本澤二郎の「日本の風景」(1355)

日本平和主義の真髄>
 日本は追い詰められている。一つはバブル崩壊後の莫大な借金で、最近破綻したデトロイトのような事態にある。自民・自公の責任だ。そして3・11の東電原発崩壊による放射能惨事だ。民主の責任も大きい。通常は、こんな場面を笑って受け入れる勢力がいる。左右両翼であるが、現在は右翼・国家主義が権力を掌握、タブーである改憲軍拡へと、元来た道へと路線変更をしている。これに抗するリベラル・平和主義者の姿が見えてこない。しかし、必ずいると、平和軍縮派の宇都宮徳馬は泉下で叫んでいる。



 安倍ナショナリストは、敵を作り出して、それを平和憲法解体へ結びつけるという野望を推進している。敵とは中国だ。中国封じ込めによるかの国の反発を、無知な日本人にがんがん流布して、日本人の心をナショナリズムに変質させようというのだ。その先頭を産経・読売の新聞テレビが切って、他が追随している。
 今も安倍はASEAN3国を訪問して、そうした防壁づくりに必死である。まことに滑稽な安倍外交を、過去に空前の大災禍を受けた子孫は怒り狂うだろう。歴史の繰り返しへと、アジアを引きずり込もうとする靖国の論理・天皇国家主義に対して、リベラル・平和主義者は動じてはならない。反撃せよ。
石橋湛山小日本主義
 「月刊日本」7月号の巻頭言に南丘喜八郎が、石橋湛山の「小日本主義」を紹介している。これは長州の軍閥山県有朋の「大日本主義」に対抗する平和哲学だ。対外膨張主義・侵略植民地主義にNOを突きつけている。東洋経済新報誌上での主張として有名だ。

 ちなみに山県軍閥に対抗したのが、宇都宮の実父・太郎である。石橋は彼に共鳴していたためか、戦後、湛山と息子の徳馬は仲が良かった。二人は揃って香港経由で北京に行き、周恩来と会見している。
大日本主義の安倍路線>
 平和主義者はリベラル・対外友好派なのである。安倍は今もこの山県路線を踏襲している。「強い日本」が口癖である。過去の幻に生きてきた中曽根康弘と似ている。戦後秩序をぶち壊そうという野望が、戦争の出来る日本改造なのであろう。そのための核が、神がかりの靖国信仰なのだ。神風を信じているのかもしれない狂った人間なのだ。卑弥呼の時代と明治の時代に生きているのだろうか。彼は「戦後レジームからの脱却」といい、中曽根は「戦後政治の総決算」と、共に1945年体制の崩壊を狙う国家主義の政治路線なのだ。
こうした安倍路線の実像をワシントンの諜報機関は察知、見逃さなかった。安倍をナショナリスト国家主義者)・ストロングナショナリスト国粋主義者)と断罪している。
 お笑いは公明党創価学会だ。ナショナリストと提携しているという予想外の政治展開である。北京との信頼関係は、実質面で崩れていることさえ気付いていない。13億人と敵対する日本など狂気の沙汰であろう。
 NHKをはじめとする日本の新聞テレビは、中国ネタに特化させて、悪い印象を流布している。安倍と背後の財閥に屈してしまっている悲劇的なマスコミである。まともなジャーナリストなら、こうした分析は容易なのだが、庶民にはわからない。
<北京接近のワシントン>
 だが、ワシントンのリベラル政権は北京との関係強化に必死だ。何よりも人々を飢えさせるわけにはいかない。政治の根幹である。
 その点で中国は世界で一番成功している。物乞いをする市民を、地下鉄車内でごくまれに見かけるが、餓死寸前というよりも、幼子を利用した商売に見えるものだから、乗客の多くは無視している。アメリカよりも恵まれている。
 中国駐在のアメリカ大使のことを知らないが、どうやら中国人の心をつかまえているらしく、相当な信頼を集めている。彼のワシントン情報は、東京の素顔も伝えることになろう。

 米中は蜜月関係の時代を迎えている。他方、安倍の長州・山県の大日本主義が、ASEAN諸国をたぶらかそうとしている。しかし、不可能である。ASEANの経済圏は、中国人に握られているのだから。
<石橋の平和主義>
 湛山は「一切を棄つるの覚悟」という社説で、ずばり「我が国の禍根は小欲に囚われていることだ。大欲を満たすがために小欲を棄てよ。たとえば満州を棄てる、山東を棄てる、その他支那が我が国から受けつつありと考うる一切の圧迫を棄てる、その結果はどうなるか、また例えば朝鮮に自由を許す、台湾に自由を許す、その結果はどうなるか。英国にせよ、米国にせよ、非常の苦境に陥るだろう。何となれば彼らは日本のみ斯くの如き自由主義を採られては、世界におけるその道徳的地位を保つを得ぬに至るからである」と訴えた。
 正論は平和主義・リベラルより発するものである。
 尖閣・釣魚も竹島・独島も小欲であることが、理解できるであろう。国家主義天皇主義・靖国では、この国が安穏に生きることは出来ない。安倍内閣は日本にもアジアにも不要なのだ。
2013年7月26日9時55分記