっている。
 本来、この壁をぶち破る装置は民主主義には存在する。一つは議会だ。もう一つが新聞テレビなどのマスコミである。「この二つが正常に機能すれば、民主主義は確立することになる。しかし、これの腐敗が日本を危機に追い込んでいる」と宇都宮徳馬は生前、声をからして筆者に指摘していた。
 「新聞テレビの腐敗、特に読売の腐敗に怒りをみなぎらせていた」のだが、これは改まるどころか、一層悪化している。本来、権力を監視する使命のあるマスコミが腐敗し、民意をねじ曲げてしまう、それが今日の日本の姿なのである。民意は作られるのだ。
<新聞テレビを信じる日本人>
 人民の、人民による、人民のための政治は、欧米先進国でも多国籍企業や1%富豪に支配されて、大分怪しくなっているが、日本も財閥に支配されて、この原理が通用しなくなり、事実上、存在していない。この真実に民衆は覚醒すべきである。
 この覚醒を邪魔している実態が、新聞テレビなどのマスコミなのである。このことに気付いた時に、日本の民主主義は誕生することになろう。あえて指摘しておきたい。
 民意が反映される社会が、いうところの民主主義である。
 韓国では韓米自由貿易協定に弱者の氾濫が相次いでいる。反映されない民意に民衆が反撃している。これを抑制するために韓米の為政者は、南北の緊張を演出する。これにまんまと利用されるだけの北の若い指導者だ。
 韓国の財閥批判はすさまじい。民主主義が機能している証拠だ。政権交代時に暴利をむさぼる財閥のボスが拘束されることなど珍しくない。日本は「財閥は存在しない」ことになっている。日本共産党までが財閥の存在を隠している日本だ。マスコミからも「財閥」は消されている。
 日本人の最大の弱点は、新聞テレビを正直に信用することに尽きる。これは多くの先進国にも通用するが、日本人は特別である。新聞テレビの報道に左右される。
 この点で、中国人と異なる。中国人は逆である。中国の人民は日本人よりもはるかに賢い。すぐれた民衆によって成り立っていることに気付くべきだろう。
<操作される新聞テレビ>
 新聞テレビを信用する日本人は、簡単に自己の判断を変えたりする。まことに自由自在である。新聞テレビの報道に従順だからである。
 「日本人は柔軟性がある」と評価する外国人が少なくない。「欧米の文化を容易に受け入れて、近代化を実現した」という分析が一般に通用するほどだ。これはお上(かみ)に従順、新聞に従順な結果なのだ。
 自ら思考する日本人ではない。「寄らば大樹」「集団主義」の日本人は、新聞テレビに従順なのだ。個人主義が確立していない。これが文化になっている。
 困ったことに新聞は全国紙数社に限られている。そこがテレビも所有している。これでは独裁国の報道と変わらないだろう。しかも、その新聞テレビ報道を信用するという特性・弱点・恥部の日本人だ。
 地方の新聞は共同通信の報道でコントロールされている。テレビは中央の全国新聞傘下のテレビ局に組み入れられている。
 「新聞テレビが操作されている」という事実に気付くことが出来れば、日本の姿をかなり正確に分析出来るだろう。
<金と権力に屈する新聞テレビ>
 日本の新聞テレビは、スポンサーである経済界・その中核である財閥資本にコントロールされている。政府と財界・財閥は一体関係にある。
 ここまで理解できれば、日本の姿が見えてくるだろう。これの基本構造はアメリカなど先進国でも当てはまる。9・11後のワシントンにおいて、報道の自由は消滅した。戦争反対派のジャーナリストは、活躍の場を失ってしまった。当時、そんなアメリカ人ジャーナリストの取材を受けた記憶がある。
 「日本には言論の自由があると思い、東京に来たが、東京にもなかった。これからどこに行けばいいのか」と、本心をさらけ出した。その厳しいジャーナリストの苦悩に応えることが出来なかった筆者であった。悔しい思い出となっている。
 「権力に屈するな」が宇都宮の叫びだったが、それは日本の新聞テレビへの警鐘でもあった。かつてNHKは、歴史認識にからむ報道で、安倍が官房副長官時代に圧力を受けて、あっさりと屈した。多くのジャーナリストが承知している事件だ。
 ことほど権力には弱い。金にはもっと弱い。筆者でさえも身近に気付かされた事件があるが、いずれ公開したい。広告スポンサーに対する報道は、それが広報宣伝であれば問題はないが、その逆だと出来ない。
<財閥支配の日本>
 結論を急ぐことにする。日本の支配者は財閥である。大企業ではない。大企業をたくさん所有している財閥である。財閥はたくさんの天下り官僚を受け入れている。
 日本の政策(立法)を作成して、永田町に送りつけている霞が関は、財閥の意向を受けて動いている。永田町ばかりに目を向けていた筆者が以前、知らなかったことである。日本国民の多くがまだ知らない。学者もジャーナリストも、とも決めつけていいだろう。
 外国の日本研究者は全く理解していない。

 ある特定の国を理解するためには、真っ先にその国の権力の源を知る必要がある。さすがにアメリカは、日本を占領した国だからよく知っている。CIA工作が、おおむね成功する理由なのだ。権力の源を分析出来なければ、民主主義を開花させることなど不可能である。

 このことについて誰ひとり指摘しない。知らないのだ。知っていても沈黙することで、生活基盤を確立しているキツネのような知識人ばかりの日本である。日本に民主主義が存在しない根源でもある。
 民意に従う政治経済社会の日本にする作業が、21世紀の最大の課題なのだ。3・11をその契機にしなければならない。「日本人はフランス革命をもう一度学ぶべきだ」との宇都宮遺言を覚えている。
2013年3月19日記